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自己陶酔に浸るだけの総理の施政方針演説

田中良紹ジャーナリスト

例年は通常国会の冒頭で行われてきた施政方針演説が、国会召集から2週間以上も遅れて2月12日に行われた。当初、安倍総理は国会の冒頭で所信表明演説を行い、さらに補正予算を成立させてから施政方針演説を行うダブル演説を計画していた。しかしそれでは予算審議の日程に狂いが生ずると自民党が抵抗して断念させたという。

国会日程の進め方を考えずに自己アピールだけを考える総理と自民党との間にすきま風がある事を伺わせるエピソードである。しかしそのことは安倍総理が自己アピールに力を入れなければならない事情がある事も示している。それは安倍政権を支えているのが「世論の支持率」しかない事を安倍総理とその周辺は知っているのである。

大衆の人気を頼りに行う政治をポピュリズムと言うが、安倍政治の本質はまさにポピュリズムにあり、大衆を扇動して喝采を浴びる事に本人が陶酔していると思わせたのが、今年の施政方針演説であった。

安倍総理は施政方針演説で「戦後以来の大改革」を声高に叫び、「改革」という言葉を36回も繰り返した。しかしその「改革」の具体像は示されていない。ところが「改革」という言葉を印象付けるためか、歴史上の偉人の言葉を次々に引用した。しかしそれがいずれもピント外れで、演説を書いたスピーチライターとそれを読み上げた安倍総理の教養のなさが逆に印象付けられた。

この時期にはアメリカ大統領も施政方針演説に当たる「一般教書演説」を行う。1月21日に行われたオバマ大統領の演説の骨格と比較しながら、両者の間にどのような違いがあり、安倍総理の演説がいかに自己陶酔型であるかを説明したい。

施政方針演説も一般教書演説も、政府の長が国家の現状認識を示して問題の所在を指摘し、それを解決するためにこれからの1年間に政府がどう立ち向かうかを表明するものである。

アメリカのオバマ大統領は21世紀に入ってからの15年間を振り返るところから演説を始めた。「9・11」のテロがあり、そのためにアメリカはアフガン戦争とイラク戦争を行って多大の犠牲を強いられ、またリーマン・ショックによる資本主義の危機にも直面した。そのためオバマ政権は米軍を戦場から撤退させ、また経済の再生にも取り組んだ。その現状認識の下で、オバマ大統領は次なる課題として「格差の解消」を打ち出し、中間層を拡大するための諸政策を述べたのである。

一方の安倍総理は、昨年末の総選挙での与党の勝利から演説を始めた。そして選挙結果を「安定した政治の下で、この道を、さらに力強く、前進せよ」という「国民の意思」だと捉え、「戦後以来の大改革」に取り組む方針を宣言したのである。そこで突然に明治の元勲岩倉具視の言葉が引用される。

「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」という言葉である。そして安倍総理は「明治の日本人にできて、今の日本人にできない訳はありません」と叫んだ。

論理的に全くつながらない話をつぎはぎされて私は唖然とした。総選挙では消費税先送りとかアベノミクスが争点だった。そして戦後最低の投票率で、自民党を支持した国民は4人に1人以下である。それを安倍総理は総選挙によって「戦後以来の大改革」が国民から後押しされた話にすり替え、またそれを鎖国によって近代化に遅れた日本が欧米に追い付き追い越そうとした時代につなげた。

戦後の日本は軍事費を抑え経済を優先させたことで経済大国になった。日本は今でも世界第一位の金貸し国である。国民一人当たりの所得でも欧米と肩を並べ、既に欧米に追い付いているのである。ただし最近は少子高齢化や巨額の財政赤字、そして貧困化率の増大が指摘され、中間層の崩壊が言われて将来不安がある。そうした現状には言及せずに、安倍総理は明治の日本人と比較して現代の大衆をアジった。これをつながる話と考える思考力が私には理解できない。

次に安倍総理が引用したのは、急速な西洋化を進める明治政府の方針に抵抗し、東洋の精神を尊重すべきと主張した岡倉天心の「変化こそ唯一の永遠である」という言葉であった。この言葉は岡倉が「我々の歴史の中にこそ未来の秘密が横たわっている」と述べたくだりで使われている。

ところが安倍総理は、農協の改革を「戦後以来の大改革」の目玉であると強調するくだりでそれを使う。日本農業に「変化」を起こすための引用である。しかし「過去を振り返る中にこそ未来を創る秘密がある」という岡倉の主張とはズレているのだが、それを理解していないようだ。大衆をアジる材料に都合の良い言葉だけを切り取ったからである。

さらに安倍総理は故郷の偉人である吉田松陰の「知と行は二つにして一つ」という言葉を「行動」が大事だという意味に使い、国会での論戦よりも「行動」が優先するとして、「非難の応酬よりも行動です。改革の断行です」とアジった。「知と行は分けられない」という本来の意味を「行が知よりも優先する」と使った事に、泉下の松陰先生はどう思うだろうか。

オバマ大統領は「格差の解消」を実現するために富裕層への課税強化や大学の授業料無償化などの諸施策を述べ、また外交安全保障政策として「イスラム国」への武力行使やサイバーセキュリティに言及した。全体として富むものを富ませれば富はしたたり落ちるというトリクルダウンを否定する内容の演説であった。

一方の安倍総理は今国会最大の焦点である集団的自衛権と安保法制についてほとんど触れようとしなかった。そして国民に異論のある原発再稼働や法人税の引き下げ、さらには労働力の流動化などを「戦後以来の大改革」の言葉の中に押しこめ、全体としてトリクルダウンを肯定する内容の演説を行った。

国民の人気に影響が出るテーマは表に出さず、期待感を膨らませるニンジンについてのみ語る手法を政権発足以来取り続けてきた安倍政権だが、まだトリクルダウンというニンジンは日本国民に有効だと考えているようだ。

しかし大衆を扇動する政治は民主主義を衆愚政治に堕落させるのが歴史の教えである。古代ギリシアではデマゴーグと呼ばれる扇動政治家がギリシアの民主主義を崩壊させた。安倍総理の施政方針演説には大衆を扇動しながら自分も演説に酔っている様子がうかがわれて、私にはデマゴーグと二重写しになった。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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