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全国統一防火運動のきっかけとなった90年前の北丹後地震

饒村曜気象予報士
丹後松島(ペイレスイメージズ/アフロ)

春の火災予防週間は、消防記念日(3月7日)までの一週間行われています。

この頃は、太平洋側では乾燥状態が続いて木材が乾いている頃であり、日本海側では雪がとけて山に多くの人が入り始める頃です。

火災が発生しやすく、一度火事が発生すると、大火になりやすい季節です。

消防記念日と消防組織法

消防記念日は、地域住民一人ひとりの火災予防思想の一層の普及を図り、火災の発生防 止と高齢者等を中心とする死傷者の発生を大輻に減少させ、財産の損失を防ぐことを目的とするものです。

消防記念日を、3月7日としたのは、消防組織法が施行されたのが昭和23年3月7日であるからです。

国の消防行政は,太平洋戦争前までは警察組織の一部に組み込まれていましたが、戦後の行政改革で警察行政から切り離され、原則として市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務附けられました。

このような大きな変革を記念し、2年後の昭和25年に国家消防庁(現在の消防庁)が「消防記念日」を3月7日に決めました。

3月7日は、後述するように、全国統一防火運動のきっかけとなった90年前の北丹後地震が発生した日でもあり、このことも意識していたのではないかと思います。

消防組織法の制定は、昭和22年12月23日(法律第226号)、消防法の制定は、昭和23年7月24日(法律第186号)ですので、消防行政の組織の方が先に決まり、その組織で何をするのかは後に決まっています。

また、洪水や高潮に際して、水災を警戒してこれを防ぎ、被害を減らすために水防組織と水防活動の全般を定めた法律が水防法ですが、水防法が制定されたのは昭和24年6月4日(法律193号)です。水防法が制定されるまでの約1年間は、消防法に水防活動が記載され、水防活動も消防法で行っていました(表)。

表 昭和24年の消防法の改正
表 昭和24年の消防法の改正

現在の消防法の目的は「火災を予防し 警戒し及び鎮圧し、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、火災又は地震等の災害に因る被害を軽減する」となっており、水防は入っていませんが、水防組織には消防組織法の体系が維持されるなど、水防との関係は残されています。

このように、戦後に相次いだ自然災害に対応するための法律の整備は、混乱の中で作られています。

アメリカの火災予防運動

わが国の火災予防運動は、アメリカのそれにならって行われるようになったといわれています。

アメリカの火災予防運動は、明治44年(1911年)10月9 日に、アメリカ会衆国全土にわたって 「火災予防デー」の行事が起源とされています。

これは、明治4年(1871年)10 月8日に起こったシカゴ大火(死者250 人)から40 周年に際し、改めて火災予防の必要性を一般に認識させようと、北米ファイヤーマーシャル協会の提案に基づいたものです。

大日本消防協会の防火運動

防火防災思想の普及活動を事業目標としている大日本消防協会(現在の日本消防協会)は、昭和2年(1927年)3月7日の北丹後地震を契機とし、北丹後地震後3 年目の昭和5年3月7日に、府県の消防協会と共催して、防火運動を近畿地方で実施しました。

これが、我が国初の防火運動です。

防火運動は好評を博し、昭和5年12月1日には、関東に福島を加えた1府6県が、12月1日を防火デーと定め、府県ごとに一斉の防火運動を行っています。

このほかの地域でも、一斉の防火運動とは別に、毎年12月1日を防火デーと定めて、さまざまな防火運動を行つています。

太平洋戦争が終わった昭和20年、占領中の日本は連合軍総司令部(GHQ)の指示により、この年はアメリカで行われていたものと同じ日、10月21日から27日までの一週間を、全国一斉の火災予防運動として行っています。

日本での火災予防運動の期間は、その後、何度か変更されていますが、平成元年からは、

春の火災予防運動は、「消防記念日を最終日とする一週間(3月1日~7日)」、

秋の火災予防運動は、「119番の日を初日とする一週間(11月9日~15日)」となっています。

なお、「119番の日」は、火災を知らせる専用番号である119番にちなんだ記念日で、1月19日でもよさそうですが、実際の採用は11月9日です。

北丹後地震と丹後震災記念館

北丹後地震は、昭和2年3月7日に、京都府丹後半島北部で発生したマグニチュード7.3 の地震です。死者3000人、全壊家屋1万3000棟、焼失家屋4000棟などの大きな被害が発生しています。

人口密集地ではないのに死者が多かったのは、2メートルを越す積雪の中で火災が起こつたためと言われています。

大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災後を教訓に、地震の学理と震災予防のため、大正14年11月23日の勅令311号で東京帝国大学に地震研究所ができています。

この地震研究所ができて初めての大地震が北丹後地震です。

そして、精密測量や余震観測など近代的調査が初めて行われました。

丹後半島の付け根を横切る形でいくつかの断続した 断層が表れ、最大で約3メートル動いています。

北丹後地震の教訓を後世に残すため、京都府などが義援金の残金を基に昭和4年に建設したのが「丹後震災記念館」です。

しかし、マスコミ報道によると、鉄筋コンクリート2階建ての丹後震災記念館は、老朽化が進んだことから廃止の可能性があるとのことです。所有する京都丹後市は、貴重な施設と認めるものの、数億円もかかる保全資料の捻出は困難としています。

地震の周期は100年から1000年と人間の一生に比べて非常に長いため、災害の教訓を少なくても100年伝えなければなりません。

困難なことですが、工夫して100年以上続けないと次に生きません。

火災気象通報

火災の危険があるのは、春の火災予防運動期間、秋の火災予防運動期間の合わせて2週間だけではありません。

火災予防運動は、年に2回、火事についての思いを強くする期間であり、いつでも火事には注意が必要です。

気象庁およびその地方組織は、気象の状況が火災の予防上危険であると認めるときは、その状況を直ちにその地を管轄する都道府県知事に通報しています。

これを火災気象通報といいます。

都道府県知事は、気象庁から火災気象通報を受けると、直ちにこれを市町村長に通報すること、通報を受けた市町村長は、気象の状況が火災の予防上危険であると認めるときに「火災に関する警報」を発することが決められています。

市町村長から火災警報が発表されたときは、火事を絶対に出さないために最大限の注意が必要です。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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