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「1989年がターニングポイントだった」テレビに蔓延する“自粛ブーム”のはじまり

てれびのスキマライター。テレビっ子
1989年、新元号「平成」を発表する小渕恵三(写真:Fujifotos/アフロ)

「1989年」はテレビの大きなターニングポイントとなった年だ。

特にバラエティ番組においてそれが顕著だった。

象徴的なのは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の終了だ。

ビートたけしは映画監督として『その男、凶暴につき』を公開。彼のクリエイティビティを発揮する場が映画に移っていった。

明石家さんまは前年に結婚した大竹しのぶとの間に長女がこの年に誕生。一時的に仕事をセーブし、数少ない「低迷期」に入った。

タモリは『今夜は最高!』(日本テレビ)が終了。『笑っていいとも!』(フジテレビ)の「マンネリ」批判と相まって「つまらないもの」の象徴になっていった。

こうして「BIG3」世代が一時的とはいえ、バラエティの世界で一歩後退した年、台頭したのがとんねるずや「お笑い第3世代」の面々だ。

ダウンタウンとウッチャンナンチャンは『いいとも』レギュラーに抜擢。前年から始まった『夢で逢えたら』(フジテレビ)もこの年に全国ネットに昇格した。

ダウンタウンは『4時ですよ~だ』(毎日放送)などの関西ローカル番組を終わらせ遂に上京し本格的に東京進出『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)を立ち上げた

一方、とんねるずは時代の寵児になっていた。前述の『今夜は最高!!』終了の一因は裏番組だった『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ)の躍進だ。さらに前年にスタートした『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)も熱狂的な人気を獲得し、89年には民放バラエティ番組年間平均視聴率の第一位を獲得。やはり裏番組の『ザ・ベストテン』(TBS)を終了に追い込んだ

これらがテレビ界で起こったのがすべて1989年だったのだ。

現在まで続く、“平成バラエティ”の中心人物が出揃い、その基礎が完成した。奇しくもそれが「平成」と元号を変えた年だった。

そんな「1989年」を中心としたテレビバラエティを舞台にした、その演者や作り手の青春群像を描いたノンフィクションが本日発売の『1989年のテレビっ子』(双葉社)である。

『1989年のテレビっ子』戸部田誠:著(双葉社)
『1989年のテレビっ子』戸部田誠:著(双葉社)

「1989年」は社会的にも重大な年だった。中国では「天安門事件」が起こり、ドイツでは「ベルリンの壁」が崩壊。冷戦時代が大きな転換期を迎えた。国内では消費税がスタート女子高生コンクリート詰め殺人事件が発覚し、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤が逮捕された。オウム真理教が教団外におそらく初めて被害を出した坂本弁護士一家殺害事件を起こしたのもこの年だ。美空ひばりや手塚治虫といった国民的人物も亡くなった

そしてなんといっても昭和天皇が崩御されたのも1989年である。

このことはテレビにも大きな影響を与えることになった。

現在も続く“自粛ブーム”

1988年の終わり頃、ひとつのテレビCMが大きな話題を呼んだ。

日産自動車・セフィーロのCMである。

林の中を走る車。その助手席のパワーウインドウが下がると、井上陽水が微笑みながら彼独特のねっとりした口調で「みなさん、お元気ですか」と語りかけるものだ。

しかし、ある日突然、映像はそのままに、この「みなさん、お元気ですか」の声だけが消されるという奇妙な改編が行われた。

実は、CMが放映開始された直後、昭和天皇が重篤な病状になってしまったのだ。その結果、日本中でイベントやお祭などが“自粛”されるようになった。テレビもその影響を大きく受ける。このCMもそんな“自粛ブーム”の流れで改変を余儀なくされた。井上陽水の台詞が「宮さん、お元気ですか」に聞こえ「不謹慎」だというのが理由だったという。

一体どこまで、何を自粛すれば正解なのか誰も分からぬまま、自粛は拡大していった。

この自粛の流れは病状悪化とともに勢いを増し、翌1989年1月7日に崩御されるとピークに達した。お笑い番組はもちろん、音楽番組やテレビCMまでも一時姿を消した。

山田五郎は「1989年がターニングポイントだった」と言う。

「それまで、人権的な問題とかでこれは言ってはいけないっていうのがあったわけ。だけど、『何を』言っちゃけないかっていうのと『誰に』『どう』配慮すべきかっていうのはハッキリしてた。ところが昭和天皇がご病気になられて自粛が叫ばれたとき、『誰に』対して『何を』『どこまで』自粛していいのかまったく基準がなかったわけ。だから業界中、なんだか分からないけど自粛したほうがいいんじゃないかっていう空気っていうのが、たぶん日本のマスメディア史上初めて起きた」

こうした“自粛ブーム”は今も続いている。何かが起これば際限なく自粛する。それどころか、何も起きていなくても自粛するのが当たり前のようになった。「コンプライアンス(法令遵守)重視」の風潮の中で、法令以上のものを遵守するようになってしまったのだ。わずかでも抗議が来ただけで、広告主が離れかねないからだ。

「その前がハンパなく浮ついていたから、そこでどうしていいか解らなくなっちゃって訳の分からない自粛なんかが出てきちゃって、それがデフォルトになっちゃったんだよね。そしたらその直後92年ごろにバブルの崩壊があってメディアから広告が一斉に減ったでしょ。それまでは広告はいっぱいあったからこっちは読者のこと考えてやってるから、スポンサーと意見が食い違ってもそこは戦おうよって納得しないでガチャガチャやってたんだけど、自粛ブームがあり、バブル崩壊でスポンサーが減ったら全面的に言うことをきくようになっちゃったんだよね。お互いにとってよくない」

出典:『1989年のテレビっ子』(双葉社)

「自粛」とは本来、自らの倫理観で作ったルールに積極的に従うことで、権力からの無為な干渉や圧力を避け、自由であるべき場を無駄な規制を受けないためにするものだ。

つまり、自粛は自由を守るために行われるべきものだ。いわば、自粛は権力に抗う手段のはずだ。

だが、いまの「自粛」は決してそうとは言えないものが少なくない。

逆に自ら自由を放棄して、権力に従うような「自粛」がはびこっている。

1989年から続く“自粛ブーム”を一刻も早く終わらせること。

それこそがテレビやメディアが真っ先に取り組むべき課題なのだ。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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