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孤立する技能実習生(1)”奴隷労働”でも「相談先ない」、岐阜縫製のベトナム人女性が相談できない理由

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
ベトナム人技能実習生と出会った岐阜県の駅前。筆者撮影。

相談相手がいない。相談先が分からない――。外国人技能実習生と会うと、彼ら彼女らが相談相手を持たない状況がみえてくる。技能実習生は、日本の産業を支えながらも、日本社会で外部との十分なつながりを持たず、孤立している人が存在するのだ。技能実習生はなぜそうした状況に置かれてしまうのか。今回は、技能実習生をめぐる「孤立」について考えたい。

◆SNSで助けを求める声

「妻がこまっています。心配です。助けてください」

2016年の夏のある夜。パソコンを開いて仕事をしていた私は、ベトナムからSNS経由でこのメッセージを受け取った。

いったいなんのことだろうと思い、メッセージを読み進めるうちに、これが岐阜県の縫製工場で技能実習生として働くベトナム人女性ニュンさんの夫ドゥックさんからのメッセージだということが分かった。

ニュンさんと私が知り合いだということ、そして私が日本にいることから、ドゥックさんはわざわざベトナムから私に連絡をくれたらしかった。

ドゥックさんはベトナムの北部に住んでいるというが、遠く離れた日本で技能実習生として働く妻のニュンさんのことを心配し、「妻をとても心配している。助けてください」と、切々と訴えた。

「妻は就労する縫製会社で長時間労働などの苦しい事態に直面しており、日々思い悩んでいる」

夫であるドゥックさんは妻のことを思い、私に連絡をくれたのだった。

◆岐阜の縫製工場で働くベトナム人女性たち

岐阜県。筆者撮影。
岐阜県。筆者撮影。

私が、ドゥックさんの妻ニュンさんと出会ったのは、2016年の夏、岐阜県内の駅だった。

その日、私は別の技能実習生と会うため、たまたま岐阜県を訪れ、同県内の駅で相手を待っているところだった。

その日、岐阜の空は、雲一つなく、真っ青に晴れ渡り、その分、太陽の強い光が強く、つきさすような日差しにくらりとするような気候だった。

近くにあるビルにかかげられた電光掲示板には、「35度」との表示が見える。

じりじりとしたこの日差しを少しでも避けようと、私は日かげを探し、バスの停留所近くのベンチで待つことにした。

ベンチに座り、一息ついて、ふと周囲をみわたすと、隣のベンチで数人の女性たちがなにか不安げな表情をし、所在なげにしているのがみえた。女性たちはみなTシャツにジーパンという格好で、大きなリュックサックやどこかのスーパーのビニル袋などいくつかの荷物を抱えていた。

空が真っ青に晴れ渡ったその日、休日だったこともあり、駅の周辺はのんびりした雰囲気で、家族連れの姿があちこちにあり、子どもたちが暑さにもまけず、笑顔で駆け回っていた。そうした場にありながら、ベンチにすわる女性たちだけが困惑の表情を浮かべ、その場にたたずんでいた。

女性たちのほうを気にしていると、かすかに彼女たちの話し声が聞こえてきた。驚いたことに、それは日本ではあまり聞くことのない、そして、私にとってはとても懐かしいベトナム語の響きだった。

女性たちはどうもベトナム人らしかった。久しぶりに聞くベトナム語の音を耳にし、私は彼女たちから目が離せなくなった。

そのうち、私はつい、彼女たちに話かけてしまった。それが、ニュンさんとの出会いだった。ニュンさんは最初、私にベトナム語で話しかけられたことに、とても驚いていたが、出身地のことなどを話すうちに、少しずつ自分たちのことを語ってくれた。

それから少しして、私の待ち合わせの相手もやってきた。彼女も同じようにベトナム出身の技能実習生の女性だった。彼女がニュンさんたちと話すうちに、女性たちは徐々にうちとけた雰囲気になった。

彼女たちが少しずつでもうちとけていったのは、女性たちそれぞれ、いくつかの共通項を持っていたからだった。

女性たちは偶然にもみな、ベトナム北部出身の既婚女性であるとともに、子どものいる「母親」であり、家族を故郷に残して、日本に働きにきていた。

また、日本ではみな、岐阜県内の縫製工場で技能実習生として就労し、故郷に仕送りをして家族の暮らしを支えている。

そして、なによりも、彼女たちはそれぞれ、岐阜県の就労先企業で深刻な状況に直面し、大きな悩みを持っていたのだった。

話を聞くと、彼女たちは一様に、過労死ラインを超える長時間労働や最低賃金を下回る残業代、就労先企業の日本人による暴言やハラスメントなど、その就労状況に数々の課題を抱えていた。

