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「アギーレ批判」に見る、日本サッカー界の未成熟

杉山茂樹スポーツライター

0勝2敗1分――。ザックジャパンは「本番(ブラジルW杯)」で、グループリーグ最下位に終わった(1−2コートジボワール、0−0ギリシャ、1−4コロンビア)。国民の期待を大きく裏切る、まさに惨敗だった。

とはいえ、僕の予想の範疇(はんちゅう)には十分収まる結果だった。世の中の期待が膨らむ一方で、僕が「危ない」と思った一番の理由は、何よりザッケローニ監督の、4年間の時間の使い方にあった。メンバーを固定化し、チームを早く作り上げてしまった。最後の半年は、遊んでいたのも同然。チームとしての成長は、ほぼなかった。

競馬のレースに例えれば、第1コーナー、第2コーナーまでは快調に走っていたが、第3コーナー手前あたりから徐々に後退。最後の直線では完全に失速し、馬群の後方に沈んでいったようなものだ。

つまり、ペース配分を誤っていた。W杯本番が行なわれる2014年6月から、強化プランを逆算して物事を考えることができなかったのだ。

原因はハッキリしている。目先の勝利にこだわったため、である。目の前の利益におぼれるかのように、平素の親善試合を、一戦必勝のトーナメント戦のように戦ってしまった。テストを怠り、ベストメンバーのイメージを、早々に固めてしまった。結果、チームは成長力を失ってしまった。

同じ過ちは、ジーコジャパン(2006年W杯出場)も、オシムジャパンを受け継いだ岡田ジャパン(2010年W杯出場)も、犯していた。要は、W杯に向けて3大会連続で失態を繰り返してきたわけだ。その理由はいずれも、その都度、反省・検証を怠ったからだ。なんでこうなってしまったか、よく考えないまま先へ進もうとした。協会も、メディアも、だ。

だからといって、「2度あることは3度ある」と言っても、「3度あることは4度ある」とは言わない。ゆえに、「今度こそ、ザックジャパンの反省・検証はしっかり行なわれるに違いない」「2018年W杯までの4年間は、さすがに大丈夫だろう」と思っていた。が、怪しいムードは早くも立ち込めている。

第一に、協会が反省・検証をきちんと行なっていない。メディアも同様である。反省・検証はメディアもすべきなのに、それがあまりにも足りていない。例えば、代表チームが毎回ペース配分を誤ってしまうのは、メディアにこそ大きな責任がある。にもかかわらず、相変わらずメディアは目の前の勝利を欲している。平素の親善試合においても、一戦必勝のトーナメント戦のように戦うことを歓迎している。

指揮官が「テスト」と称して、自分たちが想像する”オールスターキャスト”のイメージから外れた”非ベストメンバー”で戦うことが、その商売上、好ましくないからだ。勝利の確率が下がるメンバーで戦えば、ファン、視聴者の関心は薄れる。視聴率の伸びも、販売部数の伸びも期待しにくくなる。とすると、スポンサー収入にも影響が出るのではないか、と心配になる。

試合の”善し悪し”を、結果でしか判断できない悲しさが、そこにある。よって、一戦必勝主義を後押しする体質が、日本のメディアには染みついてしまっている。試合の中で何が敗因であるかを言えない理由、過ちを過ちと言い出せない理由も、そんな彼ら自身が内包する体質にある。

そうした状況にあって、「テスト」を謳うアギーレ監督を、快く思っているメディア関係者は今、どれぐらいいるだろうか。監督就任後、親善試合4試合しかこなしていないのに、早くも批判の声が沸き上がっていることを見れば、決して多いはずがない。

初采配となるウルグアイ戦(0−2)に敗れると、代表監督就任初戦を白星で飾れなかったのは「加茂周監督以来」という見出しが出た。ホームとはいえ、ウルグアイ相手に敗れたことが、そうした過去を持ち出すほどショッキングな出来事だっただろうか。

続くベネズエラ戦(2−2)に引き分けると、「我々は強い日本代表が見たいんだ」というファンの感情的な声を引き合いに出して、現状を嘆こうとするメディアまで現れた。

親善試合で勝利する日本代表が、本当に強いと言えるのか。

親善試合で何十勝もしても、本番(W杯)で0勝なら、その勝利は何ら意味を持たない。代表チームの”勝利”というものが、親善試合ではないことぐらい、ファンはともかく、W杯を取材した経験のあるメディア関係者ならば、誰しもわかるはずだ。

それなのに、今度はブラジル相手に0−4で敗れると、ある解説者は「代表はテストをする場所ではない」と不満をぶちまけた。元日本代表監督である岡田武史氏も、ブラジル戦後のあるイベントでこう語ったという。

