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【インタビュー】セルビア出身の女性ブルース・ギタリスト:アナ・ポポヴィッチ、父との共演アルバムを発表

山崎智之音楽ライター
Milton & Ana Popovic

セルビア(旧ユーゴスラビア)出身の女性ブルース・ギタリスト、アナ・ポポヴィッチがニュー・アルバム『ブルー・ルーム』を発表した。

2013年10月には来日公演を行い、歌ごころあふれるブルース・ギターで日本のブルース女子人気も高いアナだが、新作は自らの父ミルトン・ポポヴィッチとのコラボレーション・アルバムだ。

ブルース・スタンダード「キャットフィッシュ・ブルース」からジョン・リー・フッカー、ジミー・リード、ジョン・レノン、ヴァン・モリスン、トニー・ジョー・ホワイトまで多彩なアーティストの曲をカヴァー、父娘ならではの息の合ったギター・コンビネーションを聴かせている。

アナが『ブルー・ルーム』と父について語った。

●あなたがお父上ミルトンの影響で英米のロックやブルースを聴くようになったことは有名ですが、お父上がギタリストだということは知りませんでした!

父は家でギターを弾いていたけど、本業はグラフィック・デザイナーで、プロのミュージシャンではなかったのよ。私は父のギター・サウンドが好きだったし、いつか一緒にアルバムを作りたいと考えていた。10年ぐらい前から私のアルバムにゲスト参加して欲しいって言っていたけど、父は「いやあ…」と首を縦に振らなかった。決して気難しくはないけど、シャイで控えめな性格なのよ。結局、私が「孫のためにやってよ!」と言って、スタジオ入りさせることにした。1、2曲を一緒にやるだけでも良かったけど、すごく盛り上がって、アルバム全曲で共演することになったわ。『ブルー・ルーム』は1952年生まれの父にとってのデビュー作で、ブルースをやるにはちょうどいい年齢だと思う。私なんかじゃ、まだまだ子供よ。

●あなたはミルトンからどのような影響を受けましたか?

私の音楽の原点は、すべて父にあると言えるわ。私がブルースを初めて聴いたのは2歳のとき、父がかけているサニー・テリー&ブラウニー・マギーのレコードだった。それからルーツ・ブルース、シカゴ・ブルース、テキサス・ブルース…あらゆるブルースを聴かされた。それからトニー・ジョー・ホワイトやジョン・レノンなどのソングライターの曲を父がギターを弾いて、私が歌うようになった。私がギターを弾くようになってからは、ジャム・セッションをやったりね。私が今でも弾いているフィエスタ・レッドのストラトキャスターは私が18歳のとき、父母に買ってもらったのよ。

●『ブルー・ルーム』はミルトンにとって初めてのスタジオ・レコーディングだそうですが、それはどんな経験でしたか?

Ana & Milton Popovic: Blue Room/BSMF2450
Ana & Milton Popovic: Blue Room/BSMF2450

父にとって初めてのレコーディングだし、自宅のリビングルームみたいにくつろげるスタジオということで、メンフィスの『アーチャー・ミュージック&アート・スタジオ』を予約したのよ。父はブルースの聖地メンフィスでレコーディング出来ることに、すごくエキサイトしていた。アルバムのサウンドについてもいろんな意見を出したし、自然にプレイして、歌っていた。時間はかかったけど、父は本質的にミュージシャンなんだと改めて思ったわ。ちっともナーヴァスになっていなかった。

●『ブルー・ルーム』での父娘共演のヒントになった他アーティストの作品はありますか?

うーん、特にないと思うけど、ファミリー・アルバムで印象に残っているのは、ジミーとスティーヴィ・レイ・ヴォーンの『ファミリー・スタイル』ね。あのアルバムは兄弟のお互いへの愛情と敬意に満ちていた。ベン・ハーパーがお母さんとアルバムを出したのは驚いたわ(エレン・ハーパーとの『チャイルドフッド・ホーム』2014年)。私が父を説得しているときにリリースされたけど、すごい偶然だと思った。もちろん似ているのはコンセプトだけで、音楽性はまったく異なるけどね。

●あなたにとって、父親とレコーディングするのはどんな作業でしたか?

