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多数派ボケ国家日本への託け

にしゃんた社会学者/タレント
(写真:ロイター/アフロ)

私は自他共に認める多文化・多宗教・多言語国家で産み落とされ、17才まで生活していた。そこは親日国家としても確かな歴史を刻んでいるスリランカである。

宗教は街の景色としてだけではなく、人々の生活の中で賑やかに鮮やかに混在している。人口少数派のタミル人の多くが信仰しているヒンズー教、多数派のシンハラ人が信仰している仏教に至っては、日本でいう神仏習合そのものである。釈迦はヒンズー教の両親の元で生まれており、ヒンズー教では釈迦はヒンズー神の生まれ代わりと言われているだけあって両者は切り離しようがない。イスラム教も確実に信者を増やしており、キリスト教は、スリランカのエリートからヒンズーや仏教で差別を受けていた漁民などの下層民の獲得にも成功し、安定した支持基盤をもつ。

学校教育の中では宗教の授業時間が儲けられ、時間になるとそれぞれの宗教に別れて学んでいる。イスラム教は、金曜日の午後、モスクにいく時間は学生はもちろん会社員なら有給で保証されている。紛れもない多宗教国家である。多民族国家であるスリランカには民族ごとの集住地区もあるが、基本的に混在して住んでいる。

言語に関しては、シンハラ語、タミル語と英語の新聞はどこででも手に入る。テレビやラジオも言語ごとにチャンネルは存在する。今は数え切れないほどのチャンネルはあるが、私がまだ小さかった30年ほど前はテレビ局は1つしかなく、放送時間も夕方5時から夜10時位までと短かった。それでも時間をずらして同じ内容をタミル語とシンハラ語と英語で流していた。多言語が保証されていた。

学校でも言語ごとに教室が分かれていて、隣の教室では違う言語で教育が行われていた。毎週月曜日の1時限目は全校集会だった。そこで教員は、学生に向けて内容を3つの言語で説明してくれた。会議は3倍時間がかかったが学生はみんな先生が何を喋っているか良く理解できた。それが特別なことではなく、それが有難いなどと思わないほど、当たり前だった。私の母語はシンハラ語だが、小さいときから当たり前のように周りではいろんな言語が行き交っていた。違う母語同士が互いに居心地の良い言葉を使って対話していた。

しかし今になって気づいたことがある。人口の多数派であるシンハラ人は「多数派ボケ」していたところがあった。同類に囲まれている以上、多数派には日常を送る上で他の言語を覚える必要性もなく生活を送る上で全くと言って良いほど不自由はなかった。他言語を勉強する努力が少なかったことも自然な流れかもしれない。隣でタミル語が行き交った環境で17年生活したにもかかわらずタミル語が全くできない私も例外ではない。

50年近く生きた今になってやっと気が付いたことがある。ずっとタミル人の友だちがシンハラ語を喋って私に合わせてくれていたということ。私は特別ではなく言語の面においてスリランカの実社会全体においてタミル人がシンハラ人に言語を合わせていた。少数派のタミル人のなかには、シンハラ、英語とタミルの言語3つとも流暢な人が多かったので、タミル人の友だちは優秀だと思っていただけだった。しかし、彼らがこの地で生きて行く術として、多数派の言葉を覚えるしかなかった事実を見落としていた。

そんな中、スリランカで戦争が起きた。1983年のちょっとした揉め事が後に26年も続き、7万人が死に至りしめるような戦争になるとはその時は誰も考えていなかった。戦争の最大の要因は「言語」。言語をめぐってのタミル対シンハラの戦いだった。多言語国家と思っていたが、単に言語をすみ分けしていただけだった。そこには多数派による少数者に対する同化があった。

スリランカで戦争が終わったことを聞き、私はどうしても行きたい場所があった。少数派が多く住んでいて、戦争の中心地だった北部の都市ジャフナである。願いが叶ったのは戦後数年経った2014年。アジアン タイムズ(BSジャパン)の取材班も同行した。私たちは、激しい戦争を生き残った多くのタミル人と話をした。なぜ同じスリランカ人同士が殺し合わないといけなかったのかを探った。とどのつまりはやはり「多数派ボケ」であることを再確認した。

嬉しい話にも出会った。取材の中でこんな発見をした。言語をめぐり26年間にわたる戦争を経験したスリランカだが教育現場では新しい動きが生まれている。それまですみ分けされていたタミル語とシンハラ語を互いに授業科目として取り入れるようになったのである。痛ましい経験に大いに学び、スリランカは、未来に向けて、争いのない平和な国づくりの礎を築いたのだった。

翻って日本はどうか。この国は少数者に対して母語での教育を受けれる権利すら保障していない。はっきり言って日本は自他共に認めなければいけない「多数派ボケ国家」である。日本国内にも実はすでにたくさんの違いがあり、多様性は今後も進むに違いない。隣に違いがあるのに、気づいてなかったり、排斥したり、すみ分けしたり、多数派に同化させたりしてはいないか。

違いはただ隣にあるだけでは意味がない。各々が特に多数派が自分の中に取り入れる努力をする事が絶対的に必須である。ましてや行き詰まっているこの国の最後の切り札は多様性の活用であるということがこれ程までに明確になっている以上、多数派日本人は少数者について学び、理解することが義務であろう。

これは私が将来的に骨を埋めて土となるこの日本に伝えたい、私が産み落とされた母国スリランカからの最も大事なことづけでもある。

追記…

戦争が集結し、スリランカのコロンボからジャフナまで26年ぶりに列車が走るようになった。まさにスリランカの歴史が動いた瞬間であった。電車内で、そして戦争被災地で人々が何を語ってくれるのか。そこに多文化国家日本に対してどんな託けがあるか?BSジャパン「アジアン タイムズ」12月7日と14日、夜11時から放送されます。ぜひご覧ください。詳細は番組HPで:http://www.bs-j.co.jp/asian_times/(※尚、当記事の内容と番組の放送内容は全く異なります。)

社会学者/タレント

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「Mr.ダイバーシティ」などと言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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