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親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのか

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

親子断絶防止法に対する懸念が各方面から出されている。NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石千衣子理事長(「親子断絶」防ぐ法案に懸念)、同じくNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長(「親子断絶」を防ぐ法案成立に潜む大きなリスク)といった、いわば離婚家庭の「現場」を知る人たちである。毎日新聞でも、懸念が報じられている。大手メディアがそろいにそろって否定的意見を紹介しているのが、意外だった。一般的には渡辺理事長のいうように、

離婚した後も、親は親であり、だから、母子家庭でも、時々別れたお父さんと会う事は良い事だと、私も思っていた。だから、この法律もいいんじゃない?と思っていた。

出典:「親子断絶」を防ぐ法案成立に潜む大きなリスク

というような感想をもつひとが多いのではないかと思っていたからだ(渡辺理事長のこの文章のあとには、「しかし、キッズドアを始めてそんなに簡単ではないという事を思い知った」「しかし、実態は、そんなきれいごとばかりではない」という文章が続く)。

ところが、親子断絶防止法全国連絡会のHPに行き、議員立法をクリックして、仰天した。これは大変だという危惧を私ももった。まず保岡興治衆議院議員(議員連盟会長)の言葉。

現状、家庭裁判所がどちらの親に親権を与えることが適切かを判断するにあたり、監護の継続性を重視していると言われています。つまり、子どもの現状を尊重し、特別な事情がない限り、現状の養育環境を継続したほうが良いという考え方です。

この考えを悪用し、離婚後に単独親権を求める親が、子どもを連れ去るケースが頻発しているようです。こうした連れ去りを防ぐ法制の検討が必要です。

出典:親子断絶防止議員連盟が目指す法律

法律の目的を子どもの連れ去り防止だと、まず宣言しているからである*1。つまりよくドラマで見る、夫婦喧嘩の挙句「子どもを連れて、実家に帰らせていただきます」ということを禁止したいというのだ。しかし実際には、そういうのんびりとした事例ばかりではない。家から子どもを連れて出なければいけないのは、まずもってDV被害者だろう。住み続けた家から、好き好んで逃げるひとは多くはない。ちなみにアメリカなどでは、追い出されるのは加害者のほうだ。

これを禁止されたら、赤石事務局長も心配するように、DV被害者はたまったものではない。暴力の現場から逃げ出そうとするならば、子どもを置いて逃げるしかなくなってしまう。各団体が懸念を示したのは、当然だろう。

続いて馳浩衆議院議員(議員連盟事務局長)の言葉。

(離婚をするのは仕方がないが)子どもの立場になってよ。

いさかいをし、口論し合う姿を見せつけられる子どもの心理を考えたことがあるか?

家庭内のDVで、子どもの心もからだも表情までも凍りつかせている意識はあるか?

日本は、離婚をしたら、単独親権である。

(離婚後は)DVを毎日見せつけられていたので、憎しみだけが増幅し、トラウマとなり、人間不信に追い込まれる。

本来ならば、家庭教育において人間社会の縮図を学ばなければならないのに、一方的に片親だけという現実を突き付けられ、成長の機会をうばわれる。

離婚で心身ともに傷つけられるこの親子断絶問題は、新たな児童虐待の類型とさえ考えられる。

とりわけ、無断の連れ去りによって、有無を言わさずに親子関係を断ち切られたケース。

これは、拉致、ゆうかいではないのか?

出典:親子断絶防止議員連盟が目指す法律

ちょっと論旨が分かりにくい。離婚は仕方ないが子どもの立場を考えろと言われるが、論理は逆ではないか。家庭内のDVで「子どもの心もからだも表情までも凍りつかせている」と思うからこそ、離婚が起こるのではないだろうか? 家庭内のDVは、子どもに対するものでなくても、「目前DV」として児童虐待にあたることが明確化されている(2004年の「児童虐待の防止等に関する法律」の改正)。まさに子どもの立場を考えたら、DV家庭から子どもを救出することは不可欠な行いではないか。

DVを毎日見せつけられていたことの影響を馳事務局長は、きちんと述べられている。しかしその結果が、「片親だけという現実を突き付けられ、成長の機会をうばわれる」ため、別居した親に会わせろというのだから仰天した。DV親に会わせることを全面的に反対することはできないかもしれないが、そこにはもう少し慎重さが求められるのではないか。この法案を通そうとしているかたたちが、DVをどう考えているのか、不安になってくるのである。子どもと逃げることを、拉致、ゆうかいとまでいうためには、そこをきちんと考えておく必要があるのではないか。

もちろん、「原因が明確なDVである場合」などは、「それは当然な連れ去りであり、自治体には女性センターなどに一時保護施設もあり、社会通念上、容認されている」と述べられている。「ところが、この制度が悪用され、離婚することと、子どもを確保することだけが目的の「無断の連れ去り」事案が横行しているのである」と力点は後者にある。ここではすでに離婚が問題ではなく、離婚のまえの別居に際して、子どもを連れて逃げることが問題とされている。

これは甚だしく疑問である。もしもこの「連れて逃げる」ひとが、母親だと想定されているのだったら、あまり意味のない規定である。馳事務局長が認識しているように、「だいたい、日常的に養育をし、監護している親に、親権が与えられる。できるだけ、子どもの置かれている日常的な養育環境が安定していることが優先される」のだから、親権は母親に与えられるのが普通だからである。そのままにしていても自分に親権が与えられるにもかかわらず、子どもを連れて逃げるというのはどのようなケースなのか、想像力をめぐらしてみれば明らかだ。父親が子どもを連れて逃げるケースを批判できる、女性に優しくむしろ男性に厳しい想定であるが、今の日本の現状を考えれば、その数はあまり多くないだろう。

