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2017年宗教改革から500周年(その2)・ルターの功績と史跡に触れるヴァルトブルク城とワイマール

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
新約聖書を独語に訳したヴァルトブルク城ルターの部屋(c)n.spitznagel

前回ルターゆかりの地エアフルトの紹介に続き、今回はルターが身を隠し新約聖書を独訳した場所ヴァルトブルク城とルターが頻繁に訪れたワイマールを辿ります。(画像は特別許可を得て撮影しました)

ヴァルトブルク城

ヴァルトブルク城・クラナッハ作ルターの肖像画(c)n.spitznagel
ヴァルトブルク城・クラナッハ作ルターの肖像画(c)n.spitznagel

ユネスコ世界文化遺産登録のヴァルトブルク城は、テューリンゲン州にある街アイゼナハ郊外の山頂にあり、およそ1000年の歴史を有する国内で最も保存状態のよい中世城塞のひとつといわれています。

かってルターはカトリック教会から異端児という烙印を押され、ヴォルムス帝国から追放された後、ヴァルトブルク城の一室に身を隠し「ユンカー・イェルク」という偽名で9ヶ月(1521年5月から1522年3月)過ごしました。

この城に滞在中、ルターは新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳しました。その後グーテンベルクの活版印刷を発明(1540年頃)により、ドイツ語訳の聖書は欧州に一気に広がっていくことになるのです。その業績は、単に聖書を広めたばかりでなく、近代ドイツ語の成立に多大な影響を及ぼしたといいます。

ルターの部屋は、城内見学コースの一番最後2階に(日本の3階に当たる)当時のままの状態で保存されています。世界中の巡礼者をはじめ、観光客の関心の的となっているこの部屋は、かって侍従の部屋として、そして街から食料や水を運ぶロバを操った者の部屋だったそう。

祝宴の間で歌劇タンホイザーを楽しむ(c)norikospitznagel
祝宴の間で歌劇タンホイザーを楽しむ(c)norikospitznagel

同じく2階にある祝宴の間は、音響効果が抜群であることと、かっての歌合戦の様子を描いた絢爛豪華な壁画に包まれて音楽を堪能できる場として、テューリンゲン州で最も人気のあるコンサート会場です。毎月定期的にコンサートが開催されていますので、是非一度体感したいものです。

19世紀バイエルン王ルードヴィッヒ2世は、ヴァルトブルク城祝宴の間の美しさに魅され、ここを模範としてノイシュヴァンシュタイン城を造らせたといいます。

またルードヴィッヒ2世の敬愛した作曲家リヒャルド・ワーグナーも、ヴァルトブルク城祝宴の間で盛んに行われた歌合戦にインスピレーションを受け、歌劇「タンホイザー(タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦)」の構想をまとめたといわれます。

文学・芸術・音楽の街ワイマール

市街イルム公園入り口にあるリストの家(c)norikospitznagel
市街イルム公園入り口にあるリストの家(c)norikospitznagel

エアフルト中央駅から列車に15分ほど乗るとワイマール中央駅に到着します。人口6万3千人ほどの小さな街ですが、ワイマールは神聖ローマ帝国時代ザクセン・ワイマール・アイゼナハ大公国の首都として注目を浴びました。

特に、18世紀後半から19世紀前半にかけてはドイツ古典主義(Weimarer Klassik)と呼ばれる文芸作品を生んだ芸術と文化の聖地となり、「ワイマールは知識人の巡礼地」と言われたそうです。また、近代デザインのバウハウス学校発祥の地、フランツ・リストの居住地、リスト音楽院など文化都市ワイマールの魅力は尽きません。

この古典主義の都ワイマールは、1998年ユネスコ世界遺産に登録されました。

国民劇場前・ゲーテ(左)とシラーの銅像(c)norikospitznagel
国民劇場前・ゲーテ(左)とシラーの銅像(c)norikospitznagel

ワイマールは、ゲーテそしてゲーテの招聘に応じてやってきたシラー、さらにアンナ・アマリア侯爵夫人が注力した文化保護などがきっかけとなり、多くの知識人がこの街に集まるようになりました。

街の中ほどにある国民劇場はシラーの作品を多く上演したといわれます。フランツ・リストやリヒャルト・シュトラウスもこの劇場で音楽監督を務めたそうです。

フランクフルト生まれのゲーテはカール・アウグストからの招聘を受け、ワイマールに移り住み、死去するまでの約55年間この街に住んでいました。

●ルターの足跡

ルターはワイマールに多くの痕跡を残しています。1518年から1540年、巡回説教で頻繁にワイマールを訪れたルターはこの街に居を構え過ごしたそうです。そしてルターは「ワイマールは大変居心地の良い場所」と讃えたといいます。

