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日本人メジャーリーガーの初記録【打撃・走塁編】日本人選手の初ヒットは、今からちょうど半世紀前

宇根夏樹ベースボール・ライター

メジャーリーグで初めてヒットを打った日本人選手は、イチローではないし、野茂英雄でもない。また、日本人選手初の盗塁と盗塁死は、どちらも同じ投手が記録している。

安打■1965年6月29日/マッシー村上/サンフランシスコ・ジャイアンツ

3回表の途中からマウンドに上がり、その裏に先頭打者として、ロサンゼルス・ドジャースのサンディ・コーファックスからバント安打を記録した。メジャーリーグ2年目、通算7打席目(7打数目)のことだった。コーファックスは1962年から4年続けてノーヒッターを達成し、1963~66年の4年間で3度のサイ・ヤング賞に輝いた。村上は通算16打席に立ち、16打数2安打。2本目は9月20日にレフト前ヒットを放った。

二塁打■1996年6月9日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

3回裏に回ってきた打席で二塁打を放つと、6回裏の2打席目にも二塁打を打った。2本目は客席に入り、グラウンドルール・ダブルとなった。右方向と左方向に1本ずつながら、どちらも打った相手はシンシナティ・レッズのデーブ・バーバ。現在、バーバはコロラド・ロッキーズのAAで投手コーチを務めている。

三塁打■1999年6月5日/野茂英雄/ミルウォーキー・ブルワーズ

初二塁打からほぼ3年後。3回表に先頭打者として放った三塁打は、この回、コロラド・ロッキーズのダリル・カイルから3点を奪う口火となった。ただ、この試合は野茂も打ち込まれ、4回を投げて7点を失った。野茂がメジャーリーグで打った三塁打は、この1本きりだ。カイルは野茂と同じ1968年の生まれだが、この3年後に遠征先のホテルで心臓発作を起こし、33歳の若さで亡くなった。

本塁打■1998年4月28日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

7回裏にドジャースが5点を挙げると、さらに、それに続いて野茂もレフトスタンドに叩き込んだ。6回まで無失点だったミルウォーキー・ブルワーズのホゼ・メルセデスは、ここで降板。野茂は2回表と9回表に本塁打を浴びたが、失点はその2本による計3点にとどめ、最後まで投げ切った。

打点■1995年8月5日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

サンフランシスコ・ジャイアンツを2対0とリードして迎えた9回表、2死一、二塁から打席に入ると、この試合2本目のヒットを放ち、この3年後に阪神タイガースでプレーするデーブ・ハンセンを生還させた。投げては1安打完封。7回2死からロイス・クレイトンに内野安打を許し、ノーヒッターを逃した。この試合に出場した選手では、マーク・キャリオンが1997~98年に千葉ロッテ・マリーンズ、スコット・サービスは1991年に中日ドラゴンズでプレーした。2人とも当時はジャイアンツの選手だった。

四球■1996年4月30日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

この試合に先発した両投手のうち、野茂は8回を投げて与四球1だったが、コロラド・ロッキーズのケビン・リッツは5.2回で与四球6と制球が定まらず、1回裏に2者連続で四球を与え、2回裏にもトッド・ホランズワースと野茂を立て続けに歩かせた。暴投も、野茂の1度に対し、リッツは2度あった。ホランズワースはこの年、新人王を受賞。エリック・ケアロスマイク・ピアッツァラウル・モンデシー、野茂に続き、ナ・リーグの新人王は5年連続でドジャースから選出された。

死球■2001年4月27日/新庄剛志/ニューヨーク・メッツ

2回表に、セントルイス・カーディナルスのマット・モリスにぶつけられた。モリスは1回表にも、後に読売ジャイアンツでプレーするエドガルド・アルフォンゾに死球を与えている。この5日後には、イチロー野茂英雄から死球を受けた。

