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「シャペコエンセの悲劇」に冷淡だった2020年のホスト国

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
試合前、元チームメイトのケンペス選手の冥福を祈るセレッソ大阪の選手たち。

■「シャペコエンセの悲劇」はなぜ衝撃的だったのか?

ブラジルのプロサッカークラブ、シャペコエンセの選手・スタッフを含む71名が死亡した、コロンビアでのチャーター機墜落事故。悲劇から1週間後の12月6日、東京・四谷にある聖イグナチオ教会で行われた、駐日ブラジル大使館主催による追悼ミサに参加してきた。カソリックのミサに出席するのは初めて。お祈りや賛美歌はいずれもポルトガル語だったので、戸惑うことも少なくなかったが、日本で暮らすブラジルの人々と鎮魂の時を共有できたのは得難い経験となった。

シャペコエンセは、「名門」とか「強豪」といった称号から程遠いクラブであった。正式名称は『アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウ』。ホームタウンのサンタカタリーナ州シャペコは、人口20万人ほどの小さな町である。クラブ設立は1973年。カンピオナート・カタリネンセ(サンタカタリーナ州選手権)では5回の優勝を誇るものの、全国レベルでのタイトルとは無縁であった。09年はカンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国リーグ)のセリエD、つまり4部に沈んでいたこともある。

そんなシャペコエンセが、南米の主要タイトルのひとつであるコパ・スダメリカーナ2016のファイナルに進出したことは、本国ブラジルはもとより、南米のサッカーファンの間でも熱い視線が注がれていた。無理やり日本に当てはめるなら、7年前まで地域リーグにいたクラブがACL(AFCアジア・チャンピオンズリーグ)に出場して決勝に進出したようなものである。ゆえに今季のシャペコエンセの快進撃は、まさに「おとぎ話」そのものであった。ところが、アトレティコ・ナシオナルとのアウェー戦に向かう途中での、突然の暗転。単に、飛行機事故によって多くのアスリートの命が失われた、という話ではない。歴史的快挙を目前にしての理不尽な悲劇ゆえに、その衝撃は国境を越えて全世界に発信されたのである。

東京・四谷での追悼ミサ。ケンペス選手が所属していたジェフ千葉のサポーターの姿も。
東京・四谷での追悼ミサ。ケンペス選手が所属していたジェフ千葉のサポーターの姿も。

■悲劇を契機に結束する世界中のサッカーファミリー

この事故の犠牲者の中には、かつてヴィッセル神戸を指揮したカイオ・ジュニオール監督をはじめ、ケンペス(元千葉、C大阪)、アルトゥール・マイア(元川崎)、クレーベル・サンタナ(元柏)、ウィリアン・チエゴ・ジ・ジェズス(元京都)といった、Jリーグにゆかりのある指導者や選手も数多く搭乗していた。そのため日本では、「元Jリーガーが犠牲になった」という切り口での報道が多かったように感じる。

しかし本国ブラジルでの受け止め方は、われわれが想像する以上に深刻かつシリアスであった。サンパウロ在住の友人によれば「東日本大震災を思い出すくらい」、現地のメディアはこのニュース一色だったという。ブラジルのテメル大統領は、国を挙げて3日間の喪に服すことを宣言(同大統領はシャペコで行われた追悼式典にも出席している)。一方、観光名所としても有名なコルコバードのキリスト像は、シャペコエンセのクラブカラーであるグリーンにライトアップされた。

twitterのタイムライン上では、今もシャペコエンセのエンブレムに黒いリボンを添えた画像で溢れている。メッシやネイマールをはじめとするスーパースター、そして名だたるビッグクラブは事故の直後に哀悼のメッセージを寄せているし、FCバルセロナとレアル・マドリーによるクラシコでも試合前に黙祷が捧げられた。また、元ブラジル代表のロナウジーニョ、元アルゼンチン代表のリケルメ、そしてアイスランド代表のグジョンセンが、多くの選手を失ったシャペコエンセを支援するべく無給でプレーすることを申し出ていることも報じられている。

日本はどうか。Jリーグの公式サイトは、村井満チェアマンのコメント各クラブの哀悼をいちはやく伝えている。また、今月3日のJ1チャンピオンシップ決勝、そして4日のJ1昇格プレーオフ決勝とJ2・J3入れ替え戦では、試合前に黙祷が実施され、選手たちは喪章を付けてプレーした。事故そのものは非常に痛ましいものであったが、世界中でサッカーファミリーの連帯が広がっていることには、ささやかな救いが感じられる。

献花台でのセレッソ大阪のサポーター。日本での追悼の輪はサッカー界にとどまった。
献花台でのセレッソ大阪のサポーター。日本での追悼の輪はサッカー界にとどまった。

■2020年のホスト国だからこそ考えたいこと

もっとも、わが国のリアクションはあくまで「サッカー界隈」という、ごくごく限定的なものであって、決して国民的なものではなかったことは留意すべきだろう。追悼のためのライトアップは世界中に広がっていったが(参照)、わが国でのこうした動きは今のところ確認できていない。「遠い国での出来事だし」とか「日本はサッカーがメジャーではないし」とか「いちいち反応していたらきりがないし」と言われてしまえば、それまでかもしれない。これが2011年以前であれば、私も「まあ、そうだよね」と納得していただろう。

だが、思い出してほしい。5年前の東日本大震災の直後、ブラジルをはじめ世界中のスタジアムで日本を激励するメッセージが掲げられたことを。今年の夏、私たちを大いに楽しませてくれた五輪とパラリンピックの開催国が深い悲しみに沈んでいることを。そしてリオから東京へ、五輪旗とパラリンピック旗が引き継がれたことを。それらを思い起こすなら、わが国の(とりわけ東京都の)無反応にはいささかの失望を禁じ得ない。

「大会経費削減」も「都民ファースト」も「レガシー」も大いに結構。しかしながら、五輪会場見直し4者協議の当事者たちが、今回の「理不尽なアスリートの死」に気づかなかったはずがない。「ここはひとつ、東京タワーかスカイツリーをライトアップするべきでしょう」と提案する人はいなかったのだろうか。たとえそれが難しかったとしても、今年2度もリオを訪れている小池百合子都知事から「お悔やみの言葉」が聞こえてこなかったのは残念でならない。

その後、アトレティコ・ナシオナルが申し出ていたタイトル辞退を南米サッカー連盟が受け入れ、シャペコエンセの優勝が正式に認められた。コパ・スダメリカーナのチャンピオンには、翌年の夏に日本で開催されるスルガ銀行チャンピオンシップへの出場権が与えられる(対戦相手はYBCルヴァンカップ優勝の浦和レッズ)。予定どおりシャペコエンセが来日すれば、われわれは直接彼らを励ますことができるのだ。次回の五輪とパラリンピック開催国として、恥ずかしくない態度で彼らを迎えられることを切に望みたい。(本稿は『宇都宮徹壱WM』でのコラムを大幅に加筆修正した)

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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