また、ワイマールはルターの親友だったルーカス・クラナッハ(父)の終焉の地としても知られます。クラナッハは、テューリンゲン州をはじめ、ドレスデンやザクセン選定候宮廷画家として活躍し、マルティン・ルターの肖像画も残しています。

●聖ペーターとパウル市教会

ヘルダー教会内クラナッハ父子の祭壇画は必見(c)norikospitznagel
ヘルダー教会内クラナッハ父子の祭壇画は必見(c)norikospitznagel

牧師へルダーの名前にちなんで通称へルダー教会と呼ばれるこの市教会に、ルーカス・クラナッハ父子(息子も同名)の共同作品「祭壇画」があります。

この画は、脇腹を刺されたキリストの血が宗教改革に挑もうとしたルターの頭上に降りかかるという、その当時の背景を示唆した意味深い作品「キリストの磔刑図(たっけいず)」です。 ルターと共に、白い髭のクラナッハの自画像も描かれています。

●世界で一番美しい図書館「アンナ・アマリア図書館」

図書館内見学は事前予約をお勧めします(c)norikospitznagel
図書館内見学は事前予約をお勧めします(c)norikospitznagel

ザクセン・ワイマール・アイゼナッハ侯爵夫人アンナ・アマリアの名で知られるアンナ・アマリア図書館は、1691年に設立した学術都市ワイマールを象徴する知の遺産で、ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。

この図書館には19世紀前後の欧州文学をはじめ、蔵書100万冊があり、ここにもルターの宗教改革に関する多くの資料が保管されています。

残念ながら2004年火災に見舞われ、屋根裏とロココ様式のホール、そして8万冊以上の蔵書が焼失や損傷の被害を受けました。幸いにもルターが所有していた聖書(1534年版)は火災を逃れたそうです。

さらに、消火活動の際の放水により建物は甚大な被害を受けましたが、2007年、アンナ・アマリア生誕日、そしてドイツ図書館の日の10月24日に再開されました。

この図書館のシンボル・ロココ様式のホールの壁は、建築当初の姿に再現されましたが、消火作業で傷んだ蔵書の修復には、まだまだ時間がかかりそうです。

●近代建築の第一歩・バウハウス

バウハウス大学には誰でも入ることができます(c)norikospitznagel
バウハウス大学には誰でも入ることができます(c)norikospitznagel
バウハウスの象徴・螺旋階段を上から撮影(c)norikospitznagel
バウハウスの象徴・螺旋階段を上から撮影(c)norikospitznagel

2014年、創立95周年を迎えた近代デザイン建築「バウハウス」は、ワイマールで生まれました。もとはといえばワイマール大公ヴィルヘルム・エルンストが設立した美術工芸学校だったそう。それから発展し、バウハウスは近代デザイン建築への基礎となりました。この学校の教授陣には、ロシアのカデンスキーやパウル・クレーなど著名な芸術家の名が見られます。

近代的なバウハウス大学図書館 (c)norikospitznagel
近代的なバウハウス大学図書館 (c)norikospitznagel

東西ドイツ統一後、バウハウス大学ワイマールは、建築、造形、芸術、メディアを学ぶ国立総合大学となり、世界中の学生がここで学び、創造性に磨きをかけています。

●秋のイベント・タマネギ市

秋の一大イベントは毎年10月の第二週末に3日間(今年は10月9日から11日)旧市街全体で開催されるタマネギ市です。

タマネギクーヘンの屋台はいつも人だかり(c)norikospitznagel
タマネギクーヘンの屋台はいつも人だかり(c)norikospitznagel

今年で362回を迎えるタマネギ市は、テューリンゲン州で最古の市民祭りです。かってこの市(いち)は地元民が厳冬に供え、家畜やタマネギや野菜など貯蔵食品を入手するために開かれたといいます。

現在のタマネギ市は、手工芸品や新鮮な野菜、飲料など様々な商品を提供する約600の屋台がワイマールの旧市街全体に繰り広げられます。

このイベントの目玉商品タマネギクーヘンは、タマネギ市期間以外でもレストランやコーヒーショップで提供しています。是非味わってみたいものです。

取材協力・ドイツ観光局 

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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