フーテン老人世直し録(1)

皐月朔日

フーテンはいかなる組織にも属さない自由人である。しかし人生の20年間はテレビ局に所属して報道の仕事をしてきた。その仕事のおかげで権力者の知遇を得、権力闘争の裏舞台を同時進行で見る事が出来た。

時代は世界の冷戦構造が崩壊する直前の20年である。世界と同様に日本の戦後構造も激しく揺れ動き、権力闘争の厳しさも一様ではなかった。フーテンはその中で権力が何を考え何を武器に戦うか、またメディアはどのように位置づけられ、どのような役割を担わされているかをつぶさに見てきた。

権力闘争は情報戦である。手の内を読まれたら読まれた方が負ける。如何にして相手に誤情報を流し、自らに有利な状況を作り出すか、そのことに権力者は命を懸ける。また国民を支配する要諦は「知らしむべからず」にある。そのための道具としてメディアはある。従ってメディアコントロールは権力者の必須技術で、基本は「アメ」と「ムチ」にある。「アメ」を与えて取り込み、同時に「ムチ」をちらつかせて裏切りに明日はないと思わせる。

組織に属して給料をもらう記者にとって「アメ」は出世「ムチ」は左遷を意味するから逆らう事は難しい。また「アメ」と「ムチ」に屈しない記者も、裏舞台の真相を同時進行で暴露すれば、結果として権力のどちらかに加担する事になり、国民の利益につながらない事もある。何でも書けば良いという訳にはいかない。権力者を取材すればするほど同時進行で書けるのは「よいしょ」の記事になりやすい。

フーテンもテレビ局に所属していた頃胸に秘めて書かなかった事実がいくつもある。そのテレビ局が80年代の半ばから視聴率に狂奔するようになった。フーテンはゴールデンタイムの番組で視聴率と格闘した経験を持つが、視聴率獲得の第一は「物事を単純化する」事である。複雑な世の中を複雑なまま放送したら誰も見ない。情報を大胆にそぎ落として白か黒かに集約しないと大衆は受け入れない。そこに嘘が生まれる。

テレビ局を系列に持つ新聞社も発行部数を競い合い視聴率と変わらない世界にいる。フーテンは80年代後半からの視聴率競争でメディアの嘘を散々見せられてきた。80年代の終わり頃、アメリカに「テレビは視聴率を追求するところから堕落する」と宣言したテレビ局がある事を知った。その哲学に共鳴してフーテンは日本にも同じテレビを作ろうと所属していたテレビ局を辞めた。

このアメリカのテレビ局C-SPANは実にユニークである。一切の編集をしない。1時間のデモは1時間かけて放送する。デモの最後に警官隊とデモ隊が衝突すれば普通のテレビは衝突シーンだけを放送する。視聴率を意識すればそうなる。しかしC-SPANはそれをしない。国民に誤った印象を抱かせ、真実とは異なる方向に国民を誘導すると言って批判する。

そう言われればメディアは嘘だらけである。昔、日米自動車摩擦でデトロイトに「反日の火の手が上がっている」と報道され、日本製自動車をハンマーで壊すアメリカ人の映像が繰り返し流された。「反日の火の手」を撮影しようとフーテンがデトロイトに行くと、「反日」はどこにもなかった。ハンマーの男はデトロイト市民から批判されて逃げ回り、自動車労働者は口をそろえて日本車を絶賛した。「反日」があったのはワシントンの政治の中である。日米両政府とも自国民を納得させるため「反日の火の手」が都合の良いシナリオだったのである。メディアはそれに踊らされていた。

街頭インタビューの町の声とか、世論調査の結果とか、各種の調査データを鵜呑みにすると権力者の思うままに操られる。最近も安倍総理が「私たちは3か月で4万人の雇用を生み出した」と胸を張ったが、安倍政権の政策はまだ何も実行されていない。政権交代してもしばらくは前政権の政策効果が続く。しかし本当か嘘か分からない話をメディアは無批判に垂れ流している。

C-SPANは「我々のテレビを見る人間が一人でもいれば我々は存在する価値がある」と胸を張っている。そうしたテレビの存在をアメリカのメディア界は認め評価している。そうしたアメリカの仕組みを日本は学ばなければならないと思うのだが、異端の存在を認めようとしないこの国では実現が思った以上に難しかった。17年間の悪戦苦闘の末、夢破れたフーテンは6年前に組織に属さない自由人になった。

フーテンは「シニア」とか「高齢者」より「老人」や「年寄」と言う言葉が好きだ。若い頃から70歳前後の政治家や経営者を取材して、その見識や知恵の力に圧倒され、憧れと尊敬の念を抱いてきたからだと思う。60台半ばで自由人になった時、フーテンが始めたのは、かつて圧倒された老人たちの域に達するため、若い時の経験と知識の断片をつなぎ合わせ、自分の生きた時代を確認する事であった。

40年余り様々な世界の様々な事象を見てきたが、その一瞬一瞬、事象に没入する余り周囲を見渡す余裕がなかった。自分の経験を俯瞰で眺める必要がある。そのために読書を始めた。自分が生きてきた冷戦期から冷戦後を知るために、興味は戦前から幕末維新の政治にさかのぼり、また戦時中に作られた日本型資本主義の成立とそれを解体しようとする冷戦後のアメリカの攻防を探ってきた。

ようやく自分の生きてきた時代が見えてきたと感じ始めたフーテンである。かつて巡り合い教えを受けた老人の域に達するにはまだ時間が必要だが、それでも40年の取材経験から権力の情報操作とメディアの嘘を見極める事は多少できると思う。それが世直しにつながればという気持ちもある。それをこれから書き連ねていこうと思う。