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【JAZZ】笹久保伸+藤倉大『マナヤチャナ』は“アンドロイド”に命を吹き込む未来の調べ

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
笹久保伸+藤倉大『マナヤチャナ』
笹久保伸+藤倉大『マナヤチャナ』

話題のジャズの(あるいはジャズ的な)アルバムを取り上げて、曲の成り立ちや聴きどころなどを解説します。今回は笹久保伸+藤倉大『マナヤチャナ』。

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1977年生まれ、現代音楽という枠に収まらない新進気鋭の作曲家として注目を浴びている藤倉大と、1983年生まれ、アンデス音楽をペルーで研究して「秩父前衛派」を名乗る作曲家・ギタリスト・映画監督の笹久保伸のコラボレーションによって生まれた、ヴァーチャルにして不思議な存在感をもった作品。

ヴァーチャルというのは、このアルバムの制作環境に由来する部分が大きい。藤倉はイギリス・ロンドン、笹久保は埼玉・秩父に居て、データのやりとりはインターネットを介してのみ行なわれたのだ。アルバムが完成した時点でも顔を合わせたことがないだけでなく電話すらもしたことがないという“リアルを排除した関係性”もまた、サウンドとは別に彼らのコンセプションにふさわしいものと言えるだろう。「アルバム完成記念対談」と称した2人の“アルバム解説”さえFacebookのチャットを使ってやりとりされている念の入りようだ。

送られた音の断片をさらに分解

その“解説”から興味深い部分を紹介したい。

コラボのきっかけは、藤倉作曲の「スパークス」を気に入った笹久保が藤倉に「ギターの曲はありますか?」とFacebookでメッセージを送ったこと。「スパークス」よりもうちょっと長尺の曲を弾いてみたいと思ってのアクションだったという。藤倉はその申し出に楽曲提供だけでなく“共同制作”という提案を返して、笹久保の賛同によってプロジェクトが動き出した。

藤倉は笹久保に「曲って感じじゃなくてもいいから、ギターの音の断片みたいなのを録音して送ってくれない?」とリクエストし、送られた膨大な10秒程度のサンプル・フレーズだけを使って、1音1音まったく異なる音源に作り直して曲を構築していく作業を重ねていった。そこでは“本業に近いようなことはしない”すなわち「楽譜を書いて整理して」という作業をいっさい否定したアプローチを選択したことがまた、この作品のユニークさを引き立たせることになる。笹久保はそれに従って「二度と同じようには弾けない」フレーズを膨大に生み出すが、しかしそれは「即興とも違う」ものだと言及している。

こうして笹久保の出した音以外は入っていないのに笹久保本人もそれに気づかないという、ピュアなのか徹底した作為なのかその境界が実に曖昧なパラドックスを含んだサウンドが出来上がっていった。個人的には、藤倉が近作に関わっていたデヴィッド・シルヴィアン(イギリスの著名なロック・ミュージシャンでアンビエント・シーンでは“神”とされる存在)のサジェスチョンで笹久保の奥さんのイルマ・オスノの歌もマテリアルとして取り込まれたというエピソードに激しく反応してしまったりしたのだが。

喩えれば、音楽という概念を細胞のレベルまで細分化してから切り絵のように違う形状へトランスフォームしていく有機体のようなイメージ。

これだけ音楽としての時系列と演奏者・笹久保伸の意識をバラバラにしながら統一感があるのは、その作業が破壊ではなく、受精によって細胞が分裂していく過程、すなわち“創造神の世界”に近いものがあるからなのかもしれない。

ヴァーチャルなのに漂う“土の匂い”

トラック・メイクを離れた場所でやりとりしながら曲を作っていくという方法はこれまでにもあったが、打ち合わせを含めてまったく物理的な接点をもたずに協業をするというのは、彼らが“世界初”と言っているように確かに珍しいものだ。それ自体、ジョン・ケージの「4分33秒」のようなパフォーマンス・アート的な要素が強い“現代音楽”と言えるかもしれないが、音楽的な実体のない「4分33秒」と大きく異なるのは、この『マナヤチャナ』がペルー、秩父、ロンドンといったリアルな“土の匂い”を感じさせる音を発しているところだろう。

ポピュラー音楽の世界においてもトラック・メイクやサンプリングはすでに珍しいものではなくなったが、明らかにそれらとは一線を画する温度感を伴ったサウンドの誕生は、アンビエントやエレクトロニカの数歩先を示す画期的な実験になったのではないだろうか。

SFではすでに当たり前となっている“人の心をもったアンドロイド”が、ようやく音楽の世界にも誕生したような気がしている。

♪藤倉 大〈sparks〉 (演奏:山田 岳)

笹久保伸が藤倉大にメッセージを送るきっかけとなった藤倉の「スパークス」を、山田岳のギターで。

♪笹久保伸 La rosa morena 2012.9.4@南青山MANDALA

細切れになっていない笹久保伸の演奏はこちら。

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音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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