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日立鉱山の公害対策は高層気象観測と大煙突、そして桜

饒村曜気象予報士
桜イメージ(提供:アフロ)

日本さくら100選に選ばれている茨城県日立市かみね公園・平和通りで、桜の見頃を迎えています。

日立市は、過去10年間の平均で桜の開花が3月31日、満開が4月8日です。

今年の桜の開花は3月26日で早かったのですが、その後寒くなったので、桜を楽しむ期間が長くなっています。花散らしの低気圧が通過によって雨が降りますが、なんとか週末も楽しめそうです。

日立市の花は桜となっているほど、桜と縁がある切っ掛けは公害対策です。

足尾・別子の教訓は日立に

日本では、ヨーロッパのように石炭使用による公害がなく、わが国における大気汚染の歴史は、欧米の近代化を目標に殖産興業政策が推進された明治時代初期からです。

事業の規模が拡大した明治中期から栃木県の足尾銅山、愛媛県の別子銅山、茨城県の日立鉱山といった銅精錬所周辺地域において精錬に伴う硫黄酸化物による大気汚染が周辺の農林水産業に深刻な被害を与えています。

しかし、銅精錬所周辺への影響度は、後から開発された鉱山ほど小さくなっていいます。

これは、先に開発された鉱山の教訓を取り入れているためです。

気象観測所の設置

足尾鉱山では公害対策の一環として、明治31年11月に足尾鉱業所内に測候所を作っています。

また、同じ鉱毒問題をかかえる別子銅山でも明治31年10月に新居浜測候所を作り、32年1月には別子測候所、36年11月には四阪島気象観測所と、鉱山や精錬所の周辺に気象観測所を展開しています。

最後に開発された日立鉱山では、明治43年に神峰山頂に気象観測所を設置しています。この気象観測所はのちに日立市に受け継がれ、日立市お天気相談所の観測所となります。

日立鉱山事務所が大正6年に発行した「神峰山気象観測所5年報」には、明治44年から大正4年(1915年)の気象観測記録とともに観測所の全景写真が掲載されています(写真1)。

この気象観測所は小高い山の上にあり、鉱山や精錬所の上空の気象を観測するための設置です。

初期の高層気象観測は、地上における気象観測の延長として高山の山頂で気象観測を行うことから始まりました。

中央気象台が茨城県小野川村館野(現在のつくば市)に高層気象台を作り、風船を飛揚させて本格的な風の観測、上空3キロメートル程度までの気圧、気温と湿度の観測を係留気球または凧にセンサと自記記録部からなる観測器を吊るし、上昇・下降して行ったのは大正9年(1920年)のことです。

つまり、日立鉱山は、中央気象台より早い段階から高層の風観測を行って煙の行方に中止して操業していたことになります。

写真1 神峰山気象観測所の全景写真(「神峰山気象観測所5年報」による)
写真1 神峰山気象観測所の全景写真(「神峰山気象観測所5年報」による)

汚染を希釈するためには高い煙突

煙突の高さが高いほど、排出ガス中に含まれる大気汚染物質濃度は、地表に到達するまでに拡散されますので、煙突の高さを高くする対策が広く推奨されてきた時代もあります。

しかし、煙突の高さを高くしても、それだけでは大気汚染域が広がるだけで、排出ガス濃度そのもののを減らそうとする対策などを合わせて行わないと大気汚染による被害は防げません。

写真2 大煙突建設当時の絵葉書
写真2 大煙突建設当時の絵葉書

茨城県日立市にある日立鉱山の大煙突は、煙中の亜硫酸ガスをうすめようと大正3年(1914年)に建設されたときは、高さ155.7メートルと、世界一高い煙突でした(写真2)。上端内径が7.8メートル、下端内径が10.8メートルの煙突で、近くの神峰山山頂での上層の気流の観測や風洞での実験を踏まえての計画です。

大煙突を作っただけでは日立鉱山近隣の煙害は激減することが多いといっても、煙害の範囲がさらに広がります。また、上空の気温が下層の気温より高くなるときは、排煙は上昇することなく地表に下り煙害となります。

そこで日立鉱山は、神峰山山頂を始め半径20キロメートル以内に気象観測所などを設置して気象観測を行い、観測データをもとに煙害発生が予報されると精錬量を減らすという調整を合わせて行ったことが、煙害防止という効果をうみました。

日立鉱山は、大煙突完成後の大正4年から8年まで、風船を上げての高層気象観測を本格的に行っています。第一次世界大戦による好景気を背景に銅の増産計画があったためと言われています。

さらに、排煙に含まれる有毒物質の除去技術の発達によって最終的な解決がなされました。例えば、昭和11年(1936年)に排煙中の煙塵を除去する装置が取付られ、昭和14年には排煙中の亜硫酸ガスを取り出し、硫酸を製造する硫酸工場が作られています。

禿山に桜を植樹

激しい煙害のため、鉱山付近の山林は完全に禿山になり、日立鉱山は伊豆大島の三原山からの噴煙の中で成長するオオシマザクラの植樹が進めました。

大煙突建設後には本格的に植樹を進め、これと呼応して日立市の各地にもソメイヨシノなどの桜が植えられます。

大煙突は、老朽化もあり、平成5年2月19日の強風で54メートルを残して倒壊し、現在は約3分の1の高さの煙突になっていますが、桜のはうは昔以上に市民を楽しませています。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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