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ヤマハのミュージアムが12年ぶりのリニューアル。懐かしいグランプリマシンに出会える空間は必見!

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
ヤマハコミュニケーションプラザのGPマシン展示

2016年9月1日(水)、静岡県磐田市にある「ヤマハ発動機」の企業ミュージアム「コミュニケーションプラザ」が12年ぶりとなるリニューアルを実施し、一般公開が始まった。今回のリニューアルは同館2階部分の「歴史展示コーナー」が中心で、懐かしいバイク、往年のヤマハグランプリマシンの姿を間近で見られるようになった他、ヤマハ発動機の挑戦の歴史が分かりやすく紹介されている。これは必見の展示だ。

ヤマハコミュニケーションプラザ(静岡県・磐田市)
ヤマハコミュニケーションプラザ(静岡県・磐田市)

ヤマハの挑戦の歴史を学ぶ

2015年、創立から60周年を迎えた「ヤマハ発動機」。その歴史は1955年(昭和30年)に楽器メーカーだった「日本楽器製造(ヤマハ)」からオートバイ製造の部門が独立したことからスタートしている。

第二次世界大戦後、オートバイ製造メーカーが次々に誕生して乱立状態にあった時代に、「ヤマハ発動機」は後発ながらもオートバイ製造・販売に着手。同社のオートバイ第一号機である「YA-1」(排気量125cc)を1955年に発売した。

「コミュニケーションプラザ」2階にはまず「企業歴史ZONE」として同社の歴史が紹介されるコーナーがあるが、ここでの展示は非常にシンプル。企業の歴史紹介でありがちなくどいほどの紹介ではなく、第一号機の「YA-1」を軸に分かりやすく紹介されている。特に映画を使って見せるヤマハの歴史は理解しやすく、とても勉強になるのでぜひじっくり見て欲しい。

企業歴史ZONE 【写真:ヤマハ発動機】
企業歴史ZONE 【写真:ヤマハ発動機】
ヤマハYA-1
ヤマハYA-1

ヤマハの凄いところは後発メーカーながらも、初代のバイク「YA-1」を当時の花形レース「富士登山レース」「浅間高原レース」に参戦させ、いきなり125ccのクラスで優勝させているところだ。楽器製造メーカーの異業種への挑戦が最初から成功したのは、同モデルの異例とも言える耐久テストの実施によるものだ。リリースを急がず、いろんなことを試した上で「最高の製品を世に送り出す」という同社のイズムが歴史の始まりにも垣間見える。

こういう歴史を知れば、同社が1985年の「鈴鹿8耐」でいきなりポールポジションを獲得しトップを独走したり、2015年の「鈴鹿8耐」でも全面リニューアルした「YZF-R1」でいきなり優勝したりと、歴史上、ヤマハは石橋を叩いて渡らず、最初からトップを狙って製品を作り出すメーカーであることが分かる。

入館して目を引く鈴鹿8耐の優勝記念展示
入館して目を引く鈴鹿8耐の優勝記念展示

歴代グランプリマシンの展示は必見

今回のリニューアルで最も目を引くのは「レース展示ZONE」にある歴代グランプリマシンの展示だ。1958年に早くも国際レース「グランプリ」に参戦し、1961年には「ロードレース世界選手権(現在のMotoGP)」に参戦を始めたヤマハの歴代マシンがサーキットのスターティンググリッドに見立てた配置でズラリと並べられている。

歴代グランプリマシンの展示
歴代グランプリマシンの展示

一台一台にかなり近づいて見ることができるこの展示は必見。会社の最高の技術を投じて戦ってきた歴代ワークスマシンはぜひ1台1台の写真を撮りたいところだ。昨年もワールドチャンピオンを獲得したヤマハ。時代が電子制御を多用する時代になっても「MotoGP」で強さを発揮しライバルメーカーを翻弄し続ける理由が、歴史を紡いだマシンから感じ取れるに違いない。

1990年ジョン・コシンスキーが世界GPでチャンピオンを獲得したYZR250
1990年ジョン・コシンスキーが世界GPでチャンピオンを獲得したYZR250

F1マシンとエンジンも展示

ヤマハのレースへの挑戦で忘れてはならないのは4輪レースの最高峰「F1世界選手権」への挑戦だ。オートバイメーカーでありながら、古くは「トヨタ2000GT」など四輪車用のエンジンも生産する同社。

1985年「全日本F2選手権」にレーシングエンジン「OX66」を投入して参戦したのをスタートに、1989年からは「F1世界選手権」に参戦。「ザクスピード」「ブラバム」「ジョーダン」「ティレル」「アロウズ」などにエンジンを供給し、97年まで8シーズンを戦った。

ジョーダン・ヤマハ(1992年)
ジョーダン・ヤマハ(1992年)

ヤマハはF1で優勝こそなかったものの、1994年は「ティレル・ヤマハ」に乗る片山右京が予選で何度も上位グリッドを獲得。さらに1997年のハンガリーGPでは「アロウズ・ヤマハ」に乗る元ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルが優勝目前まで行くなど、中堅チームばかりと組んでいたにも関わらず素晴らしいリザルトを残している。「歴史製品展示ZONE」には往年のF1ファンには懐かしい「ジョーダン192・ヤマハ」(1992年)がリアカウルを外した形で展示され、同社がF2時代から挑戦した吸気3本・排気2本の5バルブエンジンの姿をじっくり見ることができる。

F1はすでに20年前に終了したプロジェクトながら、会社の歴史としてしっかりと紹介する姿勢からはヤマハがチャレンジする精神を大切にしていることをひしひしと感じ取ることができる。楽器メーカーがオートバイを製造に着手したところから始まった「ヤマハ発動機」の挑戦の歴史。どんなジャンルにも果敢に挑んでいく同社のイズムを感じ取れる、素晴らしい展示の数々。「ヤマハ」がなぜ世界で強いか、その理由が見えてくる。

なお、9月のリニューアルから毎月第2・第4の土日は定期開館となったため、週末のツーリングやドライブの行程に組み入れてみるのも良いだろう。

ヤマハ発動機「コミュニケーションプラザ」

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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