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【インタビュー】ダーク・エンジェルのジム・ダーキン、『スラッシュ・ドミネーション2016』参戦を語る

山崎智之音楽ライター
Dark Angel

2016年1月9日(土)・10日(日)にスラッシュ・メタルの祭典『THRASH DOMINATION 2016 /スラッシュ・ドミネーション2016』が開催される。

これまで数々のスラッシュ・メタルを代表するアーティスト達が出演してきたこのイベントだが、第11回を迎える今回はクリエイター、デストラクション、そしてダーク・エンジェルが参戦。“最強決定戦”の名に嘘いつわりのない、首の骨がへし折れるまでヘッドバンギングの嵐が吹き荒れるストロングな布陣が揃った。

(大阪では1月11日(月)にデストラクション、12日(火)にクリエイターの単独公演が行われる)

そんな中でジャパニーズ・スラッシャー達を騒然とさせているのは、ダーク・エンジェルの日本初上陸だ。1981年にシェルショックとして結成、1983年にダーク・エンジェルと改名して西海岸スラッシュを代表するバンドのひとつとなった彼らは、4枚のアルバムを発表して1992年に解散。だが、世界中のスラッシャー達からの熱狂的な要望に支えられて復活、遂に日本のステージに立つことになった。

来日直前インタビューに応えてくれたのは、オリジナル・メンバーであるギタリスト、ジム・ダーキンだ。彼は『ウィ・ハヴ・アライヴド』(1985)、『ダークネス・ディセンズ』(1986)、『リーヴ・スカーズ』(1989)の3作でプレイした後に脱退したが、今回の再結成でバンドに復帰した。

初期スラッシュ・メタルの生き証人であるジムに日本公演への意気込みと、スラッシュ・ムーヴメント黎明期について証言をしてもらった。

脳天にガツンと来るライヴ。ヘルメットを被ってくるといい

●『スラッシュ・ドミネーション2016』がいよいよ迫ってきましたね。

Jim Durkin
Jim Durkin

ああ、最高にスリルを感じているよ。アメリカのロック・バンドにとって、日本でプレイすることは大きな目標なんだ。ドラマーのジーン・ホグランは別のバンドで何度も来日しているし、日本のキッズ、食べ物、文化が最高だと教えてくれた。それにクリエイターとデストラクションは大昔から友達だし、志を同じくする仲間だ。スラッシュ・コミュニティはひとつの大きなファミリーなんだ。みんな昔から同じような会場やフェスでプレイして、顔を合わせているし、同じ苦労をしてきた。自分たちにとってスペシャルなショーだから、お客さんにとってもスペシャルな経験になるようベストを尽くすよ。

●『スラッシュ・ドミネーション2016』でのライヴはどんなものになるでしょうか?

1988年や1990年のダーク・エンジェルそのままのショーだ。俺たちは自分のため、そして昔からバンドを支持してくれたファンのために音楽をやっているんだ。俺たちは進化を止めた巨大獣、『ジュラシック・パーク』の住人なんだよ(笑)。もちろんスタンダード・チューニングでプレイする。1音下げとか2音下げのモダンなサウンドには興味がない。俺たちはシーンやトレンドなんて気にしないし、最近のバンドのマネをしようとは思わないんだ。『スラッシュ・ドミネーション』用のスペシャル・セットを組んでいく。2回ショーをやるけど、みんなが聴きたい曲、そして何十年かぶりにプレイする曲も含めて、数曲を入れ替えたセットになるだろう。脳天にガツンと来るライヴだから、ヘルメットを持ってきた方がいいよ!

●2015年にはどんな活動をしていましたか?

新曲を書いていた。最高のリフやアイディアが幾つもあるし、凄いエネルギーに満ちた曲ばかりだよ。俺とジーンが主に書いているけど、全員がアイディアを出している。アルバムを出すのはちょっと先になりそうだけど、ダーク・エンジェルのファンだったら、俺たちのアルバム作りのペースが決して速くないことを知っているだろう。2年かかったり、20年だったりね(笑)。でも遠くない将来、みんなにニュー・アルバムを聴いてもらう日が来るだろう。

●『スラッシュ・ドミネーション2016』で新曲をプレイする可能性は?

