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安倍“盤石”政権の正念場「今後給料が上がる」を検証する

山田順作家、ジャーナリスト

■デフレが原因で給料が下がリ続けてきた?

7月26日、日銀は、6月の全国消費者物価指数(生鮮食品除く、コア)が1年2カ月ぶりに前年比プラスに転換し、期待インフレ率が上がり始め、物価上昇の勢いが継続する兆しが見え始めたと発表した。また、7月23日に公表された平成25年度の経済財政白書と7月の月例経済報告は、ともにアベノミクスの効果を強調し、今年に入ってから景気が回復しつつあるとしていた。

となると、今後、景気回復が本格化すれば、それにつれて給料は上がることになる。

アベノミクスでは、物価の上昇に続いていずれ給料も上がるとしてきた。これまでの20年間はデフレだったので、それが原因で給料も下がり続けてきた。だから、インフレにさえなれば、給料も上がるというのだ。

■給与所得者の平均給与は1997年から減少中

これまでの日本では、インフレが続いていたとき(1994年まで)は、労使交渉により賃金が引き上げられてきた。その際、労組側が賃上げを要求する根拠に、物価の上昇率、インフレ率などがあった。

もちろん、産業ごとに成長率も生産性も業績も違うから、賃金の上昇率には差があったが、おしなべてインフレのときは賃金は上がってきた。

そんな日本の給与所得者の平均給与が、減少に転じたのは1997年。国税庁のデータによると、1997年の平均給与は467万円で、これが2011年には409万円まで落ち込んでいる。この間、デフレが続いてきたのは言うまでもない。だから、デフレが給料を減少させてきたと考えられるわけだ。しかし、それは本当なのだろうか?

■給与減少の原因はデフレでなくフラット化

平均給与が下がっているのは、じつは日本だけではない。この間インフレだった先進国でも軒並み下がっている。経営者や役員、エリート幹部社員の所得は上がったが、一般雇用者の所得は下がった。また、非熟練労働者とされる単なるワーカーの所得は、さらに下がっている。これは、トーマス・フリードマンが『フラット化する世界』で描いたことである。

つまり、グローバル化にともない、先進国の労働者の賃金と途上国の労働者の賃金が収斂していく。先進国の労働者の賃金は低下し、逆に途上国の労働者の賃金は上昇して、世界全体でフラット化していくというのである。

ここ数年で、中国の労働者の賃金は上がり、低賃金を前提とした中国進出の製造業のコストは大幅に上がってしまった。つまり、日本国内だけの閉じた空間だけを考えれば、賃金の低下はデフレが原因のように思える。しかし、グローバル経済から考えれば、フラット化のせいと言えるのである。

■サラリーマン社会、終身雇用、年功序列は崩壊

グローバル化が進めば進むほど、同一の仕事なら賃金の安い国の労働者に行ってしまう。途上国の労働者に10万円で発注できるのに、日本人にやらせたら50万円かかるとなれば、どんなに余裕がある企業でも日本人に仕事は回さない。

柳井正社長が打ち出した世界同一賃金は、当然なのである。だから、「将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく」という発言をいくら批判してみても意味はない。

すでに、日本のサラリーマン社会、終身雇用、年功序列は崩壊している。アベノミクスでは、今後、社員を解雇しやすくする「限定社員制度」を導入しようとしている。

総務省が7月12日発表した2012年の就業構造基本調査によると、非正規労働者の総数(推計)は2042万人と2007年の前回調査から152万人増加し、初めて2000万人を超えた。雇用者全体に占める割合も38.2%と2007年の前回調査から2.7ポイント上昇し、過去最高を更新している。

これではもう、一部のスペシャリスト、エリートを除いて、給料が上がるなどということはないと思ったほうがいいだろう。

■なぜ労働生産性とROEが低いのか?

最近、日本企業の労働生産性(労働者1人あたりが生み出す価値)の低さが指摘されている。日本の労働生産性は、OECD加盟34カ国中第20位で、アメリカの3分の2程度である。

ただし、労働生産性は各国の企業文化の違い、産業構造の違い(サービス業が多いと低くなる)などがあり、いちがいには比較できない。しかし、実感として、日本の会社が非効率であるのは確かだ。

また、日本企業のROE(株主資本利益率)を国際比較すると、欧米企業が20~25%程度なのに対し、日本企業は10~15%しかないことも、問題視されている。これは、日本企業の収益性が低いことを表している。

いったいなぜ、日本企業は、労働生産性、ROEが低いのだろうか?

■なぜ、日本の失業率は欧米諸国より低いのか?

これは、企業が内部に隠れ失業者をたくさん抱えているからである。最近、電気産業などでは「追い出し部屋」に社内失業者を集めているが、なかなか追い出せないでいる。

そのため、日本の出業率は、景気が悪いにもかかわらず、欧米諸国に比べて異常に低くなっている。

日本の失業率は2013年5月時点で4.2%である。これはアメリカの7.5%(2013年4月)、ドイツの5%台、イギリスとスウェーデンの8%台、フランスの10%台と比べると、本当に低い数字だ。

つまり、日本は、欧米諸国と比べると労働者保護が手厚く、容易に社員をリストラできないのである。その結果、痛みを全体で分かち合うことになり、給料を下げ、ボーナスをカットしてきてきた。フラット化とともに、これが日本の労働者の平均賃金を引き下げてきた、もう一つの原因である。

■国民の期待が裏切られる日は来るのか?

このように、給料が低い原因がデフレでないとすれば、インフレにさえなれば、企業が給料を上げるというのは間違いではないだろうか?

かえって、インフレが進んでも給料は上がらない。円安による輸入物価の上昇が続くなかで、生活が苦しくなっていくのに給料だけが上がらないという最悪の結果を招くのではないだろうか?

はたして安倍政権は、限定社員制度導入による解雇規定の緩和ができるのだろうか? できれば、日本企業に活力が生まれるだろう。しかし、放り出された人材の行き場がないとなると、平均賃金が上がるかどうかはわからない。

アベノミクスの信奉者にとって、このような未来は予想することもはばかれるだろうが、この世界は希望的観測どおりには動かない。

アベノミクスによる「給料が上がる」に対しての国民の期待が裏切られる日は、案外早くやって来るのではないだろうか? そのとき、安倍総理は、「もう少し待ってください」と言うのだろうか?

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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