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琉球のトルネード島袋洋奨が“かめはめ波”で復活! 初公式戦で147キロ出た

田尻耕太郎スポーツライター

オール直球系で1回0封

【8月7日(金) ウエスタン公式戦 ホークス9-5ドラゴンズ 雁の巣】

「やっぱり3軍とは違いますね。投げ終わった後の、気持ちの疲れの感じ方が。緊張感がありました」

ホークスのルーキー、島袋洋奨が8月7日(金)のウエスタン・リーグ公式戦、ドラゴンズ戦の9回表に登板した。1回で打者5人と対戦。先頭打者に安打を浴び、1アウト後には味方失策でピンチを背負ったが、後続を抑えて4点リードを守り切った。最速は147キロをマーク。投じた18球のすべてが直球系(一部ツーシーム)だった。

琉球のトルネードは健在! ホークス島袋洋奨投手
琉球のトルネードは健在! ホークス島袋洋奨投手

「僕が落ちる球で勝負したくても、捕手の斐紹がストレートがいいということで、何度首を振っても真っ直ぐのサインしか出さなかった。彼のサインのおかげでストレートは力があると信じて投げ込むことが出来ました」

甲子園のヒーローが、まさか

左腕を思いっきり振り抜くことが出来た。これが、島袋にとって重要なことだった。

沖縄・興南高校時代の2010年に甲子園春夏連覇のエースとして全国に名をとどろかせた。進学した中央大学でも下級生から主戦として活躍。しかし、左肘を痛めてから制球難に陥った。4年秋には神宮のマウンドに上がったが、獲得に乗り出したプロ球団はホークスのみ。ドラフトの順位は5番目だった。それでも島袋はドラフト指名の報せに、涙を流して喜んだ。

ホークス入団後も苦労した。「コントロールの不安から、腕が振れなかった」。3,4月は大学や社会人クラブチームを相手に登板するも、とにかくストライクが入らない。大きくすっぽ抜け、本来の球威やスピードも失った。4月11日の九州総合スポーツカレッジ戦では1イニングで6四球の大乱調。チームが22対0とリードした場面から4失点という屈辱だった。

“かめはめ波投法”とは?

その後1か月間、登板機会は与えられなかった。そのあいだに3軍のコーチ陣に指導を受け、旧知のトレーナーにもアドバイスを貰った。ヒントを掴んだ。

「ぐっと体を捻って“タメ”を作る際、左の股関節を上へ、左の脇腹を下へ押し込んで挟み込むようなイメージで、そこから投げていくんです」

先日別取材で「漫画はあまり読まないけど『ドラゴンボール』は見ます(ちなみに一番好きなのは『ワンピース』らしい・笑)」と話していたが、かめはめ波の形を想像すると少し分かりやすいかもしれない。

力を絞り込み、一気に放出する。“タメ”が上手く作れる分、右肩の開きが早かった悪癖がおさまり、ボールが抜けることが少なくなった。

「心が折れたらその先はない」「辛抱」「上を向く」

1回を抑えきり勝利のグータッチ
1回を抑えきり勝利のグータッチ

「上手くいかなかったこれまでは、正直、何回も気持ちが沈みました。でも、色々な方と接する中で言ってもらえるのは『心が折れたらその先はないぞ』という言葉。どんなに結果が出なくても、良い日が来ることを想像しながら、上を向いてやろう。そう決めていました。3軍では入来コーチからも『辛抱だぞ』と何度も言葉を掛けてもらいました。本当にその通りだと思います」

しかし、まだ2軍で投げただけ。ステップアップではあるが、プロ野球選手としてはまだスタート地点にも立っていない。

「1軍。プロ野球選手の仕事はそこですから。常にそこを目指してやっていきたいです」

母校の興南高校は自身が優勝した時以来の夏の甲子園に出場する。島袋の名を思い出す野球ファンは少なくないこの時期、後輩たちの頑張りも励みに、“琉球のトルネード”の瞳には確かな輝きが戻っていた。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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