日本でプレイするのはこれが初めてだから、俺たちの代表曲をすべて聴いてもらいたい。もう20年以上プレイしてきて、これから一生プレイし続ける曲だし、身体に染みこんでいる。新曲をプレイするのは、次回になるだろう。日本におけるダーク・エンジェルの歴史は始まったばかりなんだ。焦ることはない。

●2014年にはアメリカやヨーロッパのフェスティバルに出演しましたが、2015年はイギリスの『ブラッドストック』フェス1回でした。2016年にはもっと多くのライヴが行われるでしょうか?

どうだろうな...もしかしたら2016年のライヴは『スラッシュ・ドミネーション』だけかも知れない。メンバー達がそれぞれ離れた場所に住んでいるから、なかなか集まることが出来ないんだ。俺はロサンゼルス在住で、エリック・メイヤー(ギター)はハンティントン・ビーチだから比較的近所に住んでいる。ロン・ラインハート(ヴォーカル)はワシントン州、ジーンはカリフォルニア州の南端、ゴンズ(マイク・ゴンザレス/ベース)はニューメキシコ州に住んでいる。みんないい歳だし、仕事や家族もあるから19歳のときみたいに、毎晩違う町でショーをやって、地元の友達の家のソファに寝かせてもらうことは難しいんだ。でもツアーに出ると、みんなでじっくり話すことも出来るし、楽しいよ。

●現在メンバー達は昼の仕事をしているのですか?

ジーン以外はそれぞれ別の仕事をしているよ。俺の普段の仕事は“マネージャー”だ。管理者だよ。でも俺の本職はギタリスト、そしてソングライターだと考えている。 ジーンはプロフェッショナル・ミュージシャンなんだ。だからダーク・エンジェルが活動していないとき、彼はテスタメントやデヴィン・タウンゼンドとも一緒にやっている。そんな中で、彼がダーク・エンジェルと常に活動してくれるのは幸せだよ。

●あなたはダーク・エンジェル脱退後、ドリーム・オブ・ダムネイションや再結成ルースレスでも活動してきましたが、現在ダーク・エンジェル以外にやっているバンドはありますか?

いや、今はダーク・エンジェルに全力投球している。たまに声がかかれば、ゲスト参加はするけどね。最近ではベネディクタムのヴェロニカ・フリーマンのアルバムでちょっとギターを弾いたのと、タンクの新作で1曲ソロを弾いた。「ワン・フォー・ザ・ロード」というインストゥルメンタルだよ。タンクはずっと俺のヒーローだったんだ。ミック・タッカーは俺のことを“甥っ子”と呼んでくれるし、『ブラッドストック』でプレイした後、ミックと彼のガールフレンドと3日間のバカンスを取ることが出来た。

●ライヴでは「タイム・ダズ・ノット・ヒール」など、あなたがオリジナルのレコーディングに関わっていなかった曲もプレイするのですね?

もちろん!俺は『タイム・ダズ・ノット・ヒール』(1991)のレコーディングには参加しなかったけど、ジーンとはずっと交流が続いて、彼が書いたデモを聴かせてもらったりしていた。ダーク・エンジェルの歴史における正統な作品だと考えている。俺が抜けた後に加入したギタリスト、ブレット・エリクセンもクールなギタリストだし、良い友達だ。もし俺が脱退しなかったとしても、ああいうアルバムになったと思うよ。自分が書いた曲でなくても、ケツを蹴り上げる最高の曲だから、プレイするのを楽しんでいるよ。

