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兵役とスポーツ(1)キム・ミヌはなぜ、この時期に「大好きな鳥栖」を離れるのか

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
サガン鳥栖ではキャプテンも務めたキム・ミヌ(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

Jリーグのサガン鳥栖のキャプテンであるキム・ミヌ(金民友)が来季契約をせず、韓国に戻ることになった。

理由として報じられているのは兵役に就くためだが、兵役は日本にないだけに馴染みがなく、「なぜこの時期に?」と思われるファンたちも多いだろう。

まず、前提して韓国には成人男子に約2年間の兵役が義務づけられている。スポーツ選手の場合、オリンピックで金・銀・銅、アジア大会で金メダリストになれば兵役免除の恩恵に授かれることもあるが、基本的にはスポーツ選手であろうと芸能人であろうと、政治家の息子や大財閥の御曹司であろうと関係ない。成人男子には「国防の義務」があり、満29歳までにその義務に従事しなければならない。

(参考記事:【まるっとわかる韓国の兵役】徴兵制は韓国男児の義務!

今年でいうと1987年がタイムリミットで、人気グループBIGBANGのT.O.Pが先日、兵役代替え制度のひとつである義務警察試験を受けた背景にも、タイムリミットが迫っていたからだろう。

では、1990年生まれのキム・ミヌはなぜ、この時期だったのか。

キム・ミヌの場合、別名“尚武(サンム)”と呼ばれる国軍体育部隊か、警察庁チームに入隊するためだと思われる。

いずれも優れたスポーツ選手がトレーニングや試合に専念できる兵役代替え制度で、優秀なスポーツ選手の競技感覚を維持させるための受け皿であり、当然、代表歴や実績のある一流選手しか入隊できない。設備も環境はもちろん、過去の入隊者もエリート揃いだ。

(参考記事:韓国スポーツと兵役 別名・尚武(サンム)と呼ばれる国軍体育部隊とは何か

ただ、サッカーの場合、尚武や警察庁への志願申請時に国内クラブに所属していることが条件となる。

かつてJリーグで活躍したイ・グノやチョ・ヨンチョルを覚えているだろうか。彼らが順風満帆だった日本での選手生活を閉じてKリーグに戻ったのは、尚武や警察庁サッカー団への入隊条件を満たすためだった。

チョ・ヨンチョルは今も尚武でプレーしている。今季途中までKリーグでプレーした元大宮アルディージャで現在はカマタマーレ讃岐に所属する渡邉大剛は、Kリーグ生活を「まるで軍隊生活のようでした」と語っているが、実際に軍隊生活に近いような生活を送っているわけだ。

(参考記事:日本人Kリーガー渡邉大剛が見て感じた“日韓サッカーの決定的な違い”)

おそらくキム・ミヌも一旦、韓国に戻ってKリーグのクラブと契約し、そこから尚武か警察庁への入隊準備を進めていくのだろう。

90年生まれのキム・ミヌだが、尚武も警察庁も、募集締め切り基準で満27歳までとなっている。つまり、来年はKリーグに所属していなければ、志願申請できない。

現在、プレミアリーグで活躍するソン・フンミンのように、今後のオリンピックやアジア大会に望みをかけられる状態でもない。除隊後の選手生活のことも考えれば、タイミングは今しかなかったわけだ。

(参考記事:リオ五輪ピッチに泣き崩れたソン・フンミンの涙のワケと“最悪のシナリオ”)

いずれにしても今年を最後に、日本を離れることになったキム・ミヌ。兵役は韓国国民の義務だとわかっていても、どこか空しくもどかしい。数年前にインタビューしたとき、彼のサガン鳥栖愛をじっくり聞くことができたので余計に胸が締め付けられる。

キム・ミヌは言っていた。

「PSVの入団テストに落ち、大学も退学になって、Kリーグにも行けず不安を抱いている頃に声をかけてくれたのが鳥栖でした。鳥栖が声をかけてくれなかったら今の僕はなかった。そう思うと、鳥栖は僕にとって第二の故郷と言える場所なんです」

今はただ、兵役を無事に終えて一段とたくましくなったキム・ミヌが、彼が望むように「ふたたびベアスタに戻ってくる日が来る」ことを願わずにはいられない。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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