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児童の首から下を想像してCGで制作した、リアルな裸の画像は「児童ポルノ」なのか? (1)

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士

■まるで実写、CGの脅威的な技術

出典:http://www.templates.com/blog/
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最近のコンピュータ・グラフィックス(CG)技術の高さには目をみはるものがあります。たとえば、右のCGで制作された画像を見てください。「彼女」は、現実のこの世界に存在しない、純粋なイメージですが、もう実写とほとんど区別がつかないほどの出来ばえですね。近い将来、生身の人間をまったく使わなくとも、映画を制作することは可能となるでしょう。その時、俳優たちは失業し、ハリウッドのスタジオは映画博物館として観光名所になっているかもしれません。

リアルすぎ!まるで実写なハイクオリティCG画像集

このようなCGの技術は、犯罪の世界にも深刻な問題を生じさせます。

たとえば、現実の俳優をまったく使わずにポルノを制作することはもちろんのこと、さらには、実際の子どもを被写体とせずとも、リアルな児童ポルノを制作することも可能となるでしょう。CGで制作されたリアルな(成人の)ポルノについては、今の刑法に従って「わいせつ」かどうかの判断をすることになり、とくに刑法を適用する上での特別な問題は生じません。しかし、CGを使って実写と見間違うばかりに制作されたリアルな児童ポルノ、つまり実際の児童が一切登場しない純粋なイメージとしての児童ポルノは、現行の児童ポルノ禁止法によって処罰することは可能なのでしょうか。また、服を着た実際の児童の写真を元に、その子の首から下を想像してCGで制作したその子の(超リアルな)裸の画像も、「児童ポルノ」として処罰できるのでしょうか?

■児童ポルノの問題性

人の性癖はさまざまですから、その人が何に性的興奮を覚えるのかもさまざまです。道徳的・宗教的あるいは教育的な問題は別として、個人が抱くその性的イメージがたとえ背徳的・犯罪的なものであっても、それが個人の内面的な世界にとどまる限り、それは法的には自由であり、国家は個人に対して好ましくない性的イメージをもつことを禁止することなどはできません。子どもに対して性的興奮を覚える者がいても、それがたんに個人の内面的な世界の出来事にとどまるならば、基本的に法の関心事ではありえません。それは、法と道徳の峻別を説く近代法の根本原理でもありますが、そもそも個人がどのような性をイメージしているかを外から確認するすべが存在しないのです。

ところがそこに特定の性的イメージを喚起させる道具として児童ポルノが登場すると、問題が一挙に複雑化してきます。

まず、児童ポルノを所持していたという事実から、子どもを性的対象としてイメージし、子どもに対して性的興奮を覚えていることが間接的に証明されることになります。一定年齢以下の児童を現実の性的行為の対象とすることについてはさまざまな法律によって犯罪としての否定的評価が下されます。児童ポルノはそのような犯罪的・背徳的なイメージを流布する「悪しき思想」の表現として問題視されることになります。

また、児童ポルノの存在によって、現実に子どもに対して性的な虐待が行われたということが証明されます。児童への性的虐待を記録し、それを配布する自由などは誰にもありません。それは、表現の自由との対抗関係において保護されるかどうかが問題となるものではありません。それは、被写体とされた児童に対する半永久的な性的虐待となり続けますし、被害者となった当該児童や家族に対する侵害の大きさははかりしれないものがあります。

このように、児童ポルノについては、基本的に2つの見方を指摘することができます。そして、児童ポルノについてどのような観点から規制の体系を組み立てるのかによって、具体的な規制のあり方が大きく異なってくるのです。(続)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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