スラッシュ・メタルは共有しあうコミュニティ

●前身バンドであるシェルショックが結成したのが1981年ということで、ダーク・エンジェルはスラッシュ・メタルの創始者のひとつと言われています。

それは違うな。初めて真のスラッシュ・メタル・リフを書いたのはヴェノムのマンタスだ。1970年代後半からモーターヘッドやタンクがいて、時代の流れがそうなりつつあった。俺はガキの頃からデイヴ・ムステイン(後にメガデス)やケリー・キング、ジェフ・ハンネマン(後にスレイヤー)と友達だったし、メタリカを結成する以前のジェイムズ・ヘットフィールドと同じダウニー高校の友達だった。みんなヘヴィ・メタルのファンで、学校にカセットテープを持ってきて、聴かせあっていたんだ。みんなイギリスのインディー・メタル・バンドが好きだった。ヴェノムはもちろんダイアモンド・ヘッド、エンジェル・ウィッチ…みんなが共有しあうコミュニティだったんだ。

●スラッシュ・メタルの音楽性はどのように形作られたのですか?

俺はハイスクールでヴァン・ヘイレンやオジー・オズボーンの曲をやるカヴァー・バンドでプレイしてきた。でも自分で曲を書いて、プレイしたくなったんだ。誰よりもヘヴィで、誰よりも速い曲を書こうとした。すると他の連中はもっとヘヴィで、もっと速い曲を書くようになった。俺は負けてたまるかと、さらにヘヴィで速い曲を書いた。そうしてエスカレートしていったのが、後にスラッシュ・メタルと呼ばれる音楽だったんだ。当時はそんなジャンル名はなかった。俺たちは単に“ヘヴィ・メタル”と呼んでいたけど、周囲には“スピード・メタル”とか“雑音”とか“ゴミ”とか呼ばれていたよ(笑)。

●ダーク・エンジェルの個性的なスタイルはどのように築かれましたか?

それぞれのバンドが個性的であろうとしたんだ。ダーク・エンジェルやエクソダス、スレイヤー…特にヴォーカルが異なっていた。俺たちの場合、ファースト・アルバム『ウィ・ハヴ・アライヴド』(1985)はニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)からの影響が色濃かった。でも、それから前進していったんだ。当時は教則本もなく、youtubeもなかった。好きなバンドをコピーしようと思ったら、レコードを聴いて自分で弾き方を考えるしかなかったんだ。しかも、それは大抵間違っていた(笑)。そのせいで自分のオリジナルなスタイルを築くことになったんだ。ダーク・エンジェルにとって特に大きかったのは、ジーンと出会ったことだった。彼とは昔からずっと友達だったけど、『ウィ・ハヴ・アライヴド』を出した後にダーク・エンジェルに入ってもらうことにしたんだ。彼は凄いドラマーであるのと当時に良いギタリスト、ソングライターでもあって、ダーク・エンジェルに加入することで才能が開花したと思う。

●アメリカ西海岸のスラッシュ・メタル・ムーヴメントはサンフランシスコとロサンゼルスが中心となっていましたが、どんな特徴がありましたか?

サンフランシスコのスラッシュ・シーンはよりメロディアスで、クランチ(=バリバリかみ砕く)があったんだ。最高にバッドアスなバンドがいたよ。デス・エンジェル、フォービドゥン、エクソダスとかね。メタリカもロサンゼルスからサンフランシスコに移っていった。ヴァイオレンスも凄いバンドだった。

●ロサンゼルスのスラッシュ・シーンはどうでしたか?

スレイヤー、ダーク・エンジェル、エクセル(Excel)、スーサイダル・テンデンシーズ…LAは治安が良くなかったし、LAのバンドは常に怒りを込めていた。ワイルドだったんだ。俺もケリーもジェフもサウスゲートという、治安が最悪なところで育った。金はなかったし、ムカツクことが多かったよ。俺が通っていたダウニー高校で一番有名な卒業生はジェイムズ・ヘットフィールドと俺、そしてカレン・カーペンターなんだ(笑)。彼女はカーペンターズで成功したから、それを記念して『カレン・カーペンター・ステージ』という講堂が建てられた。彼女を教えた音楽教師がまだ働いていて、生徒何人かでバンドを組ませて、演奏させるという授業をしていたよ。当時俺はギターが下手糞だったから、もっとうまい奴と組んで、なんとか単位を取っていた。

●サンフランシスコとロサンゼルスのシーンの交流はどんなものでしたか?

