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医療の自己負担の強化は何が問題か?

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

自己負担の増大は何をもたらすか

前回は、医療費の自己負担を所得に比例させる、というファイナンスの仕方は、保険の原則とかけ離れすぎており問題がある、という点について説明しました。今回は、こういった自己負担における応能負担(高所得者に強い負担を求めること)の強化が、どのような帰結に結びつくのか、という点から説明していきたいと思います。

この国の厚生労働行政において、「国民皆保険」は犯すべからざる金科玉条であり(皆保険とは何なのかという議論はさておいて)、進展するTPP交渉においても、絶対に日本の医療保険制度の根幹は維持するのだ、というのが日本政府の考え方です。私も日本の医療保険制度は、さまざま議論を要するところはあるにしても、非常に優れた結果を残している制度であり、罷り間違ってもアメリカの医療保険システムの劣化コピー版にはなってはならないと考えています。しかし、自己負担の強化、特に中高所得層を対象にした患者負担の増大は、結局のところ、日本の公的医療保険の弱体化を招くでしょう。

社会保険制度で、過度な応能負担を追求し、特に、保険料負担ではなく医療給付の面で差をつけるような改正をおこなった場合、人々が社会保険制度の存在を認めている、根本的な条件が崩れてしまいかねません。先にも述べたように、保険として不公平な面があったとしても、メリットも考慮すれば納得できる範囲内の不公平だからこそ人々は社会保険制度を受け入れるのです。許容できないレベルの不公平を強制された場合、制度の支え手(より健康な人たち)から制度からの脱退要求が上がってきてもなんら不思議ではありません。

勿論、日本の公的医療保険は強制加入が原則であり、脱退したいから加入しなくてよい、というものではありませんから、すぐにそういう帰結を招くわけではありませんが、少なくとも、こういった反応を招く政策というのは、制度の存続基盤を弱めるという意味で望ましくありません。特に、労せずして日本の優良な保険加入者を囲い込む可能性が生まれるのですから、TPP交渉における最重要プレイヤーである米国の保険業界が最も期待することでもあるでしょう。健康な高所得者を中心に、より有利な条件で代替的な民間医療保険に加入する人たちが現れれば、公的医療保険に残された低所得、中所得階層には、より高額の社会保険料負担がのしかかります。厚生労働省が断固護ると主張している公平な医療制度の崩壊です。

また、仮に代替的な医療保険の導入は政治的に防げたとしても、高額となった自己負担をカバーする補完的な医療保険は、高額所得者中心により需要が高まるでしょう。それはそれで、良いことだと思いますが、疾患履歴や所得などが理由で、そういった自己負担をカバーする民間保険に加入できない人たちは確実に発生しますから、そういう人たちを中心に厚生水準は悪化していくものと容易に想像できます。私から見ると、患者の自己負担で応能負担の強化を図ろうとする厚生労働省は、日本の皆保険制度を護ると言いながら、自らの手にハンマーを持って医療保険制度の基礎を壊そうとしているようにしか見えません。

日本の医療保険の自己負担は大きいか小さいか

私が長々と、こんなことを書いても、わずかな自己負担で医療サービスを終生受けられるのだから、多少の自己負担増くらいは受益者負担だと思って甘受すべきだ、と思う方もおられるかもしれません。確かに、マクロ的に見た場合、日本の医療保険の自己負担水準(14.4%)というのは、国際的にそれほど高いものではありません。むしろ、OECD諸国の中でも低い部類に属するかもしれません。

主要各国の総医療費に占める患者窓口負担の割合
主要各国の総医療費に占める患者窓口負担の割合

ですが、その負担の中身を細かく見てみると、欧州と日本では大きな違いがあることが分かります。その違いを簡潔にまとめると、日本の公的医療保険はビッグリスクや高額医療に弱い、といえます。むしろ、日常的、一般的な外来診療については、日本の負担水準はそれほど高いというわけではないでしょう。例えば、風邪症候群で診療所の診察、投薬を受けた場合、初診・再診料や管理料などで差は出るでしょうが、薬剤費を含めて\3,000程度の自己負担ではないでしょうか。ただし、風邪症候群のような一般的な疾病ではなく、希少な疾患では、薬の公定価格が非常に高額になることがありますから、難病医療費助成の対象となっていない限り、高額療養費制度の上限までは負担が発生します。

欧州の場合、負担の方法が日本と違うので簡単な比較はできませんが、ドイツであれば、外来診療は、四半期に一度の初診料10ユーロ(約1,417円)、薬剤費として薬価の10%、ただし基本的に5~10ユーロ(約708円~約1,417円)の範囲内での負担となります。また、この5~10ユーロという負担は、包帯材料や治療材料についても同じ負担水準となっているようです。

スウェーデンの場合はさらに負担方法が日本とは異なっており、家庭医に診察を受けた場合、診療費については、一回当たり100~350クローナ(約1,564円~約5,476円)を負担するものの、年間で900クローナ(約14,083円)以上の自己負担については無料券が発行されることになっています。また薬剤費としては900クローナ(約14,083円)まではそのまま自己負担ですが、それ以上については補助が入り年間最大1,800クローナ(約28,166円)が負担の上限であり、これ以上は無料券が発行されることになっているようです。

このように、外来診療を例にとれば、希少な疾患で高額な薬剤費が発生しない限り、欧州の国々と比べても、それほど高額な自己負担が課せられているわけではないと言えるでしょう。一般に、欧州の各国は、日本よりはるかに大きな社会保険料負担を課しているわけですから、低保険料の日本でこれだけの自己負担で済んで、しかも「フリーアクセス」と呼ばれるように、医療保険に加入していれば全国のどの医療機関に行ったとしても同じ条件で医療給付が受けられるということは、なかなかのパフォーマンスといえるかもしれません。