一方、ニュンさんたちはこれまで、外部に相談する方法も知らず、実際に相談をしたこともなく、ひたすら我慢を重ねていた。

しかし、それでもついに我慢が限界となり、ある時、やっとの思いで、外部の支援組織の情報をみつけ、そこに相談しようと思い立ったのだ。

私と出会った日、ニュンさんは外部の支援組織への相談を決意し、近隣の都市部にいる相談相手のもとへと電車に乗って相談にいこうとしていたところだった。

同じような困難な状況に置かれていた女性たちは、あの夏の日、炎天下の中でその場で話し込み、それぞれの情報を交換しあったのだ。女性たちはこれまでは誰とも悩みを共有することができずにいた。とても暑く、立っていると汗が噴き出てきたあの日、屋外にいることは肉体的にきつく感じられたものの、女性たちにとってはその暑さというものはなにも問題にならないようだった。

それよりも、やっと手にした休日、同じような問題を抱える者同士で話をし、なんとか問題解決の糸口を必死に探そうとしているように見えた。ニュンさんたちの真剣な表情から、彼女たちがいかに問題の多い状況に置かれているのかが、伝わってきた。

◆借金によって支払う高額の渡航前費用と「強制帰国」への恐怖

前述したように、ニュンさんたちが外部に相談をするのはその日が初めてのことだった。彼女たちは、それまでは誰にも相談することができず、問題を抱え込んでいた。

では、女性たちはなぜ、問題を共有する機会を持てていなかったのだろうか。

まず大きな要因として浮かび上がるのは、彼女たちが来日前に多額の渡航前費用を支払うために借金をしており、これを日本で返済しながら就労しているということだ。

さらに、そのような中で、技能実習生は「強制帰国」させられることを恐れているのだ。

ベトナム政府はかねてより海外への自国労働者の送り出しを推進する「労働力輸出(xuat khau lao dong)政策」を打ち出してきた。一方の日本政府はアジア諸国の出身者を技能実習生として受け入れ、期限付きで就労させる外国人技能実習制度を展開してきた。こうした両国の政策の下、ベトナム~日本の間には、技能実習生が送り出し機関に多額の渡航前費用の支払い、それと引き換えに日本の受け入れ企業のあっせんを受ける移住制度が形成されている。

技能実習生が送り出し機関に支払う渡航前費用は、私の知るところでは、時に100万円を超える高額になり、多くのベトナム人技能実習生はこの費用を賄うために借金をしている。

そのため、ベトナム人技能実習生は来日後、まずは日本で得た給与を渡航前費用の借金の返済に振り向けることになる。借金返済期間は、3年の就労期間のうち、最初の1年目、人によっては2年目にも及ぶことになる。

ベトナム人技能実習生がこれだけの大金を渡航前費用として支払うのは、日本でベトナムよりも高い賃金を得ることに大きな期待を寄せているからだ。

ベトナム側の送り出し機関は技能実習生の候補者を集める際に、「日本は稼げる」「日本の給与は高い」と盛んに喧伝しており、技能実習生はそれにあおられ、日本での就労に大きな期待を持つことになる。そのため、ベトナム人技能実習生は、高額の渡航前費用を借金してでも工面し、来日しようとする。送り出し機関の「日本は稼げる」とのうたい文句を受け、高額の借金をしたとしても、「技能実習生としての収入は高いため、割にあうだろう」と思ってしまうのだ。

さらに、ニュンさんたちは日ごろ、岐阜県にある勤務先企業の日本人社長から「ベトナムへ帰れ」と幾度も怒鳴られていた。

そのため、外部に相談することにより、社長の機嫌を損ね、強制的に帰国させられることを恐れていたのだった。

借金をして高額の渡航前費用を支払うことが一般化しているベトナム~日本間の移住労働制度の下では、途中で帰国させられれば、十分な稼ぎを得られないばかりか、場合によっては渡航前費用の借金返済もままならないケースも出てくる。「強制帰国」はなんとしてでも避けなくてはならないこととなり、日ごろから「ベトナムへ帰れ」と脅されているニュンさんたちは就労先企業との関係悪化を恐れて外部への相談にはなかなか踏み出せない。

