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相模原障害者殺傷事件現場「津久井やまゆり園」に足を運んでみてほしいと私が思う理由

篠田博之月刊『創』編集長
津久井やまゆり園で献花する人たち

相模原で障害者が19人も殺害された現場「津久井やまゆり園」を訪れたのは8月3日、暑い日だった。行ってみると予想以上に交通の便が悪く、なかには相模湖駅に着いてもバスもタクシーもつかまらず立ち往生する人も少なくなかったらしい。そういう場所に事件後1週間以上たっても献花に訪れる人がたくさんいたのが印象的ではあったが、もうひとつ私が感じたのは、まさに「人里離れた」ということがふさわしい「津久井やまゆり園」の都市部との距離感だった。

通ってくる入所者の家族も大変だろう、そういう場所に重度の知的障害者の施設があるという、そのことがもたらす感覚は、彼ら障害者とその家族が抱えている重たい現実を象徴しているように思えた。建物のたたずまいも、その広大な敷地の全容が道路からはわからないようになっている。事件について関心のある人は資料を見るだけでなく、ぜひあの現場を訪れ、その距離感を肌で感じてほしい。

同園はいろいろなイベントを近隣の人たちを招いて行い、地域との交流を大切にしていたという。たぶん地域と隔絶されぬよう、偏見を持たれないようにという配慮なのだろう。そういうことも含めて、現場を訪れて感じる印象は、障害者をめぐる問題、そしてこの事件の深刻な現実を現しているように思えた。事件を取材する時に、こういう「現場」をめぐる実感を身体的に味わうのは大事なことだ。

さて、前回、この事件について書いた私の記事への反応で目についたこのコメントの一部を紹介しよう。

《なんですか、この方。精神異常者の擁護派ですか?日本に性犯罪や幼児虐待、ストーカー殺人がいつまでたってもなくならない、いや更に増えつつあるのは精神異常者や薬物中毒者を野放しにしてるからじゃないですか。身体の障害とは全く意味が違う。同じ土俵で差別を問題にする意味がわからない。(以下略)》

コメント欄の一番上にあったので目についたということもあるのだが、facebookへの書き込みらしい。一応実名での発言らしいし、意図的に悪意をもってコメントしているわけでもなさそうだ。もしかすると一部市民の平均的な感想かもしれない。私が措置入院の強化拡大を批判したことに反論したのだが、精神障害者と精神異常者という言葉をほとんど重ねて使っていることも気になるが、それ以上に気になるのは「野放しにするな」という対象に、身体障害者は別だ、とわざわざ断りを入れていることだ。今回の事件で被害にあったのは重度の知的障害者と言われているのだが、この人は知的障害者をそのふたつの分類、許せる障害者と許せない障害者の、どちらに入れているのだろうか。

そんなことを感じたのは、どうも今回被害にあった障害者の実像が十分にマスコミでも伝えられていないのではないか、という気がするからだ。そうでなければ障害者がこれだけの惨劇にあった直後に「日本に性犯罪や幼児虐待、ストーカー殺人がいつまでたってもなくならない、いや更に増えつつあるのは精神異常者や薬物中毒者を野放しにしてるからじゃないですか」という言葉は出てこない気がするのだ。

今回の事件のそのあたりの難しさを反映しているのが、被害者の実名公表をどう考えるべきかという問題だ。実は3日に現場を訪れた時、たまたま知り合いのジャーナリストと顔を合わせたのだが、真っ先に「篠田さんはどういう意見ですか?」と訊かれたのがその問題だった。私は「実名を報道するかどうかは報道するものの判断に従って決めればよいうと思うが、警察が報道機関にも実名を明らかにしないのは誤りだと思う」と答えた。これはたぶんマスコミ全体の多数意見だと思うが、その原則通りにいかない事情が今回の事件にあることもまた確かだと思う。帰京後、下記の産経新聞4日付の記事を読んで、その思いを強くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160804-00000074-san-soci

産経は事件発生後、一貫して、警察が実名を公表しないのを批判してきた新聞だ。

http://www.sankei.com/affairs/news/160727/afr1607270011-n1.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160731-00000056-san-soci

