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名古屋で「死ね」と言われた中学生が自殺―生徒と教師の関係について考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

名古屋市南区の市立中学2年の男子生徒がマンションから転落死、自宅からは「複数の人から『死ね』と言われた」と書かれたノートが見つかっており、クラスの生徒からは「自殺する」と言った男子生徒に対し、担任の女性教諭が「そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ」と煽るようなことを言ったという証言も聞かれた、と報じられました。担任教諭は記者会見で「煽るようなことは決して言っていない」と否定しています。

真偽の程は分かりませんが、実際教育の現場で似たやり取りを見ることはあります。教師とのやり取りが原因の一つだったと仮定して、再発を防止するためにどうしたら良いかを考えてみたいと思います。

◆「いじめられたら自殺もしかたない」という小学生

先日、小学生100人ほどに「自殺」についてどう考えるか、というアンケートを採ったところ「自殺は良くないことだと思うけれど、いじめられているならしかたない」と言う回答が複数集まり、それに対して賛成の声も多数上がりました。

また「イヤな思いをしてまで生きる必要はない」「迷惑をかけない死に方なら良い」という回答もありました。総数では「自殺はいけないと思う」が半数を超えたものの、半分弱の生徒は「場合によってはしかたがない」という回答をし、一部生徒は「身体の自由」を理由に自殺をするのも自由としました。

いじめなどイヤな思いをしたときに、我慢するのではなく、解決策はないだろうか、という問いに対しては「うちの担任は割と分かってくれるから大丈夫」「担任には期待できない」「先生が入っても解決できないものもあると思う」という意見が挙がり、大方解決は教師に委ねられているといった印象でした。

◆安易に「死ね」という教師

以前勤めていた学習塾で、ある専任講師が授業中生徒に向かって「死ね」と言ったことが原因で、保護者の方から苦情の連絡があり、その生徒が退塾になるという事件がありました。当該講師は授業担当を外されることになりましたが、「確かに言ったが、ギャグとして言っただけだ。」「他の先生も生徒に死ねと言っていた。自分だけ非難されるのはおかしい。」と最後まで主張していました。問題はどこにあるのでしょうか。

僕はその講師に「同じ言葉でも、誰が言うか、またタイミングによって伝わり方が違うのだから細心の注意を払うべき。」と話しましたが、結局納得してもらうことはできませんでした。

僕自身、馴染みのクラスでは授業中に言葉が乱暴になることもあるのですが、一番大事なのはやはり人間関係で、かつ言葉の指し示す内容が、その場において誰もが納得するものであるか、が重要だと感じています。メンバーそれぞれとお互いの性格や価値観を伝えるやり取りを重ね、注意や指示をする際もお互いの同意を元に進めていくように心がけています。

生徒が嫌う先生の特徴の一つに「なんで怒るのかが分からないところで怒る」というものがあります。つまり怒りのポイントが伝わっていないんですね。理由が分からないまま怒られることほど生徒達にとって不条理感や不信感を抱かせる一番のポイントになっているようです。

◆生徒をリスペクトできているか

以前、高円宮妃殿下にお目にかかった際に教育についてインタビューさせて戴きました。「今の教育に最も必要かつ足りないもの」という質問に対し妃殿下は「リスペクト」と答えられました。

お互いにリスペクトが出来ていれば、起こらないはずの問題は確かに数多あります。いわゆるモンスターペアレンツの問題なども、まずは教師側が保護者の方をリスペクトし、理解をしようと努力することで解消できるものもあると思います。実際教育の現場では「あの親はモンペアだから」なんていう会話を聞くことがあります。それじゃあいつまで経っても良い方向には進まない気がします。

生徒との信頼関係もしかりで、「先生のことを馬鹿にしている生徒が多い」という教師は多いですが、まず教師の側から生徒をリスペクトする感覚はとても重要だと思います。「子供は子供として完成しているのであって、大人の模型ではない」というのは寺山修司の言葉ですが、まさに未完成な大人として生徒に接してしまうと、目線が不自然に高くなってしまうような気がします。理由が伝わらないような怒り方をすることも、この辺りに原因があるような気がします。

特に家族以外の大人と接する機会が減っている都市部の小中学生にとって、学校の教師や塾や予備校講師の存在は時に大きいものだと思います。そういうことを自覚しつつ、こちらが謙虚になり、文字通り伝わらないことを前提に言葉を慎重に選び、また伝わったかどうか常に空気を読もうとするくらいの気持ちが必要なのではないでしょうか。男子生徒のご冥福をお祈りしつつ、再発が少しでも減ることを願います。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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