「代表のユニホームを着る、日の丸をつける、という重みがだんだん軽くなってきたと感じて残念だった」

テストを好まなかった、岡田氏らしい発言と言える。しかしその結果、岡田ジャパンは、南アフリカW杯本番が近づくにつれて、失速するパターンに陥った。すっかり立ち行かなくなって、監督解任騒動にまで発展した。

本番ではベスト16という結果を得ることができたが、それは結果オーライそのもの。本番初戦でぶっつけの”奇策”を敢行。メンバー、布陣を一新する博打に打って出て、それが功を奏したに過ぎない。日の丸の重みに固執するあまり、目の前の勝利を欲するあまり、本番に向けての長期プランを誤っていたことは、紛れもない事実だ。

また、最近では、アギーレ監督がメキシコでの殿堂入りの表彰に出席するため、代表合宿期間中に一時帰国することに関して、ひどく問題視する記事がスポーツ紙のトップを飾っていた。「結果を求められるアジアカップの選手選考に大きく影響する」としているが、“結果を求めている”のは誰なのか?

そもそも、結果とは何を意味しているのか。優勝だとすれば、それを求めたところで簡単にかなうものではない。確かにザックジャパンは前回大会(2011年)で優勝したが、準決勝の韓国戦はPK戦による勝利(2−2/PK3−0)。延長戦の末に勝った決勝のオーストラリア戦(1−0)も、試合内容は劣勢だった。もう一度戦ったら、どちらの試合もどうなっていたかわからない。

前指揮官のザッケローニ監督は、現在のアギーレ監督に向けられるような批判を受けなかった。それは、就任早々の初戦、アルゼンチン戦(1−0)でまさかの勝利を飾って、続くアウェーの韓国戦(0−0)でもいい内容で引き分けたことが大きい。そして、アジアカップで優勝。この瞬間、ザッケローニ監督の4年間は「安泰」になったと言っても過言ではない。

だが、そこに落とし穴があった。アジアカップで優勝しても、本番(W杯)で0勝だった。アジアカップ優勝と最後の失速は、深い関係にある。

要するに、目の前の結果だけを見て、嬉々としていては、再び同じ過ちを繰り返すことになる。本題はどこにあるのか――。W杯での勝利である。そこから逆算して考えれば、親善試合の結果だけを見て「アギーレ監督批判」を展開するメディアの姿勢は、あまりにも身勝手。

重要なことは、結果にとらわれず、監督が何を目指しているのか、それがW杯で結果を出すためにいい方向に向かっているのか、である。もしそこに問題があれば、批判があってしかるべき。それは、声を大にして言うべきだが、親善試合の敗戦だけを理由に非難をするのは、あまりにも情けない。「木を見て森を見ない」愚かな思考法だと言える。

問題は、もうひとつある。

アギーレ監督はアジアカップ前の6試合は、「それに向けての準備試合。テストだ」と、就任記者会見の場で明言している。その傍らには、大仁邦彌会長、原博実専務理事も座っていた。

すなわち“テスト”は、協会首脳陣の総意に他ならない。言うなれば、「アギーレ批判」は協会首脳陣に向けられたモノである。とすれば、アギーレ監督を招聘した原専務理事は、もう少し代表チームの前面に出てきて、監督と協会とが一枚岩であることを示すべきではないだろうか。「木を見て森を見ない」メディアに対して反論すればいい。

ただし、協会内、あるいはその周辺には、専務理事(協会の実質ナンバー2)にまで上り詰めた原氏の存在を疎(うと)ましく思っている人が多いと聞く。おまけに、原氏はザッケローニ監督の招聘にも中心となって動いた人物だ。W杯惨敗を受けて、任命責任が問われていたが、技術委員長から専務理事に昇格した。スネに傷を持つ身でありながら、協会の重職に就いた。居心地は決してよくないはずで、前に出て行きにくい立場に置かれているように見える。

アギーレ批判の裏側には、醜い対立構造も見え隠れする。

アジアカップでアギーレ監督が結果を残せなければ、原専務理事の立場は一層危うくなることが予想される。そうなったとき、アギーレ監督を守ることができるのだろうか。

2018年W杯から逆算すれば、アジアカップはベスト4に進出できれば十分だと、僕は考えている。しかし世間は、それとはまったく異なる方向に流れていきそうな気がする。

そのときのアギーレ監督の立場も心配されるが、それよりも不安なのは、日本代表そのもの。代表を取り巻く現状を見る限り、アジアカップの結果次第では、日本サッカーは再び“負のスパイラル”に陥ってしまうのではないだろうか。僕には、そう見えてしまう。

(集英社・Web Sportiva 11月7日 掲載原稿)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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