警察が「遺族の意向で」と説明するのをそのまま鵜呑みにしてはいけないというのも原則だ。ただ上記の4日の記事は「犠牲者19人のうち18人の遺族に確認したところ、いずれも実名での公表を希望しなかったという。残る1人の遺族についてもその後、弁護士を通じて実名公表を希望しないとの意向を確認した」と、極めて具体的だ。一般の事件でも遺族の中には、家族を失って悲しんでいる時にマスコミに騒がれたくない、という思いはあるが、やはりこの事件の場合は特別な思いがあるのだろう。重度の知的障害者に対する世間の偏見や差別という問題を抜きにはこの事件は語れない。

もちろん、だから警察の対応も仕方ない、などと言うわけではない。何人かの被害者の家族は実名を名乗って、被害者について語っているし、殺害された19人の遺族の中にも、匿名で取材に応じている人はいる。彼らは恐らく、この事件を機に障害者に対する世間の関心が高まった時に、少しでも偏見を持たれることのないよう、障害者の実情を少しでも理解してほしい、そのために発言すべきだと考えたのだろう。その勇気には敬意を表したいし、何とかして当事者を説得し、そういう声を引き出すのがジャーナリズムの仕事だと思う。当事者が嫌がっているのに無理やり実名や写真をさらすというのは論外だが、今回の事件を前にしてはさすがにそこまでトンデモない報道機関はありえないと信じたいが、いずれにしてもそうした難しい状況の中で取材し報道することの意味を、現場の記者は日々考えさせられていると思う。

前のブログ記事に書いた通り、私は熱血弁護士・副島洋明さんが関わった事件を取材することで知的障害者の問題に関わる機会を得たのだが、例えば知的障害者への差別や偏見を示す事件として2005年に問題になった「宇都宮冤罪事件」がある。重度の知的障害者が強盗犯として逮捕され、本人の自供もあって懲役7年の求刑を受け、まさに判決が出るというその時に、別の事件で逮捕された人物が真犯人であることが判明したという事件だ。まさに首の皮一枚のタイミングでその障害者は無罪になったのだが、真犯人が判明しなければ彼は明らかに実刑判決を宣告されていた。やってもいない容疑で逮捕され、警察の誘導によって犯人にされてしまうというのは、彼が知的障害ゆえに自己を守るスキルを欠いていたからだが、それ以上に、警察や世間の偏見というのがこの冤罪事件の背景になる。途中から弁護人として関わり、果敢に事件の真相を暴いていったのが副島弁護士だった。2005年頃、月刊『創』はほぼ毎号のように、この事件の進展を副島弁護士のインタビュー記事で追及していったが、それ以上に当時大キャンペーンを張ったのが地元紙・下野新聞だった。

という話を説明しようとしてネットで検索したのだが宇都宮事件についてのまとまった報告はほとんどネットには残されていない(トホホ)。私も当時は、こういうヤフーニュース個人のような場がなかったために、ほとんどネットに記事を残すこともなく、副島弁護士とはそのうちに一連の経緯を本にしようと言っていたのだが、突然難病に冒され、還らぬ人となってしまった。

さっきネットでわずかに見つかった副島弁護士のインタビュー記事を紹介しておこう。ここで宇都宮事件についても語られている。

http://www.futoko.org/special/special-03/page0623-157.html#memo1

そのほかにも私は副島さんを通じて幾つかの知的障害者が関わる事件に触れる機会があり、その過程で知的障害者の家族の話を聞く機会も何度かあった。だから多少の事情は知ってはいたのだが、今回、「津久井やまゆり園」を訪れ、それが予想以上に人里離れた場所にあることを知って、その風景の背景に、知的障害者やその家族が偏見や差別に苦しんできた現実が影を落としているように感じられてならなかった。

今回の事件は、社会に存在する深刻な問題を幾つも浮き彫りにした二重三重に深刻な事件だ。背景にあるものも含めて、きちんと社会に問題を提起していくことが、いま報道機関に求められていると思う。

ということで最後に明日8月6日午後に東大先端科学技術研究センター(駒場)で開かれる集会に私も行こうと思っていて、その集会案内を紹介してこの記事を終わりにしよう(別に私は主催者でも何でもなくただ聞きに行くだけだが)。

「津久井やまゆり園事件追悼集会」

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdt5_ZWRYLJo9WmmAQYiY-vbZKunfDO1Qc8fnez_0E3CDPRtw/viewform?c=0&w=1

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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