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映画「ガレキとラジオ」ヤラセ問題、新事実が続々

篠田博之月刊『創』編集長

ドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」にヤラセがあったとする朝日新聞の報道に対して、その情報源とされた女性が、記事は捏造だと抗議している事件、実は4月16日夜に一度、その女性の代理人に聞いた話をこのブログにアップしたのだが、それに対して事実と異なる部分があると朝日新聞側から指摘がなされたので、一度全文を削除した。3月5日の朝日報道、それを後追いした6日の毎日報道がどういう取材によって書かれたものなのか女性側の説明を紹介しようとしたのだが、細かい事実確認をした結果でないと、確かに混乱が生じる怖れがある。そして何よりも、私が書いた記事が、どこまでがその代理人の話か明記せず、~がわかった、という書き方をしたことも誤りだった。おおいに反省したい。

当初、私は、取材のプロセスそのものを公開していき、それへの反応も含めて議論を作っていこうと考えたし、それがネットというメディアの特性にあっていると考えたのだが、拙速は混乱を招くということもある。朝日新聞は10日に現地に人を送って事情聴取も行っているし、近々公式見解も出るだろうから、改めて事実確認した結果を報告しよう。

ただ、そういう報道をめぐる事実経過を調べることは大事だが、もっと大事なのは、「ガレキとラジオ」がどんなふうに製作され、ヤラセという指摘についてどう考えるべきなのか、またヤラセが指摘された後の対処のしかたがどうなのか、という検証と議論だろう。今回、今年3月の報道で初めてヤラセ問題が公になり、「ドキュメンタリー映画における演出とヤラセ」という大事な問題が提起されたのに、それについてきちんとした議論や社会的検証がなされないという、この状況には疑問を感じざるをえない。

これは、差別表現が見つかって抗議を受けた時に、その作品自体を封印してしまい、何が差別表現なのかという議論もできなくなってしまうというケースに似ている。製作側が謝罪して作品を封印するというのは、それ自体は潔いという評価もできるかもしれないが、表現をめぐる問題は、社会的議論をすることが大切だ。映画に出演した人たちから、作品全体を封印するのでなく、別の方法はないかという切実な声が起きていることも勘案すべきだろう。何よりもまず、きちんとした議論を起こせるよう、製作側も考えてほしい。作品を封印することでなく、それこそが本当の謝罪反省だと思うし、そもそも既に公開された作品だから、単純に封印して済ませてよい問題ではないと思うのだ。

以上、それぞれ関係各所に申し入れを行っている部分もある。近々、その結果を公開する予定だ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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