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マンU1年目で優勝の香川が、岡田ジャパン初選出時に見せていた適応力の萌芽

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

ビッグサプライズ

今からちょうど5年前のことだ。08年4月21日は、当時19歳の香川真司が、初の平成生まれの日本代表候補として岡田ジャパンの合宿に参加した日だった。

当時の香川は、J2セレッソ大阪の若手MF。クルピ監督の慧眼によりボランチから攻撃的MFへコンバートされてから2年目という時期だった。10代という若さはもちろんのこと、所属クラブがJ2であることで、その選出はビッグサプライズとして受け止められた。

岡田武史監督が香川を初めて見たのは、その1カ月前の3月27日、国立競技場で行われた「U-23日本代表対U-23 アンゴラ代表」の親善試合だった。反町康治監督の抜擢(U-23への選出自体が大抜擢だった)を受けた香川は後半26分から途中出場し、わずか20分あまりのプレータイムで、日本代表指揮官を欣喜雀躍させるほどの潜在能力を見せた。

「この選手はアンゴラ戦で初めて見てビックリしたので、J2の試合にスタッフを2度派遣して調査した。ボールを持つセンスがある。ああいうタイプは今まで走らない選手が多かったが、彼は走る。かなり将来性を期待している

岡田監督は弾むような口調で報道陣に説明した。

「時の人で終わりたくない」

このときの抜擢は香川自身にとってもサプライズだった。早生まれ(89年3月17日)ということもあって、年代代表には飛び級で選ばれることが多かった香川だが、「まさかフル代表に選ばれるとは思っていなかったので、正直びっくりしています。いつもテレビで見ている日本のトップ選手とプレーできるのですごく楽しみです」と話している。

コメントはこれだけではない。

「絶対に時の人で終わりたくないので、呼ばれたことだけに満足せず、何かをつかめるように必死で頑張ってきたいと思います。厳しいとは思いますが、そういうところについていけるように悔いのないように精一杯頑張ります。持ち味である積極的なドリブルやパスをアピールし、どこまで通用するかを試したい。呼ばれたからには日本の代表として責任を持ってやってきます」

ここまで言っていた。代表初選出に対する素直なうれしさと同時に、相当に若い頃から世界舞台を見据えて心の準備をしてきたことが伝わるようなコメントだった。

千葉県で行われた合宿ではまず、チーム内でのコミュニケーションを合宿のテーマとして掲げた。

「合宿が3日間しかないので、いろいろな人としゃべって、自分のことを知ってもらいたい」と、ジョギング中に阿部勇樹と並走し、「同じミズノのスパイクを履いていたので(現在、香川はアディダスと契約中)自分から話しかけて、U-20W杯やアテネ五輪の話を聞きました」。

そして、「思ったより緊張しなかった。1回切りで終わりたくないので、合宿期間中に自分の実力がどこまで通用するのか試したい」と目を輝かせた。

練習試合で自らポジションチェンジを要求

この合宿のハイライトは3日目に行った筑波大との練習試合だった。香川のスタート時のポジションは4-4-2の右サイドハーフだったが、自らのゴールで1-0とリードした後、20分を過ぎたあたりから左サイドハーフの選手とポジションを替え、左サイドでプレーしたのだ。

このときの香川の行動は大胆だった。監督の指示を受けたわけでもなく、自らの希望と判断でかなり年上の選手にポジションチェンジを要求し、より持ち味を出しやすい位置取りを手に入れたことには、正直驚いた。

「監督に言われたのではなく、試合中に『自分は(セレッソ大阪で)基本が左なので、替わってください』と言いました。僕はJ2の選手ですが、自分のプレーをしっかりやりたいと思いました。1回呼ばれただけという選手にはなりたくないと思っているので」

それから5年の月日が流れた13年4月22日、マンチェスター・ユナイテッドの香川真司はアストンビラ戦にトップ下で先発フル出場し、チームの2シーズンぶり優勝の瞬間を味わった。

ビッグクラブに移籍して1年目でつかんだ栄光。しかも昨秋には故障で2カ月間、戦列を離れていたことも考えれば、香川の適応力がいかに図抜けていたか、そして、適応するための強い精神力を持ち合わせているかがよく分かる。

セレッソ大阪時代は3年間戦ったJ2で優勝できなかったが、欧州に行ってからはドルトムントとマン・Uで欧州リーグ3連覇という偉業を果たした。その原動力となっている適応力は、10代のころにすでに萌芽していた。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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