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王貞治やバリー・ボンズが見せたホームラン打者のダンディズムを減じるMLBの無投球敬遠ルール

豊浦彰太郎Baseball Writer
薬物疑惑には閉口だが、いくら歩かされても常に無表情だったボンズはダンディだった(写真:ロイター/アフロ)

早ければ来季にも大きなルール変更がMLBで実施される。それは、ストライクゾーンと敬遠死球に関するものだ。今回は、そのうち敬遠四球のルール変更について私見を述べる。

変更の内容とは、敬遠四球の際に文字通り4球のボールを投じなくても、その意思を表示すれば打者は一塁に敬遠四球として出塁することができるようにする、というものだ。これは試合時間短縮を狙ったものだ。セイバー系サイトの『ファングラフズ』に5月18日に掲載された記事によると、今季の試合時間はその時点で平均3時間00分26秒と、昨季に比べ4分12秒も長くなっているようだ。また、10年前の2006年は2時間48分11秒なので、それより12分15秒も長い。もう半イニングス以上余計に戦っているようなものだ。

この新敬遠ルールは様々な視点から語ることができる。まずは時短の効果に着いて論じることができる。敬遠暴投がなくなることによる戦術の変化の視点から述べることもできる。しかし、ここではダンディズムの観点から語ってみたい。

このルール改正が導入されると、野球からダンディズムがひとつなくなってしまうなあと思っている。

ぼくは、真のホームラン打者はホームランを放つ場面と同じくらい四球を選ぶ場面が絵になると思っている。相手捕手が立ち上がると、地元(なら)ファンがブーイングを浴びせかける。そんな中でも怒りは微塵も見せず4球を見送り、淡々と一塁に歩く。王貞治にしても、バリー・ボンズにしてもその姿は本当に絵になった。

彼らは、(多少はぼくの思い入れも入っているかもしれないが)歩かされても、歩かされてもボールダマには微動だにしなかった。出塁というある意味では究極の成果を得たとして日々歩き続けた。今まで長い間野球を見てきたので、中には敬遠攻めに遭うと不満や怒りを露にしたり、ボールダマに手を出すホームラン打者もいた。こういう打者を見ると、「まだまだ修行が足らないなあ」と感じたものだ。

敬遠四球を得るということは、ある意味では相手球団の投手や捕手、そして指導者に恥をかかせる行為である。これは、スラッガーにとっては特権であり勲章のひとつだ(言うまでもないが、次打者が投手の8番打者を歩かせることと混同しないでほしい)。

それが、手を上げるのかそう発言するのかは知らないが、意思を表明すればその強打者はとっとと一塁に歩くことになると、「勝負を避けられる」という両者の格の違いを見せつける数十秒がなくなってしまう。このことは、少なくともぼくにとっては野球の魅力がわずかだか失われることを意味している。

1940-50年代を中心に通算2008勝を挙げた名物監督のレオ・ドローチャー(76年の太平洋クラブの幻の監督でもある)は、マウンド上で投手が口に手を持って行くとスピットボールの意思ありとしてボールを宣告されるルールを逆手に取り、敬遠の際は投手に口に4度手を持って行かせた。「手間を省けるし、敬遠暴投のリスクもない」として、本人は自慢げだったが、リーグからは「ルールを愚弄する行為」として戒められた。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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