◆「母親」への稼ぎ手としての期待、仕送りで家族支える

岐阜県。筆者撮影。
岐阜県。筆者撮影。

その上、ニュンさんのような岐阜県の縫製業で働く女性たちの中には、既婚の子どものいる女性、つまり「母親」が少なくないということも、外部への相談をせずに、我慢する一因になっているとみられる。

ベトナムでは共稼ぎが一般的で、とくに農村の女性は農業や工場労働などにより収入を得つつ、炊事・洗濯など家事全般と育児・介護の責任を負っている。つまり「母親」たちは世帯内で稼ぎ手としての役割と、家事・育児を主体的に行うという役割をそれぞれ担っているのだ。

そうした農村の「母親」たちにとって、日本での技能実習生としての就労は、自分たちに課せられた世帯内の稼ぎ手としての役割を最大限に果たす機会として捉えられる。

女性たちの日本での技能実習生としての稼ぎは出身地に残した家族の生活費や子どもたちの教育費にあてることが期待されており、契約期間満了を前に途中で帰国してしまうと、そうした稼ぎ手に対する期待に応えることができなくなってしまう。

高額の渡航前費用を支払って来日し、その費用の支払いのためにした借金を返済しながら就労するあり方に加え、ベトナムの農村の「母親」たちに求められる稼ぎ手としての期待から、ニュンさんたちは日本での就労を継続することが必要となる。さらに、就労先企業の社長から幾度となく「ベトナムへ帰れ」と脅されていたことから、彼女たちにとって外部に相談することは、自分たちの状況を揺るがす局面を生じさせるリスクを持つことになる。

◆日本語能力の問題、限られた日本語支援

その上、ニュンさんたちが、日本語能力を十分に持たないという事情も、相談できないという状況を招く一因になっているだろう。というのも、彼女たちは来日前の渡航前研修で短期間の日本語研修を受けてはいるものの、来日後は長時間労働が続く毎日の中で、日本語を学ぶ時間を持つことが難しいからだ。ニュンさんたちの場合、就労先企業が日本語学習を支援するということもないという。

また、地域によっては、無料で学べる日本語ボランティア教室があるものの、そうした教室がない地域も少なくない。実際に、ニュンさんたちは日本語ボランティア教室に参加していなかった。

このような状況の中、ニュンさんたちは日本に暮らし、日本人が経営する縫製工場で就労しつつも、日本語能力は限られ、日本語では簡単なやり取りしかできず、複雑なことを表現することができなかった。彼女たちが、自身の就労状況や残業代といった複雑な事柄について、日本語で外部に相談することが難しいだろう。そして、外部の支援組織に関する情報を日本語で取得することも困難となる。

そんな中で、ニュンさんたちはやっとの思いで外部の支援組織を見つけだし、相談することを決めたものの、それを実行するにはさらに勇気が必要だった。そのため彼女たちは、あの日、相談の当日になっても、外部への相談に対する不安をぬぐうことができなかったのだ。

ニュンさんたちが駅にやってきたのは、相談相手との待ち合わせ時間の何時間も前のことだった。やっと決意した外部への相談だったが、それでも相談相手に実際に会いに行くには勇気が必要だったというニュンさんたちは、何時間も前に駅にきて、仲間と話し合うことで不安を払拭しようとしていたのだった。(「 孤立する技能実習生(2)実習生の限られた行動範囲と支援情報の不足、『支援体制』は存在するのか?」に続く。)

■用語メモ

【ベトナム】

正式名称はベトナム社会主義共和国。人口は9,000万人を超えている。首都はハノイ市。民族は最大民族のキン族(越人)が約86%を占め、ほかに53の少数民族がいる。ベトナム政府は自国民を海外へ労働者として送り出す政策をとっており、日本はベトナム人にとって主要な就労先となっている。日本以外には台湾、韓国、マレーシア、中東諸国などに国民を「移住労働者」として送り出している。

【外国人技能実習制度】

日本の厚生労働省はホームページで、技能実習制度の目的について「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力すること」と説明している。

一方、技能実習制度をめぐっては、外国人技能実習生が低賃金やハラスメント、人権侵害などにさらされるケースが多々報告されており、かねてより制度のあり方が問題視されてきた。これまで技能実習生は中国出身者がその多くを占めてきたが、最近では中国出身が減少傾向にあり、これに代わる形でベトナム人技能実習生が増えている。

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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