私は生まれたときから父母に育てられたけど、大人になってから父と1週間を過ごして、じっくり音楽の話をすることが出来たのは、本当に思い出深い経験だった。それがアルバムのサウンドにも表れていると思う。実は私の祖父もギターを弾いていたのよ。ジャンゴ・ラインハルトみたいな、ジャズ・ギターを弾いていた。戦前からランチ・ルームみたいな小さい規模の場所でライヴ活動もやっていたわ。たぶん音源は残っていないと思うけど、1985年に亡くなるまで、毎日のようにギターを弾いていた。だから私は3世代目のギター・プレイヤーなのよ。

●ミルトンのギター・プレイはどのようなものですか?

父はとてもレイドバックした、スローハンドなリードを弾くのよ。エリック・クラプトンやJ.J.ケイルのスタイルに近いかも知れない。最近の若いギタリストでこんな感じで弾く人はいないから、貴重な存在ね。彼は日本製のストラトキャスターをすごく気に入っていて、アルバム全編それ1本で通していた。

●『ブルー・ルーム』ではさまざまなアーティストの曲をカヴァーしていますが、その中で特に思い入れのある曲はありますか?

Ana Popovic
Ana Popovic

もちろん全曲思い入れがあるけど、トニー・ジョー・ホワイトの「雨のジョージア」でのギター・プレイは特に感情の込められたものになったわ。ワン・テイクで、直すべき必要がなかったのよ。この曲を聴いて、プロデューサーのジム・ゲインズが涙ぐんでいたほどだった。それとジェスロ・タルの「ウィ・ユースト・トゥ・ノウ」は意外な選曲と思うかも知れないけど、初期ジェスロ・タルはブルースの要素があったし、プレイしていて違和感はなかったわ。私の普段のアルバムではやらないタイプの曲だし、今回やるのがベストだと思ったのよ。父はブルースだけではなく、さまざまな音楽への造詣が深いことに改めて敬服したわ。

●今後ミルトンとはどのような活動を予定していますか?

私は6月にベオグラードのフェスティバルでライヴをやるから、そのときゲストで出演してくれたらいいと思っているわ。でも父はあまり人前に出たがらないし、どうなるか判らない(笑)。まだ次のアルバムについても話してないわ。一緒に曲を書いても面白いと思うけど、すべては父次第ね。『ブルー・ルーム』を作るにあたって、レコーディングする候補の曲をリストアップしていったら、アルバム3枚ぶんの曲の候補があった。エルモア・ジェイムズ、ハウリン・ウルフ、アルバート・キング…いずれコラボレーションの第2弾、第3弾を出せたらいいわね。その前に私は12月にはニュー・アルバムを出す予定だけど、これまでの作品とはまったく異なる、新しいプロジェクトになるわ。

●あなたのお子さんがギターを弾くようになれば、4世代目のギタリストとなりますが、あなたが教えたりしないのですか?

私には7歳の息子と、2015年6月に3歳になる娘がいるけど、彼らに無理矢理ギターを押しつけたいとは考えていない。本人の意志に任せるわ。とは言っても、家のあちこちにギターをさりげなく置いて、彼らが手に取りやすい環境を作っているけどね(笑)。

●ぜひ次回の日本公演ではお子さんとお父上と一緒に来て下さい!'

それが実現したら最高ね!前回(2013年10月)日本でのライヴは最高の経験だったわ。ジャズ・クラブで総入れ替えの一日2回公演をやるのは珍しかったけど、楽しかった。最初はみんな行儀良く座って、手拍子を打つ程度だったのが、徐々に盛り上がってきて、アンコールでは総立ちになっていた。そういうライヴはすごい達成感があるわ。またその達成感を味わいに、日本でプレイしたいわね。

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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