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2016 ドラフト候補の群像/その2 角田皆斗[富士重工業]

楊順行スポーツライター
雑誌『ホームラン』毎年恒例のドラフト号が発売になりました

2年目の都市対抗は見事だった。日立製作所に補強されると、救援としてフル回転。1回戦では4回を1安打5三振、2回戦は5回3分の2を1安打6三振、準決勝では2回を2安打2三振と、いずれも救援で無失点に抑え、日立を初めての決勝に導いた。トヨタ自動車との決勝戦こそ1点を失い、無失点は12回イニングで途切れたが、5試合中4試合に登板して14回3分の2を1失点。力のある速球とフォークで奪った三振は、16を数えた。

1年目からおもに救援で力を発揮したが、2年目の今季、都市対抗後の日本選手権予選では「先発を任され、正直、胃が痛かった」という。それでも、セガサミーを相手に6回途中まで2失点。選手権の出場権獲得に貢献し、10月31日の本番1回戦(対JR東海)でも、当然先発と目される。

専大4年だった2014年の秋には、東都2部で6勝をマーク。チームの1部昇格に貢献し、MVPに輝いた。ただ、本格派右腕として期待された社会人1年目は、スタートから出遅れる。ヒザの故障のリハビリのため、東京スポニチ大会はビデオ係で、

「何をやっているんだろうなぁ……と情けなくなりました」

と笑う。だが、3月末のオープン戦から復帰すると急上昇。公式戦には日立市長杯から登板し、都市対抗予選では貴重なリリーフ役となった。自身初めての全国大会という本戦でも2試合に登板し、5回3分の2を無失点に抑えている。角田は振り返る。

「大学時代、社会人とのオープン戦ではけっこうまっすぐが通用していた。ただ、いざ入ってみると細かいコントロールを磨かないと通用しないと感じました」

フォークが決まれば、そうは打たれない

今季は、ほぼストレート一本槍だった昨年からは、スライダーとカーブに加え、フォークを自分のものにした。「これが決まればそうは打たれないと思う」という自信の通り、たとえば都市対抗の2回戦で日本通運に3対2と逆転された3回2死一、三塁からリリーフすると、後続をフォークで三振。その後再逆転した日立の勝利を呼んでいる。これには敗れた日本通運・藪宏明監督も、

「いいピッチャーは、絶体絶命のピンチを切り抜けて流れをつくれる」

と脱帽だ。富士重工業でも、信頼は大きい。チームメイト・岩元聡樹によると、「守っている立場からすると、角田は先発でも、リリーフでもやってくれる気がします。気持ちが強いんでね」。そして、角田はいう。

「いずれはプロ……というのは、むろん考えています。ただ、社会人で得たものは大きい。富士重で、畠山(太・15年限りで引退)さんと1年間一緒にやれたことも財産です。9歳違いですが、中学どころか小学校、幼稚園も同じで、右と左の違いはあっても、ずっとあこがれていた先輩ですから」

古い話ついでに……まだ全国的には無名だった10年夏、栃木工高3年の角田を取材したことがある。聞くと、野球部の活動を終えた間々田中3年の秋、ボーイズリーグの練習会に参加した。中学時代は捕手だったが、もともとは投手志望。たまたまその練習会で、「だれか投げたいヤツは投げてみろ」という声に手を挙げ、ブルペンで投げたのが高校関係者の目に止まったのだとか。つまり、もしそのときブルペンに立たなかったら、いや、そもそも練習会に参加しなかったら、ドラフト候補の角田はいま、存在したかどうか。

高校時代に聞いた、もうひとつの話。「みなと」の名は、港が船を受け入れるように、心の広い人になれ、という意味だという。その名のごとく……もし指名があれば、12球団を受け入れるだろうか。

●つのだ・みなと/投手/1993年1月7日生まれ/180cm90kg/右投右打/栃木工高〜専修大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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