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阪神金本監督による藤浪161球起用がNGなのは「大一番ではなかったから」ではない

豊浦彰太郎Baseball Writer
疲労状態に達してからの続投は、故障のリスクを高めてしまう行為だ(写真:ロイター/アフロ)

阪神の金本知憲監督が、8日の広島戦で藤浪晋太郎に161球も投げさせたことが波紋を呼んでいる。エースらしからぬ投球に対する懲罰ではないかというのだ。特に、3点ビハンドだった7回裏二死で、その時点で131球も投げていた藤浪をそのまま打席に立たせた場面は異様だった。すでに疲労の色濃く感じられた藤浪は8回にはさらに3点を失い、勝負は決した。結局、8対2の大敗ゲームで、彼は8回161球も投げた。

この件を評するにあたり大事なことがあると思う。それは、まだ若く体が完全に出来上がっているとは言い切れず、かつ故障歴のある藤浪に常識的には過剰なタマ数を強いたことの前に「すでに敗色濃厚だったのに」とか「優勝をかけたゲームではないに関わらず」という枕詞をつけるべきではないということだ。事情のいかんを問わず「過剰なタマ数を投げさせてはいけない」と考えるべきだ。

160球クラスの熱投というと、2013年の日本シリーズ第6戦での田中将大(当時楽天)の登板を思い出す。翌日の最終戦でのリリーフ登板もセットで捉えても良いだろう。あの時の星野仙一監督の起用にも、ぼくは反対だった。球団史上初の日本シリーズ制覇がかかっていたとか、東北のファンの夢を背負っていたとかは事実ではあったが、それと選手の健康管理は別物だからだ。

1試合で何球までが許容範囲で、どこから先は危険領域か?これは個人差もあり、明快な医学的基準はない。しかし、疲労に達した状態で投球を継続することが故障に繋がり易いことは、その因果関係がある程度明らかになっている。8日のゲームでの8回の藤浪はまさにその状態だったのではないか。

視点を金本監督に移してみる。

プロ野球の監督に限らず、リーダーの役割というのは、まずはチームとしての成果(プロ野球の場合は勝利)を収めることであり、次には部下を守ってあげることだ。部下を守るとは、プロスポーツなら失敗した選手をメディアやファンの攻撃から庇ってあげることであり、故障のリスクを回避する起用に努めてあげることだと思う。いわば、それこそが「アニキ」の取るべき行動ではなかったか。藤浪はまだ若く、この先も輝かしい可能性が広がっている(はずだ)。監督たるもの、その可能性が危機にさらされることは避けねばならない。選手の生存権は、ある意味では監督のさじ加減ひとつなのだから。

また、今回の起用に関し、ある程度の発言権があるはずの香田勲男コーチはどう思い、どう行動したのか(またはしなかったのか)も気になるところだ。選手起用は、最終的には監督の専権事項だが、もし全く口を挟む余地がなかったとすれば、組織の硬直性も気になるところだ。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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