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洪明甫(ホン・ミョンボ)インタビュー「カリスマが語る日韓中サッカー比較」(2)

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
ホン・ミョンボ監督(写真:Action Images/アフロ)

韓国サッカー界の“永遠のキャプテン”とも言われるホン・ミョンボ。現役時代は韓国代表としてAマッチ出場136回(韓国サッカー史上最高)を数え、Jリーグのベルマーレ平塚(現・ベルマーレ湘南)や柏レイソルで活躍。アメリカMLSのロサンゼルス・ギャラクシーでもプレーした。

指導者としても2度のワールドカップを経験し、ロンドン五輪で韓国に銅メダルをもたらしたあとは、韓国代表時代の恩師フース・ヒディンクが指揮を執っていたロシアのFCアンジ・マハチカラで指導者研修も受けている。

■中国の選手たちに施した意識改革

まさに国際経験豊かな彼だが、中国サッカーについてはあまり詳しくなかったという。

「中国サッカーとの接点と言えば、現役時代にAマッチで何度か対戦したくらいであるし、指導者としても東アジアカップなどでの対戦など、代表レベルでの印象しかなかった。韓国と中国のサッカー戦争はともかく、中国スーパーリーグについては何も知らなかったと言ってもいいでしょう」

その中国で最初に取り組んだのは選手たちの意識改革だったらしい。

「中国の選手たちは自己管理に対して甘さがありました。暴飲暴食までとは行きませんが、例えば体脂肪に気を配る様子はなく、オフやリーグの中断時期を終えてチームに戻ってくると、体調管理を疎かにしてきたせいか、まったく“戦える状態”ではない。ちょっと痛かったら休もうとするし、ちょっと厳しくハードなことを求めると楽して避けようとするところがあったんですね。アマチュアまでとは行きませんが、プロのサッカー選手として備えていなければならない自覚や責任感が足りなかった。だから、なぜ準備せねばならず、なぜ一生懸命に汗を流さなければならないかということを説き続けました。そういった部分を何度も説き続け、理解させ、また説明を繰り返しました」

現在、中国には元韓国代表コーチのパク・テハ監督が延辺富徳、かつて大宮アルディージャを率いたチャン・ウェリョン監督が重慶力帆、中国通で知られるイ・ジャンス監督が長春亜泰、そしてFCソウルを指揮していたチェ・ヨンス監督が江蘇蘇寧で指揮を振るっている。

(参考記事:“爆買い”中国マネーに侵食される韓国サッカー。「Kリーグ・エクソダス(大脱出)」の前兆か!?

■中国が韓国人監督に期待しているもの

選手だけではなく、監督さえも中国に引き抜けているが、その理由がホン・ミョンボの言葉にあるような気がする。

ハードなトレーニングはもちろん、私生活も徹底管理する指導法で選手たちの精神力を鍛える韓国人指導者のやり方は、淡白さが指摘される中国人選手に意識改革を促すわけだ。

ただ、中国の選手たちに高圧的に接することはなかった。現役時代の実績や経験を強要するようなやり方は、選手たちを萎縮させ、挫折感と劣等感を植え付けてしまうことにもなりかねないからだという。その指導哲学は昔も今も変わらない。

(参考記事:日本を熟知する“韓国サッカー界のカリスマ”ホン・ミョンボが見たニッポンとJリーグ

「監督だからといって、または外国人だからといって“私の言う通りにやりさない”というアプローチでは選手も付いてこないと思うんです。彼らが子供の頃らか育った環境や文化、人間関係などを把握した上で、彼らと接しました。私も中国の文化を理解しようと努め、その上でチームのスケジュールや方向性を定めていきました。規則やルールを設けて、“どこが間違ってるいるか”、“チームのために個々が何をしなければならないのか”ということも、はっきりと伝えました」

強調したのは、チームへの献身と犠牲精神。それは韓国で「ホン・ミョンボ式リーダーシップ」と呼ばれた監督ホン・ミョンボの哲学である。そして、そんな自身の哲学が杭州緑城に浸透していく手応えを感じたという。

「シーズンをともに過ごしていく過程の中で、選手たちが次第に変わり成長していることを実感でました。負けたとしても個人ではなくチームとして戦ったとき、我々は何を手にすることができるかなど、選手たちの意識が変わり、闘争心も高まっていることも感じました」

例えば杭州緑城は過去6年間、広州恒大に勝つことも引き分けることも一度もなかった。2009年以降の対戦で12連敗だったという。だが、ホン・ミョンボ監督が就任した昨年の対戦では、アウェーにもかかわらず1-1のドローと健闘した。

■「選手を育て成長させてこそ、監督としての成功だ」

また、アウェーで3連勝して杭州に戻ってくると、空港に300人を超えるサポーターが出迎えに来てくれたこともあったという。そんな光景に出くわすたびに選手との信頼関係も深まっていったという。

「シーズン前は選手のほとんどが若手で、果たして彼らは自らの限界を超えることができるだろうかと思った時期もありましたが、結果的に言うと杭州緑城の選手たちは乗り越え成長したと感じました。フィジカル面も、戦術面も、精神的な面においても、彼らは確かな成長を見せてくれた。そんな彼らとこれからもともに戦いたいという気持ちが、2部降格となっても私が杭州緑城を選んだ理由です。中国の選手たちはとても純粋で、何かを学ぼうという意識がある。その純粋さに私も惹かれ、彼らがよりよい選手に成長していく手助けができることに、やり甲斐を感じているのです」

中国で見つけた新たな“やり甲斐”。それは監督ホン・ミョンボがこれまでなかなか感じられなかったものかもしれない。

というのも、韓国ではオリンピックやワールドカップに挑む代表チームばかり指揮してきた。結果だけを求められ、好成績を残さなければ“成功した監督”とは見なされなかった。逆に結果を残せなければ、無能のレッテルを張られ、人格攻撃にもさらされる。ブラジル・ワールドカップなどがまさにそうだった。

(参考記事:容赦なき抹殺批判乗り越え中国で再起したホン・ミョンボの決断を後押した日本サッカー関係者とは?

だが、杭州緑城で若い選手とともに過ごし彼らの成長を目の当たりにしながら、ホン・ミョンボの中で“成功した監督”の定義が少し変わった。

「選手を育て成長させてこそ、監督としての成功だ」。結果だけで測り評価できない“尊い価値”があると感じるようになったという。

「もっとも、選手を育て結果も出すことが究極の理想でしょう(笑)。そう意味では、昨季は結果を残せなかったので“半分の成功”でした。だからこそ、今季は選手の成長とチームの成績という両方を追求していきたい。1年でスーパーリーグに復帰することが、私が自分に課す使命です」

ただ、凄まじい勢いで変化と成長を遂げている中国サッカー界で結果を残すのは簡単ではないという。次回はホン・ミョンボの目から見た中国サッカーの深層を、日本や韓国との対比を交えながら紹介したい。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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