離婚の抑制という意味であったら、効果はあるのかもしれない。日本の法律では相手が拒否している場合、配偶者が証拠を伴う浮気でもしてくれない限り、すぐに離婚することは難しい。特に周囲にわかられにくいモラハラなどを理由にする場合は、なおさらである。したがって多くの人は5年ほどの別居期間を作って、婚姻を継続しがたい重大な事由を客観的に裁判所に証明しようとする。その際に子どもを連れて逃げたら拉致ゆうかいだといわれれば、子どもを取るか、離婚を取るかという選択をせざるを得ない。

しかし不仲の夫婦の調査の経験からいえば、多くのひとは自分だけに配偶者からの暴力や理不尽な行いがある場合は、まだ結婚生活を我慢をしている。結婚生活が子どもの養育への悪影響を及ぼしていることに気がついて、離婚を決心することが多いのである(もちろん、私の調査対象者のサンプルバイアスもあるかもしれないが)。決心するのが女性の場合、女性の賃金を考えれば、シングルマザーを取り巻く状況はあまりに厳しいのは周知の事実だ。男性も、家庭と仕事の両立はそう楽なものではない。大きな選択なのである。したがって離婚にかんして「夫婦の問題を親子に持ち込むな」「夫婦は壊れても親子は親子」といった考え方は、短絡的であると私は考えている。それがどれだけ事実を反映しているのかはさておくとしても、子どもがいる場合は「子どものために」離婚する親はとても多く、夫婦や親子の問題は二者の関係ではなく、家族全体のなかで考えられる問題である。

子どもを連れて家から逃げるのが女性が多いとすれば、「離婚後に単独親権を求める親が、子どもを連れ去るケースが頻発」しているという保岡会長の言葉は意味がない。問題は、会長も事務局長もが、わざわざ「単独親権」と強調している点にある。あたかも単独親権を求めることが悪いことであるかのように描かれているが、そもそも日本の法律では単独親権しか認められていない。

この法案をよく読めば附則の部分で、共同親権を導入すべきであるとはっきり書いてある*2。民法の大きな根幹にかかわる変更を、このような法案で簡単に指示することは不適切である。導入には慎重な議論と検討を重ねるべきことである。

外国では共同親権を導入している国がすでにある。例えばアメリカでの共同親権を選択した親子の20年後の聞き取り調査としては、共同親権を選んだ親同士の関係は「かなり友好的、協力的だろう」という調査者の思い込みからは遠く、半数以上が、離婚時に対立関係にあり、離婚後も長年にわたって対立関係が続いているというものがある。

対立関係にある親が共同親権を選択した理由は、母親から離婚を言い出したケースが多く、母親の多くは単独親権を望んでいたが、夫の要求に「屈して」、取り決めに妥協したのだという。離婚原因は、夫のアルコール依存症、虐待などさまざまであるが、訴訟を避けるためか罪の意識からか、共同親権を選択した。父親の多くは家族の住んでいた住居に残り、母親が小さな住居に移っている(当時は家族の住んでいた家には、母親と子供が残るのが通例だった)。共同親権となった場合は母親に支払われる養育費が減額されたり認められなかったりする結果となり、父親に較べると母親は家の維持にかかわる経費を負担する余裕がなかった(『離婚は家族を壊すか―20年後の子どもたちの証言』Constance Ahrons 著よりまとめ抜粋

共同親権を導入するとしたら、子どもを連れての旅行や転居にも許可が必要となる。転勤を命じられても、受けられないことも起きてくる。養育費の算定も変わってくる。それこそ学校の選択から子どもの歯列矯正まで、すべてに取り決めが必要である。面会交流や子どもの共同監護をサポートが何もない状態で、女性が経済的に自立するのが難しい現代の日本で、共同親権を導入する機が熟しているかどうかにはそれこそ国民的な議論が必要であろう。離婚というのは、夫婦関係の破たんを意味する。共同親権でうまくいく父母は、単独親権であっても協力し合えるだろうというのが偽らざる感想である。うまくいかない夫婦の場合、子どもを媒介として、相手の人生にずっと影響力を及ぼし続けることが何を意味するのかも、考えなければならない。

共同親権や子どもの面会交流は権利であるといっていいし、否定することはしない。しかしそれは子どもの権利というよりは、もう片方の親の権利である。この議論での危惧は、離婚したあとに両親と交流することこそが健全で、そうでないと子どもが健全に育たないかのような記述が散見されることである。ただでさえ「健全な」家庭に較べて、シングル家庭は「健全ではない」と差別されがちである。離婚してまでも、両親と会っていないから、片親だけだから「健全ではない」というレッテルを貼るのはどうだろうか。さらなる差別にさらされるのではないか。議論の際に、いまいる子どもたちを傷つけないように配慮していただきたい。

*1 この記述のあとに、「さらに」として、面会交流促進の重要性が記述されている。

*2 親子断絶防止議員連盟の総会で配布された要綱と法案は、面会交流等における子どもの安心安全を考える全国ネットワークのHPで読める。この法案に対する疑問なども、掲載されている。

* 面会交流などに関してはまた後日記事にする予定である。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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