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ネオリベラリズムと応用言語学

寺沢拓敬言語社会学者
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David Block, John Gray, Marnie Holborow. Neoliberalism and Applied Linguistics. Routledge, 2012.

本書は、タイトルが端的に示す通り、応用言語学へのネオリベラリズムの影響を論じたものである。具体的には、言語政策や高等教育政策、国際語としての英語論、英語教育産業の隆盛などに、いかにネオリベラリズムが影響を与えてきたかを詳細に論じている。

ネオリベラリズムを分析する意義

応用言語学とネオリベラリズムの組み合わせは 、日本の応用言語学に馴染みが深い人からすればかなり奇妙な取り合わせに感じるだろう。現代日本の応用言語学者は、政治経済的要因を関心から締め出してきたからだ。ちょっと事情が違うのが欧米で、たとえばアメリカ応用言語学会では政治経済的分析も少し前からきちんと市民権を得ている。その意味で、北米の潮流はまだ日本の応用言語学会には到達していないことになる。日本の応用言語学は他の学問に比べても特に北米志向が強いが、それはあくまで「選択的北米志向」であることを物語っている。

応用言語学者は「俺たちは学際研究者だぜえ!」としばしば声高に叫び、実際、そういう面はあるのだが、あらゆる学問と偏りなく学際的協同が行われているかといえばそんなことはない。政治経済現象の「学際的」応用言語学なんてものはほとんど行われておらず、応用言語学者が政治経済要因に口を出すとしばしば深刻な不見識を露呈する(「地球語としての英語」論などがその典型である)。

本書では、政治経済的分析の不在は、2000年代後半の経済危機――そしてその背景である新自由主義――に関しても同様であると述べる。英語のグローバル拡大、高等教育の英語化、そして社会現象を経済の言葉で語るディスコースの浸透は、ネオリベラリズムから派生したものであるにもかかわらず、と。

また、ネオリベラリズムとグローバリズムは密接に関連している。したがって、英語の世界的拡大もネオリベラリズムと無縁でないことは自明。いわゆる「ワシントン・コンセンサス」の一環として、国際通貨基金や世界銀行は財政危機に陥った国の財政健全化のために英語の普及を要求したことは有名だろう。

ネオリベラリズムの強力な所(ほめてない)

ヒューマニズムにあふれた人々、たとえばヒューマニスト英語教師はしばしば「ネオリベラリズムは人間的ではない!もっとヒューマンな英語教育をして、ヒューマンな社会にしよう!」といった批判を展開する。もちろんそれも重要だが、もっと批判すべき点が、ネオリベラリズムにはあると本書は警告する。

それは、ネオリベラリズムは、理論を見ても現実のデータを見ても多くの矛盾を含んでいるという点である。

たとえば、ネオリベ者は「自由な市場万歳!国家の介入はよくないよ!民間の切磋琢磨が成長の鍵!」なんてことを言う。しかし、自由な市場を作るための規制緩和と称して、国家は今までものすごい規模の介入を行ってきた。

また、情報技術の進展がコミュニケーションをより自由にし、社会をより豊かで平等的なものにするというのも事実とまったく適合していない。技術的進展により「監視的・管理的コミュニケーション」がより容易になった現代社会を見ればその矛盾は容易にわかる。もっとも、このような楽観的社会観こそネオリベラリズムのイデオロギー的強力さ(ほめてない)なのだが。

しかし、ネオリベラリズムの凄い(ほめてない)ところは、矛盾が生じているにもかかわらずそれをうまく偽装する、場合によっては、矛盾に見えないように自己最適化するところである。その証拠に、2000年代後半の経済危機でネオリベラリズムの綻びは決定的になったはずなのに、まだ根強く生きながらえている。

巧みな(ほめてない)偽装方法に、言説やキーワードの意味をうまく変容させる点が指摘されている。たとえば「規制緩和」「人的資本」「起業」等々。

上記をはじめとしたネオリベラリズムの言葉は、景気が良い時には「当たり前のこと」に聞こえるので、簡単に社会を「植民地化」することができる。

一方、経済危機を経験した後の私達は、耳に心地よいネオリベラリズムの言葉群が虚偽だったことを痛感した・・・・・・・ことになるはずだったが、実際はそんなことはなかった。ネオリベラリズムは、そのキーワードの意味を巧みに変容させ、経済危機への「再適応」を成し遂げたからである。経済危機によって矛盾を露呈したはずのネオリベラリズムは、まだ根強く生き残っている。

近年の日本の言語教育政策(とくに英語教育・日本語教育)は、「グローバル人材」関連の政策と密接に連動している。このような考え方が相応の「自然さ」を獲得したのもネオリベラリズムの「功績」であると本書は言う。「『人材』などと人間をモノ扱いするな!」などといった道徳的な批判だけではなく(そうした批判ももちろん大事だが)、「グローバル」に活躍できる「人材」がなぜ必要だと私たちは思ってしまうのか、そこにどのような「詐術」が紛れ込んでいるのか、慎重に考える必要があるのではないだろうか。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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