三振■1964年9月29日/マッシー村上/サンフランシスコ・ジャイアンツ

7登板目に巡ってきたメジャーリーグ初打席で、ヒューストン・アストロズのクロード・レモーンから三振を喫した。レモーンはチャックを開けたまま写ったベースボール・カードでも知られるが、通算449登板と721.0イニングは、カナダのケベック州で生まれた投手では最も多い。村上はこの試合で、9回表から3イニングを無失点に抑え、マティ・アルーのサヨナラ本塁打によってメジャーリーグ初勝利を手にした。村上とアルーは日本プロ野球でも時期が重なる。アルーは1974~76年に太平洋クラブ・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)でプレーした。

犠打■1995年5月7日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

2登板目の3回表、無死一塁の場面で、コロラド・ロッキーズのビル・スウィフトが投じた初球をバットに当て、デーブ・ハンセンを二塁へ進めた。ドジャースはそこから満塁として、ラウル・モンデシーは三振に倒れたが、マイク・ピアッツァが本塁打を放った。この試合には、現ロッキーズ監督のウォルト・ワイスと現ニューヨーク・ヤンキース監督のジョー・ジラルディが、ロッキーズの1、2番打者として出場していた。

犠飛■1995年9月12日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

6回表、1死満塁からセンターフライを打ち、デライノ・デシールズを生還させた。この犠牲フライで6対0とリードを広げた野茂は、8回を投げてシカゴ・カブスに1点しか許さず、白星を挙げた。デシールズは現在、シンシナティ・レッズのAAAで監督を務めていて、通算463盗塁を決めた俊足は、テキサス・レンジャーズにいる同名の息子に受け継がれている。

得点■1995年7月5日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

3回表に送りバントを試み、二塁封殺によって一塁に残ると、デライノ・デシールズのヒットで二塁に進み、マイク・ピアッツァのヒットでホームに還ってきた。アトランタ・ブレーブスのジョン・スモルツに対し、ドジャースが挙げた得点はこの1点だけ。野茂も7回1失点と好投し、試合はチッパー・ジョーンズのサヨナラ本塁打で決着した。この年のナ・リーグ新人王投票では、野茂の得票ポイントがチッパーをわずかに上回った。

併殺打■1995年7月15日/野茂英雄/ロサンゼルス・ドジャース

2回裏に1死一、二塁から送りバントを試みたが、2-5-4(捕手→三塁手→二塁手)と転送されてイニング終了となった。マウンドではフロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)に3安打しか許さず、失点は立ち上がりの1点のみ。メジャーリーグでは3度目となる完投を、初の無四球で記録した。

盗塁■2000年6月24日/吉井理人/コロラド・ロッキーズ

アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦の5回表にヒットを打つと、続いて打席に入ったトム・グッドウィンの2球目に二盗を決め、グッドウィンの二塁打でホームを踏んだ。投手はランディ・ジョンソン、捕手はケリー・スティネット。吉井は5.2回無失点で勝ち投手に。ランディは7回4失点で負け投手となった。現在、グッドウィンはニューヨーク・メッツで一塁コーチ、スティネットは独立リーグのチームで監督を務めている。

盗塁死■1999年5月2日/吉井理人/ニューヨーク・メッツ

3回裏にヒットを打って出塁。次打者のリッキー・ヘンダーソンが見逃し三振を喫し、二塁へ走っていた吉井はアウトになって、併殺でイニングが終わった。この時、サンフランシスコ・ジャイアンツのマウンドにいたのはカーク・リーターで、マスクをかぶっていたのはブレント・メイン。二塁ベースでは、ジェフ・ケントが吉井にタッチした。メインは現在、サンディエゴ・パドレスのスカウトを務めている。

こうして並べると、マッシー村上が日本人最初の選手として足跡――リリーバーだったために打席に立つ機会は少なかったが――を残し、野茂英雄はパイオニアとして投げたことが、打撃と走塁の記録からも窺える。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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