すごく活発に交流していたよ。俺たちはポセスドやエクソダスと友達で、ゲイリー・ホルトとは親友だったし、バークリーの『ルーシーズ・イン Ruthie’s Inn』ってクラブで何度もプレイした。スレイヤーもしょっちゅうサンフランシスコでライヴをやっていたし、ベイ・エリアのバンドもよくLAまで遠征してきた。大きな成功はしなかったけどサクリリッジは最高だったし、ポセスドの前身だったブリザードも好きだった。彼らのデモテープは今でも持っているよ。彼らも初期ダーク・エンジェルのデモのカセットテープを持っている筈だ。

●スラッシュ・メタルへの想いは共通していたのですね。

ロサンゼルスとサンフランシスコは同じカリフォルニア州だったけど、距離は遠かったし、音楽スタイルは異なっていた。それでもスラッシュ・メタルに対する情熱は距離を超えたものがあったんだ。それはジャーマン・スラッシュ・メタルについても言えることだ。彼らはアメリカン・スラッシュのバンドとは遠く離れた地でやっていて、サウンドも異なる。でもスラッシュ・メタルへの想いは共通しているんだ。彼らは異国の戦友であって、兄弟だよ。

ダーク・エンジェルのショーは予測不能だ

●2016年は名盤『ダークネス・ディセンズ』(1986)の発表から30周年となりますが、このアルバムの曲が多くプレイされることになるでしょうか?

もちろん『ダークネス・ディセンズ』からの曲は俺たちのライヴの重要な一部だ。このアルバムは、俺とジーンが初めて一緒に作った作品なんだ。2人で部屋に閉じこもって、曲作りをしたんだよ。

●「ブラック・プロフェシーズ」はライヴでプレイすることはありませんか?

「ブラック・プロフェシーズ」は俺も大好きなんだ。ジーンが初めて本格的にリフを書いた曲だよ。昔ライヴでやったこともあるけど、ずいぶん前のことだ。問題なのは、長い曲だから、もしやるとしたら他の曲を2曲カットしなければならないんだ。『スラッシュ・ドミネーション』でのお客さんの反応が良ければ、ヘッドライナー・ショーで日本に戻って来れるかも知れない。そうしたらたっぷり時間があるから、いろんな曲をプレイ出来るんだけどね。

●レッド・ツェッペリンのカヴァー「移民の歌」はライヴでやったことはありますか?

何回かプレイしたことがあるけど、あまりシリアスには捉えていなかった。みんなで楽しむためだったんだ。フィアーの「アイ・ドント・ケア・アバウト・ユー」はよくライヴでやっていたし、リハーサルではジューダス・プリーストの「ラピッド・ファイアー」とかブラック・サバスの「悪魔の掟」、モリー・ハチェットの「フラーティング・ウィズ・ディザスター」を演っていた。俺がパット・ベネターやレーナード・スキナードのリフを弾くと、ジーンはその曲のドラム・パートを知っていて、合わせてくるんだ。俺たちはシン・リジィの大ファンで、「バッド・レピュテーション」や「ソルジャー・オブ・フォーチュン」もジャムったことがあった。ジーンは別プロジェクト(ピッチ・ブラック・フォアキャスト)で「バッド・レピュテーション」をレコーディングしているよ。 日本でカヴァーをやるか判らないけど、予測不能なのがダーク・エンジェルのショーなんだ。『スラッシュ・ドミネーション』にはサプライズを覚悟して来て欲しい。…ヘルメットを忘れずにな(笑)!

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THRASH DOMINATION 2016「最強決定戦」 第2弾

スラッシュ・ドミネーション 2016

2016年1月9日(土)/10日(日)

川崎 CLUB CITTA'

OPEN/15:00  START/16:00 *オールスタンディング  

出演: KREATOR(クリエイター)/DESTRUCTION(デストラクション)/DARK ANGEL(ダーク・エンジェル)

公式サイト:THRASH DOMINATION 2016

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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