Yahoo!ニュース

【JAZZ】“わかりにくさ”に秘めた音楽の本質を解く祭典(mujik CPJ Festival)

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
mujik CPJ Festival IV
mujik CPJ Festival IV

“ジャズの醍醐味”と言われているライヴの“予習”をやっちゃおうというヴァーチャルな企画“出掛ける前からジャズ気分”。今回は、“おいりょんデパ星”からやってきた刺激に満ちた音楽の祭典。

松井秋彦のインタビューも交えてお送りしたい。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

松井秋彦が、自身の音楽観を具現するために推進しているCPJ=コンテンポラリー・プログレッシヴ・ジャズというプロジェクト。

今回で4回目となる“mujik CPJ Festival”はそのCPJの全貌を解き明かす総括的なイヴェントで、松井秋彦が率いる5つのバンドが一堂に会することでそれぞれに特徴的なサウンドを1夜で網羅できるという趣向になっている。11次元27世紀にある“おいりょんデパ星”から4次元21世紀の地球にやってきたという想定で、既成のリズムやハーモニーとは異なる発想の音楽的なアプローチの可能性を探ろうというのがこのフェスのコンセプト。

ではまず、“おいりょんデパ星”から地球に移住して50周年を迎える松井秋彦の音楽的な経歴からたどってみたい。

小さいころから変なリズムや変なハーモニーに興味をもっていたという松井秋彦。彼にとって4拍子やドミソのようなトライアドは音楽的な興味をそそらない対象だったという。

楽器を手にしたのは小学校5年生のとき。友人を追って器楽同好会へ入り、ベース・ギターを選択。管楽器も選ばなければならないというルールだったためコルネットを選んで、その習得のために音楽教室を訪ねたところ、コルネット教室の隣にドラム教室があったことからドラムを始めた。そこでも、ポピュラー音楽の定石である2拍4拍のアクセント(いわゆるブルースのリズム)に疑問をもち、ここから“変拍子愛”を深めていく。

高校では唯一の音楽クラブだったフォークソング同好会に入り、フュージョンをコピーするようになっていたが、そこで自分が転調に興味をもっていることに気づく。そして気持ちいいと感じるコード進行を探っていくのだが、自己流では限界があったことから、本格的に学びたいという欲求にかられるようになり、ついに留学を決意。

大学がなんのためにあるかということを考えず、ただ自分の興味を満足させるためだけに、アメリカに行ってしまいました。向こうに行ってからは、純粋に音楽研究に没頭する毎日。バークリー音楽大学って、普通の人はプロになるために行くんでしょうけれど、僕は卒業してから食べていかなければならないことにも気づかずに過ごしていた。結局、ビザが切れて帰国しなければならなくなり、日本に帰ってきて初めて「仕事をしなければ食べていかれないんだけど、そのためにやるべきことをなにひとつしていなかった」ことを知ったんです(笑)。

ボクが松井秋彦の存在を知ったのは、佐藤允彦のプロデュースで結成されたBob And Jolt(Bojo)というユニットでの演奏だった。田中信正(ピアノ)と荒井皆子(ヴォイス)とともにパーカッションという持ち場でオルタナティヴなジャズのアプローチを模索する実験的なものだったが、ほどなくしてメンバーそれぞれが違う活動を始めて解散。松井秋彦はJunky Funkという自己ユニットを結成し、これがCPJの発端となった。西暦2000年を目前に人類が滅亡するかもしれないと世の中が騒いでいたころの話だ。

自分は特殊なことをやっていると思われているんですが、実はある意味必然と言ってもいいぐらい自然な流れでやっているつもりなんですよ。僕からしてみれば、ほかのミュージシャンたちがリスナーの理解度に配慮することでどうしてもリズムやハーモニーに関する進化を止めたり戻したりして対処しているほうが、よっぽど不自然だと思っている。音楽の進化に興味をもって追求していけば、リスナーを置いていくことになったとしてもやってみなければならないと思ってしまうんですよね。

極論かもしれませんが、アーティストはアマチュアリズムとつながらないといけないと思っているんです。でも、それが希薄なのが現状です。だからこそ、ある意味ではリスナーの要望に沿わない=世の中の役に立たない“迷惑な人”になるわけですが、そういう状態に自分を追い込みながら、少しでもそこから得られるものを世の中に提示したいと思っているんです。

ポピュラリティと対極的なポジショニングという意味で、先鋭化していったフリー・ジャズや現代音楽を想起した人がいるかもしれない。その点に関しての松井秋彦の見解はこうだ。

フリー・ジャズとCPJはベクトルがまったく逆なんです。

しかし、こうしたベクトルの違いを正確に表現できる言葉がなかったので、彼はコンテンポラリー・プログレッシヴ・ジャズ(直訳すると“現代の進歩的なジャズ”というかなりアバウトな意味の言葉だ)という造語をひねり出し、“おいりょんデパ星”という仮想世界を仕立てて、少しでも自分の音楽観を伝えるための努力は続けている(いや、もしかしたら本当に彼は11次元27世紀からやってきた宇宙人かもしれないので、すべての言動は彼にとってなんら矛盾があるものではないのかもしれないということは触れておいたほうがいいだろう)。

「mujik CPJ」
「mujik CPJ」

“地球への移住”の真偽はともかく、50周年を記念して行なわれるCPJの記念活動のなかで特筆すべきは楽譜の出版だろう。10年ほど前からスクールでCPJ理論を教えるようになったが、彼の音楽観は“聴く”よりも“演奏する”ほうが感じ取りやすいことを彼自身が実感しているようだ。

