「殺すな」 興味をひくためなら、何を言ってもいいのか ネット社会の倫理
もう、うんざりである。ネット論壇の劣化、ここに極まれりだ。腐敗しきった日本のネット社会に対して、私はこの檄を叩きつける。
ある意味、このYahoo!個人の競合サイトではあるのだが・・・。BLOGOSでの、この謝罪記事が波紋を呼んでいる。いや、違う。もともと波紋を呼んでいるのは、長谷川豊氏のエントリーなのだが。
9月19日に掲載(転載)した長谷川豊氏の記事についてのお知らせとお詫び
http://blogos.com/article/191041/
謝罪文を引用する。
タイトルだけでも相当、アウトなのだが。
長谷川豊氏は、J-CASTニュースにて、こんな釈明を行っている。
長谷川豊氏、「人工透析」ブログの「真意」語る 全腎協の謝罪要求は「断固拒否」
http://www.j-cast.com/2016/09/25278891.html
これまたツッコミどころ満載だ。もっとも、真相を明らかにすべきなので、ここは人工透析の専門家や、人工透析患者の発言をぜひ聞きたい。ネットニュース各社はこれらの人の声を伝えるべきだ。長谷川氏が取材した10人以上の医者とは何科のどんな人なのだろう?それに対して、なぜ全国腎臓病協議会が抗議するのだろう?素人目に考えても、そんな疑問が湧いてくる。
私自身、人工透析が必要な患者がいる家庭で育ったのだが(祖父:毎週人工透析 父:脳腫瘍で寝たきり 祖母:心臓が弱い と、家族の半分が病気という家庭だった)、フォローする家族も含め、なかなか大変な想いをする。タイトルだけで不愉快になった。
ただ、これは、ネットニュースの構造的な問題でもある。
長谷川豊氏はこう釈明している。
「殺せ」という言葉は、興味をひくためになら使っていいのか。逆に言うならば、そこまでしないとネットニュースは興味をひけないのか。そのうち「消費税増税殺せ」「自衛隊派遣反対殺せ」「豊洲市場問題殺せ」と殺せが連呼される時代になるのか。「殺せ」くらいを使わないと、注目をひけない。注目をひく競争にいつの間にか踊らされている。
もっとも、注目をひくために「殺せ」を使うことが容認されると、その「殺せ」は本気なのかどうか、読み分けないといけない時代になる。さらに言うならば「殺せ」すら一般的な言葉になり、より過激な言葉を用いないと興味をひけなくなる。「殺せ」で煽っていると、数年後のネットニュースは「惨殺」「大虐殺」くらい使わないとクリックしなくなっているかもしれない。言葉のデフレとも言える状態が起こってしまう。社会の秩序も崩壊する。健全なPV競争というものもあると信じているのだが、その競争すら、禁じ手を使われたら崩壊する。真面目に原稿を書いている専門家は損をする。しかも「殺すぞ」ではなく「殺せ」だ。「殺すぞ」なら、長谷川豊氏の行為となる。「殺せ」は読み手に行為を促している。この扇動もいかがなものか。
だいたい、デスメタルバンドでも最近は「殺せ」を使わない。鎖をちぎる、壁を壊すなど、怒りを燃やすなど熟慮を重ねてから使うのが「殺せ」である。殺す対象も悪とか権力者とか殺人者であって、病人は殺さない。プロレス、格闘技の会場でも「落とせ」と叫ぶ人はいるが、「殺せ」と叫ぶ人はいない。「折れるぞ!」「止めろ!」と叫ぶ人はいるが「折れ」「死ぬまでやれ」と叫ぶ人はいない。
擁護するつもりはまったくないが、長谷川氏の問題というだけでなく、PV競争、気をひく競争というネットニュースの構造的な問題だとも感じた次第である。
Yahoo!個人は、PV数にとらわれず優れた記事を表彰する制度を設けている。これはネット界における希望だ。
長谷川豊なら何をやってもいいのか、と、前田日明風につぶやく42歳の昼。