ビッグリスクに弱い日本の医療保険

ですが、負担の上限となると、かなり様相が異なってきます。先ほど、スウェーデンでは年間の外来診療自己負担上限が決まっていることに触れましたが、さらに入院の場合であれば自己負担は所得とは関係なく一日あたり最高80クローナ(約1,250円)であり、年金受給者の場合は負担上限として年金の三分の一以内であることが定められています。また、難病に限らず、重篤であるか、もしくは長期にわたる疾患については薬剤費が全額免除になるという手厚い給付も存在します。

ドイツの場合、外来診察料や医薬品、治療材料などに関する負担上限がそれぞれ10ユーロ(約1,417円)であることには先に紹介しましたが、入院についても日額10ユーロの負担であり、さらに年間28日分までの負担が上限として設定されています。つまり長期入院しても、入院費用としては年間280ユーロ(約14,170円)まで負担すればよい、ということです(ただし、ドイツの平均在院日数は8日弱ですから、この上限までかかるひとは少数であると思われます)。さらに、これらすべてを含めて、年間でどれだけの医療費自己負担が課せられるかも上限があり、扶養控除を差し引いた世帯の実質的な所得の2%までと定められています。この所得の2%という負担上限は、重度な慢性疾患や難病の患者については年間実質所得の1%と、さらに負担上限が引き下げられることとなっています。

翻って、日本の医療費の自己負担水準を考えたとき、高額療養費制度を活用したとしても、必要となる自己負担額は、少なくともドイツ、スウェーデンと比する限り、かなり高額になることが分かります。治療費は疾患やその治療方法でかなり変動しますが、大雑把に考えて、70歳未満の一般的な所得の人が、重篤な疾患で三か月間の入院を経験したとして、その三か月間、高額療養費をフル活用し、約8万円の自己負担を毎月支払ったとすれば約24万円の入院費用となります。現在の日本の世帯所得の中央値が約430万円(H24年度国民生活基礎調査)ですから、平均的な世帯であったとしても、この入院だけで年間世帯所得の5.6%を自己負担することになるわけです。通常、退院後も継続的に投薬や検査を受けることも多いわけですから、年間の総医療費負担はさらに重みを増していくでしょう。ちなみに、高額療養費制度は月単位で医療費負担の上限を決定するため、仮に治療が月をまたいで継続したとすると、高額療養費制度で補助される金額はぐっと少なくなる可能性があるということを、参考までに申し添えておきたいと思います。

そもそも何の為の自己負担なのか?

そうはいっても、毎年、一兆円規模で増大している国民医療費を鑑みれば、医療費の無駄遣いを削減するためにも自己負担の強化は必要ではないか、という意見もあるでしょう。一見、もっともな意見に思えるのですが、こういう見方には、二つの要因が混在しています。ひとつは、「医療サービスの窓口価格が安いと人々は多量のサービス需要をしてしまう(経済学では価格効果や価格弾力性という概念で説明されます)」という意味での無駄遣いであり、いまひとつは、「医療サービスはぜいたく品なのでお金持ちほど多量の医療サービスを需要してしまう(経済学では所得効果や所得弾力性という概念で説明されます)」という意味での無駄遣いです。

この問題は医療経済学における主要論点のひとつであり、これまで数多くの研究がなされてきましたが、ほとんどの研究におおむね共通する結論だけ簡潔に述べると、自己負担割合が変化したことによる価格の意味での需要の変化はそれほど大きくなく(概して医療需要の価格弾力性は低い)、存在したとしても軽度な疾病に対する治療においてのみであり、また所得が高いことに起因する需要の変化は介護や歯科診療などに限られており、一般の治療にはあまり存在しない(概して価格弾力性は低い)ということになります。

これは、ある意味、当然の結果かも知れません。普通のサービス消費と異なり、診療所や病院で治療を受けること自体に何か満足度が付随するわけではありません。みな、体調を崩したり、致し方ない健康不安があった場合に治療を受けるわけです。背に腹は代えられない、という心境で消費する医療需要について、需要側・消費者側の要因で発生する無駄遣いは、限定的であってもおかしくはありません。

ただし、価格が全くの無料であった場合には、過剰な医療需要が発生する可能性は強いでしょう。かっての老人医療費無料化や、現在、各自治体の取り組みとして行われている乳幼児医療費の無料化は、医療を需要する側、医療を提供する側の双方に無駄遣いのインセンティブを与えると考えられるので、再考の余地があると考えられます。

限られた財源の中で、何を支えていくか

もう止めることはできない少子高齢化の中で、社会全体で負担できる医療費の限界は自ずと決められていきます。今後も、ニーズとしては、さまざまな医療サービス、給付についての重要性が高まっていくでしょうが、限られた財源を所与として、国民の安心を高めるために最も有効な給付の配分はどのようなものなのか、考えていく必要があるでしょう。

月並みな言い方ですが、今後も日本の公的医療保険制度が、国民からの支持を得続けるためには、公的保険は何を重点的に支えて、何を国民の自助努力にゆだねるのか、という明確な指針を定めることが肝要だと考えます。私の個人的な価値観としては、より大きな不安・負担に対して、平等かつ重点的な給付で支え、日常的な健康維持と結びつくようなサービスには、低所得者へのサポートに配慮しつつ、フリーアクセスの制限や、軽度な疾病に用いられる薬剤費の負担割合の弾力化などで積極的に効率化を図っていくべきではないかと思いますが、みなさんはどのように思われるでしょうか。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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