Yahoo!ニュース

渡部香生子が見せた進化と 今井月の抱える問題点

田坂友暁スポーツライター・エディター

当時中学3年生だった彼女は、小柄で細身の身体を活かし、キックのあとに受ける水の抵抗が少ない理想的な平泳ぎを泳いでいた。

2011年4月の競泳国際大会代表選手選考会(東日本大震災復興支援チャリティー大会)において、100m平泳ぎ2位、200m平泳ぎ3位という成績で全日本デビューを果たしたのが、渡部香生子(JSS立石)だ。派遣標準記録を切れなかったために、この年に行われる上海世界水泳選手権には出場できなかったが、中学生の活躍は大きな話題を呼んだ。

当時の渡部の泳ぎは「抵抗が少ない」のひと言で表現できた。本人はそれほど意識をしていなかったようだが、上半身の使い方がうまかった。軽い身体を柔らかいキックでしっかりと前に押し出すとき、上半身が邪魔にならないように泳ぐ。そのため、ほかの選手に比べればプル(腕のかき)で得る推進力は少ないが、キック(脚の蹴り)で得られる力を無駄なく推進力にしていた。プルの弱さを補ってあまりあるほど、泳ぎ全体の水の抵抗が少なかったのだ。翌年の2012年のロンドン五輪選考会を兼ねた日本選手権では、200m平泳ぎで代表権を獲得。夢の五輪代表の仲間入りを果たした渡部だったが、のちに抱える苦悩はここから始まっていたのである。

身体の変化が生んだ泳ぎの変化

2013年4月の日本選手権。200m平泳ぎ決勝のスタートリストに、渡部の名前はなかった。予選のタイムが2分29秒46で10位となり、B決勝(予選で9位〜16位までの選手で行う順位決定戦)に回ったのである。B決勝後の囲み取材では、「平泳ぎが分からない」と涙を流すほど渡部は追い詰められていた。2012年には2分23秒56というタイムを出している渡部が、なぜそれほどタイムを落としてしまったのか。その大きな理由は、身体の変化にある。

2011年時の渡部の身長・体重は、164cm・54kgであった。2012年時は、165cm・55.5kg、そして2013年は166cm・58kgとなっている(スイミングマガジン選手名鑑及びTOBIUO JAPAN Journal参照)。たった2年の間に、身長は2cm、体重に至っては4kg近く増加しているのだ。単に太った、というわけではなく、身長が伸びると同時に、女性特有の成長期に入ったに過ぎない。だが、その身体の変化は泳ぎに大きな影響を及ぼした。

ポイントは、身体が大きくなったことによる水の抵抗の増加だ。渡部の泳ぎは、キックの推進力をメインに使っていた。上半身に受ける水の抵抗が少ないから、プルの推進力がなくても効率良く進んでいたものの、身体の変化とともに上半身が受ける水の抵抗が増え、従来のキックで発揮される力では、今まで通りの推進力を得られなくなってしまった。

平泳ぎはそもそもほかの3種目よりも水の抵抗が大きい泳法であるため、抵抗が少々増えたくらいでは、よほど敏感でない限り、自ら変化を感じ取ることは難しい。しかし、この小さな抵抗の増加が、平泳ぎでは大きな悪影響となる。渡部の「平泳ぎが分からない」という発言の真意は、ここにあったのだ。

上半身の使い方を変えて進化した渡部の泳ぎ

7月にスペイン・バルセロナで行われた世界水泳選手権で渡部の泳ぎを見たとき、私は「これはまだ復活には時間がかかるかな」と思っていた。先に述べた通り抵抗が大きくなっている分、1ストロークで進む距離が短くて、泳ぎ全体も重たい。キックで得られる推進力が減っているのは、見た目にも明らかだった。しかし、帰国後の8月の長崎でのインターハイで、渡部は驚くほどの進化を見せたのである。

今までのような、キックの邪魔をしない上半身の使い方ではなく、積極的にプルで進もうとしていたのだ。その影響で、少しぎくしゃくした上下動が泳ぎに生まれていた。その点を聞くと「プルでも進むように泳ぎを変えている」という返事が返ってきた。インターハイの翌週に行われたJOCジュニアオリンピックカップでは、さらに泳ぎが変化する。インターハイではぎくしゃくしていた上下動が、かなりスムーズにウェーブを描くような動きに変わっていた。極めつけは、その2週間後に行われた、東京国体での泳ぎだった。

以前の渡部が得意だった北島康介(アクエリアス)のような、キックのあとに真っすぐな姿勢を作り、抵抗を少なくしてスーッと進んでいく泳ぎではなく、ウェーブを描くようにしてなめらかに、テンポ良く進んでいく。インターハイやJOCジュニアオリンピックカップよりも、上下動も少なくなっており、明らかに今までとは泳ぎが違っていた。結果、2012年のロンドン五輪選考会以来となる自己ベスト(2分23秒42)をマークして優勝したのである。

平泳ぎで上半身を使おうとすると、どうしても上下動が生まれて、余計な水の抵抗を生んでしまう傾向がある。渡部は上半身をなめらかにウェーブさせることで、その上下動によって本来受けるはずの水の抵抗を減らしていた。プルで得られる推進力を増やしながらも、水の抵抗は極力抑えてキックの推進力を活かす。身体が大きくなって増えてしまった抵抗とパワーを最高のかたちで同居させ、最高のパフォーマンスにつなげたのである。国体で見せた泳ぎをしっかりと体得すれば、必ず渡部は女子平泳ぎを牽引する存在になることは間違いない。

中学生スイマー今井月は身体の変化に対応できるか

渡部は中学3年生で日本のトップに踊り出て、現在高校2年生。3年間で身体に変化が訪れて、今までとは違う泳ぎに方向転換をしなければならなかった。そこで思い出されるのが、今年の日本選手権の200m平泳ぎで、2分25秒14の3位に入った中学1年生の今井月(るな・本巣SS)だ。まだ身体が小さい今井の泳ぎは、デビュー当時の渡部とよく似ている。上半身の抵抗が少なく、少ないキックの力でも効率良く推進力を生み出すことができる泳ぎだ。

今井がこの先に待ち受けているのは、渡部と同じ成長期に訪れる身体の変化だ。高校生になるころに起こるであろう身体の変化に今井が適応できるかが、今後記録を伸ばしていけるかどうかのカギになる。

特に今井は、キック動作の脚を身体に引きつけてくるところで、割座(女の子座り)のようにして足を大きく外に開く。このキックの打ち方は、ヒザに大きな負担がかかるため、むしろ渡部よりも苦労しそうである。今は身体が軽いのもあり、足にかかる力も小さいためヒザへの負担は小さいのだが、成長して上半身が大きくなってきたとき、このキックの打ち方では確実にヒザを痛めることになるだろう。そうなる前に、今井は身体の変化に合わせて泳ぎを変化させなければならない。渡部と同じように身体の成長にともなって泳ぎを変えたときこそ、今井はその真価を問われることになる。

スポーツライター・エディター

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かして、水泳を中心に健康や栄養などの身体をテーマに、幅広く取材・執筆を行っている。

田坂友暁の最近の記事