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NCAAディビジョン1入りが寸前で立ち消えになるも、地元でチャンスをつかんだ猪狩

青木崇Basketball Writer
故郷の福島でプロ生活をスタートさせた猪狩(撮影/青木崇)

4月中旬、フロリダにいる猪狩渉と話をした時、こんなことを口にしていた。

「僕がスラムダンク奨学金で最初のディビジョン1プレイヤーになります」

福島県いわき市から名門能代工に進んだ猪狩は、公式戦での出場時間が少ない控えのガードとして3年間を過ごした。だが、バスケットボールにかける熱意が非常に強く、このままで終わるつもりなどまったくなかった。スラムダンク奨学金の第8期生に選ばれて渡米し、本来の派遣先だったサウス・ケント・スクールでなく、NCAAディビジョン1に多くの選手を輩出し、NBA選手のOBがいるIMGアカデミーに入学。プロ級の施設が揃い、実力がなければメンバーに残れないという激しい競争環境の中で、猪狩は168cmという身長の不利をカバーするために、誰よりもハードワークを続けた。その結果、NCAAディビジョン1のミッドイースタン・アスレティック・カンファレンスに所属するフロリダA&Mからスカラシップ選手としてのオファーをもらう。NCAAディビジョン1でプレイするために必要な学業成績をクリアしていた猪狩は、4月中旬の大学訪問後、書類にサインをすれば入学できるところまで来ていた。

ところが、チームがOKであっても、大学側に受け入れ体制は整っていなかった。その影響で、猪狩はNCAAディビジョン1がアスリート向けに規定する基準よりも高い、一般学生と同じ学業成績を入学条件とする事態に直面。GPA(4.0が満点の評定平均値)で3.6をマークしていたものの、ACTとSATの成績向上の時間をかける余裕がなくなっていたため、スラムダンク奨学金初のNCAAディビジョン1選手になるという目標を、達成寸前で断念しなければならなかった。そんな状況でも、猪狩は気持をすぐに切り替え、次のステップに向けてのシナリオを考え始めていた。

「ジュニアカレッジからディビジョン1に行くという選択肢と、そのままプロになるという選択肢を作りました。僕の夢はあくまでもNBA、オリンピック出場を考えた時に、これからジュニアカレッジに2年行ってトランスファー(転校)で4年制の大学でプレイし、そこからNBAやユーロ(リーグ)に行くならば話は別で違う。アメリカの大学を出て日本に戻るとなった場合、僕の場合は24か25歳になる。ということは、プロとしてのキャリアが短くなるということを考えて、今プロになれるチャンスがあれば、Bリーグの初年度なのであれば、これから僕の年齢を含めて可能性、もしかしたらNBAに挑戦する、もっとプロしてキャリアを積むという意味でも、ディビジョン1に受からなかったことにも意味があるのかなと僕は考えて、この(プロになる)決断を下しました」

帰国後、地元のB2チームである福島ファイアーボンズのトライアウトを受け、その結果プロとして最初の契約を手にした。「トライアウトを受けに行った時、僕が受けると聞きつけた子どもたちとか、ファンの方々が見にきてくれた。”写真撮ってください”、”握手してください”、”サインください”というようなことを言われて、僕はここで必要とされていると感じました。僕のプロとしての価値は、福島でやってこそ高いんだなとすごく感じて、特別な理由もなく、直感でここだなと思ったんです」と語る猪狩は、岩手ビッグブルズとの開幕戦でBリーグデビューを果たす。プロとして経験豊富な友利健哉らがいることもあり、現状はローテーション外の控えポイントガードだ。森山知広コーチが「先発ガードが休むことができるように、まずは5分間つなげられるようになってほしい」と語るように、限られた機会でもこのレベルでプレイできることを示していくしかない。

群馬戦でプロ初得点を記録(撮影/青木崇)
群馬戦でプロ初得点を記録(撮影/青木崇)

猪狩にしてみれば、渡米したばかりころの状況と似ている。自身4試合目の出場となった10月8日の群馬クレインサンダーズ戦、4Q残り34秒から出場機会を得ると、9秒後にプロ初得点となるジャンプシュートを入れ、直後にスティールも記録。アメリカでもこういったことの積み重ねによって、ディビジョン1の大学からスカラシップのオファーをもらえる選手になったのだ。アメリカでの経験を糧に、猪狩はBリーグで成功する選手になることを目指し、ハードワークをし続けるだろう。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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