CPJの曲には、初心者に近い状態でも弾けるものもあるんです。今回出版した楽譜集は、レベル別索引も設けて、初心者から変態までレヴェルに応じて活用できるようにしています。

ポリリズムって習得したとたんにぴたっと演奏が合う気持ちよさがあるんですよ。それって、数学的じゃないかと思うんです。スポーツに例えれば、ノルディック複合。ジャンプとクロスカントリーというまったく違った運動機能を要求される矛盾した組み合わせの種目がとてもCPJに似ていると思っているんです。CPJって、タイム感を優先するとクラシックのニュアンスがおざなりになり、ニュアンスを優先するとリズムが甘くなるんですよ。演奏する人によって、どちらか苦手のほうをとことん頑張らなければ成立しない。そこをとことん頑張るのがCPJのおもしろさだと思うんです。譜面に強い人と譜面がないほうが自由に弾ける人。その両方のよさを音楽に活かせるのもCPJならではなんじゃないでしょうか。

『album CPJ』
『album CPJ』

さらに、CPJの厳選50曲を松井秋彦によるマルチ・パフォーマンス(松井秋彦自身がキーボード、ギター、ベース、ドラムをすべてひとりで演奏)によってマラソン録音し、そのなかからCPJ色が強いものという基準で選ばれた10曲を収録した『album CPJ JOKER of all Trades〜FLUNKER of none』もフェスに合わせてリリースするという。

譜面では書ききれない部分があるので、それを演奏で表現したかったんです。CPJって、書き譜の量が多いので、その点ではフュージョンというか、クラシック的ではあるんですが、一方でジャズのよさであるインプロヴィゼーショナルな部分も残したいと思っているんです。

インタビューの最後に、“縛り”や“ルール”の多さが目立つことをCPJの特徴であると思われるのは逆効果ではないかという質問をすると、松井秋彦はかなり長い持論を展開した。

CPJも含めて、インテンポのグルーヴを出して演奏する(ドラム、ベースが入っているものは基本的には元来インテンポのグルーヴを出すものでした)ことが“制約”になっているという意識は、演奏している本人たちのなかにはほぼまったくないと言ってよく、それは“グルーヴ”を得るためにやっているという意識だと思うんです。紛らわしいことに、“グルーヴ”という概念は、ジャズ、ロック、ポップなど、基本的にインテンポのノリを出す音楽のなかでは不可欠な要素で、しかも、本来“グルーヴ”=ノリという言葉は、インテンポであることで生まれるものを限定的に指すものだったので、インテンポがあたりまえなのです。それを、インテンポの音楽を理解していない人たちがインテンポでないものに対しても使い始めたために、より難解な言葉になってしまった経緯があります。

もうひとつはジャズのハーモニーですが、これもなにかと、“縛り”だとか“面倒くさいルール”だとか思われがちですけど、それに携わっている本人たちからすれば、“縛り”なんかではなく、“奇跡的な秩序を以て初めて実現する機能調性の限界値を得るための自然な手段”にすぎません。

というのも、意外とそう思われていないようなのですが、“ジャズ理論”は完全にクラシックの和声に則って構築されたもので、まったく突飛なものでもなく、つまりクラシックの延長線上にあるということです。これはまぎれもない事実だけど、意外と別ものとして捉えている人が多いんですね。しかも、クラシックのプレイヤーは和声を把握していなくても演奏できるけど、ジャズで本当の意味でアドリブをとっている人は必ず完全に和声の理論を把握している。

ここでCPJに話を戻しますが、CPJがこのような“縛り”を捨てずに演奏しようと考えているのは、“ハーモニー(機能調性)”と“グルーヴ”という“2大要素”が“縛り”ではなく、ある特定の普遍的な音楽の快感の大きな部分を占めているので、外せない要素だからなのです。

そして、一見こうした“縛り”によって、CPJは“感情”をあまり表面に出さないタイプの音楽だと思われているかもしれませんが、“感情”を出さないのではなく、“出せない”タイプの音楽であると言ったほうが適切なのかもしれません。例えば難しいドラムソロをとるときに“難しそうに見えない”境地まで練習した状態で演奏すると、それがクールだと評価されるのに近いかもしれません。その結果、あたかもやる気がないような、淡白な演奏に見えてしまうようです。

CPJの作曲に関して言えば、実はメロディやハーモニーを考えている時点で、かなり“感情”が入っています。つまり、演奏する前の時点ですでに“感情”が組み込まれているということなんです。要するに、派手に楽器を演奏すること=感情豊かな演奏という価値観ではないということ。CPJに関しては、わかりにくいかもしれないけれど、“感情”は織り込まれているんです。

最後の“わかりにくい”という言葉が、CPJの特徴をいちばんよく表わしているのではないだろうか。そして“わかりにくい”からこそ奥深く、好奇心を刺激して止まないということも申し添えておきたい。

では、行ってきます!

●公演概要

mujik CPJ Festival IV

11月27日(木) 開場18:00/開演19:30

会場:ブルース・アレイ・ジャパン(目黒)

出演:松井秋彦(作編曲、マルチパフォーマー/キーボード、ギター、ベース、ドラム)、前田祐希(ヴォーカル)、嶋村一徳(ドラム)、クリスアキ(ピアノ)、猪口勇哉(ベース)、酒井美奈子(ピアノ)、向井康(ドラム)、小笠原たけし(Visual Jockey)

♪☆mujik CPJ 3rd / Flamboyance @ Blues Alley Japan / Akihiko'JOKER' Matsui(松井秋彦)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

富澤えいちの最近の記事