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アントン・イェルチン死亡事故:過去にもいる、若くして突然の死を遂げたハリウッドスターたち

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
2006年オスカー授賞式にミッシェル・ウィリアムズと現れたヒース・レジャー(写真: ロイター/アフロ)

アントン・イェルチンが27歳にして亡くなった。自宅で起きた、思いもかけぬ車の事故が原因だった。これからますます活躍が期待される人だっただけに、本当に残念だ。

才能に恵まれ、世界中の人々に愛されながら、突然短い人生を終えたスターは、これまでにも多くいる。だが、彼らは決して忘れられてはいない。その人たちの業績を思い返してみる。

ヒース・レジャー(没年齢:28歳)

オーストラリアのテレビや映画に出演した後、ハリウッドでの成功を目指して渡米。1999年、若者向けロマンチックコメディ「10 Things I Hate About You(日本未公開)」でハリウッドデビューを果たし、翌年、「パトリオット」でメル・ギブソンの息子役に抜擢され、大ブレイクを果たす。その後、「チョコレート」(2001)、「ロード・オブ・ドッグタウン」(2005)などを経て、「ブロークバック・マウンテン」(2005) でオスカー主演男優部門にノミネートされた。続いてクリストファー・ノーラン監督作「ダークナイト」のジョーカー役を獲得し、大きな期待が寄せられるが、2008年1月22日、ニューヨークの自宅で意識を失っているところを、メイドとマッサージ師に発見される。すぐに救急車が呼ばれたが、レジャーはまもなく亡くなった。死因は、複数の処方薬の過剰摂取と見られている。その夏に公開された「ダークナイト」は大ヒットし、翌年、レジャーはオスカー助演男優賞に輝いている。

死亡当時、レジャーはテリー・ギリアム監督の「Dr. パラナサスの鏡」を撮影中だった。レジャーの残りの部分は、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが分担して演じ、3人は、自分のギャラを、レジャーとミッシェル・ウィリアムズの娘マチルダに全額寄付している。

ジェームズ・ディーン(没年齢:24歳)

1950年ごろからテレビや映画に小さな役で出演。1955年に「エデンの東」に主演し、オスカー主演男優部門にノミネートされる。同年の「理由なき反抗」も大ヒットし、1956年の「ジャイアンツ」でもオスカー主演男優部門にノミネートされた。しかし、ディーンは1955年9月30日に交通事故で亡くなっており、これらのノミネーションは、死後に与えられたものだ。没後に二度オスカー候補入りを果たしたのは、これまでに彼しかいない。

ディーンはカーレースに強い情熱をもっており、その日はカリフォルニア州サリナスで行われるレースのために、ポルシェ550でハイウェイを北へ向かって運転していた。だが、夕方5時過ぎ頃、州道46号線と41号線の分岐点で、ディーンのポルシェはフォードと衝突。フォードに乗っていた男性は軽傷、ディーンの車の同乗者も命は助かったが、ディーンはほぼ即死状態だった。その分岐点は、後に、ジェームズ・ディーン・メモリアル・ジャンクションと改名されている。

ブリタニー・マーフィー(没年齢:32歳)

若者向けハイスクールコメディ「クルーレス」(1995)、ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリーと共演した「17歳のカルテ」(1999) などを経て、2003年のロマンチックコメディ「ジャスト・マリッジ」で主演級女優に。同作品で共演したアシュトン・カッチャーとの熱愛ぶりも、マスコミの注目を集める。続いて「アップタウン・ガールズ」(2003)、「Little Black Book(日本未公開)」(2004)に主演し、新世代のロマコメ女王の肩書きを得そうになるも、2007年に自称脚本家のサイモン・モンジャックと結婚したあたりから、キャリアは低迷。日本で撮影した「ラーメンガール」(2008)ではプロデューサーも兼任するが、アメリカではDVDスルーとなる。

2009年12月20日、自宅に救急車が呼ばれ、病院に運ばれて、2時間後に死亡。主な死因は肺炎、二番目の原因として、複数の処方薬や市販薬を混ぜて服用していたことが挙げられた。薬はすべて合法に入手されている。

それから約1年半後、彼女の夫モンジャックが同じ家で死亡しているのが発見された。死因は肺炎とされている。

ブルース・リー(没年齢:32歳)とブランドン・リー(没年齢:28歳)

俳優の父をもつブルース・リーは、18歳の時、父に命じられて渡米。カリフォルニア州ロングビーチで行われた空手選手権に出場した時の映像がプロデューサーの目に止まり、テレビ番組「グリーン・ホーネット」(1966-67)に出演が決まる。香港に帰国後は「ドラゴン危機一髪」(1971) 、「ドラゴン怒りの鉄拳」(1972)、「ドラゴンへの道」(1972) を大ヒットさせ、次の「燃えよドラゴン」(1973 )はアメリカと香港の合作となる。だが、同作の撮影が終わった1973年7月20日、リーは香港の自宅で昏睡状態に陥り、病院で亡くなった。死因は脳浮腫と言われており、それが起こったのは、長年使っていた痛み止めと、頭痛薬の副作用のせいと考えられている。

