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高畑裕太さん釈放後の弁護士コメントは、被害者女性を傷つけてはいないか?

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
2016年5月12日の高畑さん(写真:アフロ)

強姦致傷容疑で逮捕されていた俳優・高畑裕太さんが不起訴処分となり、9日に前橋署から釈放された件について、担当弁護士が報道各社にファックスで事件についての説明を行った(「高畑裕太さん釈放で担当弁護士がコメント…FAX全文」スポーツ報知)。

高畑さんが不起訴・釈放となったのは、被害者女性との間に示談が成立したことが大きいだろう。しかし示談が成立したあとで、「私どもは高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません」と弁明しながら、声明を出すことには疑問を禁じ得ない。「被害者とされた女性」の言い分はまったくわからないまま、一方的に、「加害者とされた男性」(対になるのはこの言葉だろう)の一方的な言い分を発表することは、どういうことだろうか。

被害者を支援するひとは、きちんと法廷で闘うことを望むことが多い。加害者の側に立つひとは、「示談を受け入れるなんて、お金目当てだったのか」という非難をぶつけることもある。しかし被害者の側からすれば、とくにこれだけ注目され、報道されている事件に関して、長い裁判に付き合い、そして闘っていくことは、心身ともに疲弊することである。また時間も労力も多大な犠牲を要求される。たとえ相手を許していなかったとしても、示談を選択する事情は、じゅうぶん理解可能であるし、その選択もまた非難されるべきではない。

また示談を受け入れたことが、事実関係の否定を意味するわけでもけっしてない。事件で混乱し、疲れ切っているときの示談交渉は、本当につらいことだと聞く。「自分のせいで誰かの人生を狂わせていいのか」「私の被害がそこまで大きな意味をもっていいのだろうか」ということを、被害者が考えさせられること自体が、暴力的であるとさえいえる。狂わされているのは、被害者の人生であり、事件が被害者にとって大きな意味をもつことは、事実であるにもかかわらず

被害者は、このような声明がだされることを事前に知らされて示談に応じたのだろうか。不起訴・釈放には、示談成立が考慮されたことが事実といいながら、「悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情ない限り、起訴は免れません。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではありません」ということは、悪質性は低く、犯罪の成立も疑わしく、(示談で支払った)お金のせいでもないと主張しているのと同義ではないか。当初の報道では、加害者は容疑を認めていたという(もちろん、警察発表による報道ではあるものの)。被害者女性はこの声明を、どのような思いで聞くのだろうか

知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。

出典:高畑裕太さん釈放で担当弁護士がコメント…FAX全文

加害者のほうは、「合意があるものと思っていた可能性が高く」「事実はなかったと考えて」いるとは、もってまわったいいかたである。人間がどのように考えるのも自由であるし、思い込みの「可能性の高さ」と判断するのも自由である。しかし現実には、加害者の「思っていた」主観と、被害女性の言い分を突き合わせたうえで、「事実」というものは確定されるのではないか。裁判になっていれば無罪主張をしたと思われるに至っては、当たり前ではないかといいたい。加害者が無罪主張をするのと、判決で無罪が確定するのは天と地ほどの差がある。

一般論として、当初は、同意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません

出典:高畑裕太さん釈放で担当弁護士がコメント…FAX全文

被害者が明確に拒否を示したとしても、加害者に伝わらなければ、犯罪にはならないというのだろうか。そしてここにいたって、私たちもとつじょ、居心地の悪い思いをするはずだ。

高畑さんはバラエティで活躍してきた。そのときに私たちが消費してきたのは、彼の「天然さ」「空気の読めなさ」「コミュニケーションの取れなさ」である。とくに高畑さんが「性欲が強い」と何度も公言し、高畑さんが女性にぐいぐいと迫っていくさまや、相手の女性が明確に拒否したり気持ち悪がったりしているにも関わらず、まったく伝わらないディスコミュニケーションをことさら取り上げて、笑ってきたのではなかったのか。仮に被害者女性の拒否がまったく加害者に伝わらなかったとしたら、加害者に「それでいい」と思わせた責任の一端は、仕事のあり方になかったのだろうか。

しかし繰り返すが、女性が拒否を示していたとしても、加害者に読み取り能力がなければ犯罪にはならないとは驚いた。本当に法律はそんな風にできているのか。もう一度、法の専門家に聞いてみたい。もちろんこの弁護士さんも専門家ではあるのだけれど。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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