一方、長男ブランドン・リーは、父ブルースの死後アメリカに渡り、俳優デビュー。1993年3月31日、ノース・カロライナのスタジオでアクションホラー映画「クロウ/飛翔伝説」の撮影で、小道具係は、業界向けに売られている偽物の弾丸を買うのでなく、自分たちで作った弾丸を使用した。その弾丸は、予想に反して本物の弾丸と同じくらいの勢いでリーの腹部を撃つことになり、リーは負傷、運ばれた病院で死亡。撮影はあと数日を残すだけになっていたため、映画は未使用シーンやCGを使って完成させられている。

リバー・フェニックス(没年齢:23歳)

1985年、「エクスプローラーズ」で映画デビューし、翌年のロブ・ライナー監督作「スタンド・バイ・ミー」で大きな注目を集める。1998年の「旅立ちの時」でオスカー助演男優部門にノミネート。翌年の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」では若い頃のインディ・ジョーンズを演じた。1991年の「マイ・プライベート・アイダホ」ではインディペンデント・スピリット賞の男優賞を受賞。「スニーカーズ」(1992)を経て、彼の最後の映画、「愛と呼ばれるもの」(1992)に出演する。

1993年10月30日夜、フェニックスは、ジョニー・デップが共同経営するL.A.のナイトクラブ “ザ・ヴァイパー・ルーム”を、ライブ演奏のため訪れた。だが、ドラッグの過剰摂取のため、午前1時過ぎにクラブの外で倒れ、救急車が呼ばれる。フェニックスの弟ホアキン、妹サマーは、その場にいた。ジョニー・デップは、その時、クラブで演奏をしていた。フェニックスは、午前1時51分に、運ばれた病院で亡くなった。

ポール・ウォーカー(没年齢:40歳)

子供の頃からCMに出演。「バーシティ・ブルース」(1999)、「シーズ・オール・ザット」(1999)などの若者向け映画を経て、2001年、「ワイルド・スピード」に主演。2作目にも出演するが成績はそこそこ、3作目では出演をはずされるが、オリジナルキャストを呼び戻した4作目「ワイルド・スピードMAX」(2009) 年がヒットし、その後、シリーズの人気はうなぎのぼりとなる。

事故が起こったのは、「ワイルド・スピード SKY MISSION」(2013)の撮影中だった2012年11月30日。この日、ウォーカーは、感謝祭の4連休を利用し、ロケ地のアトランタからL.A.に戻り、自ら立ち上げた非営利団体のためのチャリティイベントに参加していた。イベントの途中、ウォーカーは、長年の友人ロジャー・ロダスと2005年のポルシェ・カレラGTに乗って走り出したが、車は暴走し、木と電柱にぶつかって炎上、ふたりは死亡した。事故責任をめぐって、ウォーカーの父と娘はポルシェを訴訟している。

映画はまだ撮影が始まって間もない段階で、アブダビのシーンなどはいっさい撮影されていなかったが、ウォーカーの弟ふたりとCGを使って完成させ、全世界で15億ドルを売り上げた。この数字はシリーズ最高であるだけでなく、世界興収で史上6位でもある。

セレナ(没年齢:24歳)

日本ではあまり知られていないが、セレナは1990年代初め爆発的な人気を得たテキサス在住のメキシコ系アメリカ人シンガー。彼女の死後に作られた伝記映画「Selena(日本未公開)」(1997)は、主演に抜擢されたジェニファー・ロペスに大ブレイクのきっかけを与えた。テハノ音楽の女王と呼ばれた彼女は、ファッションブランドを打ち立て、テキサスにブティックをオープンするほか、ジョニー・デップ、マーロン・ブランド出演の「ドンファン」(1995) にカメオ出演もしている。それまでスペイン語で歌っていた彼女は、事件の直前、英語での歌を大ヒットさせ、メインストリームでの成功に着実に向かっていたところだった。

セレナと家族はブティックとファンクラブのマネージャーにヨランダ・サルディヴァルを雇っていたが、彼女にはさまざまな苦情が寄せられていた上、お金を盗んでいたことが判明。1995年3月31日、セレナはサルディヴァルに責任を問いただし、サルディヴァルはセレナを射殺した。彼女が亡くなった2週間後、当時テキサスの州知事だったジョージ・W・ブッシュは、彼女の誕生日である4月12日を、セレナ・デーとすると発表している。

死後11年たつ今も、彼女の人気は衰えず、MACコスメティックスは、昨年、セレナに敬意を表するセレナ・コレクションをリリースしている。

このほかにも、ジョン・ベルーシは33歳、コーリー・モンティスは31歳、クリス・ファーレイは33歳、フィリップ・シーモア・ホフマンは46歳、マリリン・モンローは36歳で亡くなっている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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