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名づけ親が言う 「こども食堂」は「こどもの食堂」ではない

湯浅誠社会活動家・東京大学特任教授
食卓は体験と交流の場でもある(写真:アフロ)

とっつきやすさが売り

こども食堂が急増している。

報道によれば、全国で300か所以上が確認されている。しかも、うち285か所はこの2年間の開設だというから、ちょっとしたブームと言ってよいだろう。

こども食堂のメリットは、なんといってもその「とっつきやすさ」にある。

広がり続ける子どもの貧困に心を痛めている人は多い。

「親の責任だ」と非難していれば子どもたちの状況が改善する、というわけでもない。

少子化が進む中での貧困率増加は、日本の将来像にも影を落とす。

教育は大事だが、勉強を教えられる自信はない。

何かできないかと思うが、何をすればいいのかわからない。

――そう思い悩む人たちに、こども食堂は格好のツールを提供した。「これならできるかも!」

ある地域でこども食堂の実践者らが挙げた「こども食堂のいいところ」(写真:筆者)
ある地域でこども食堂の実践者らが挙げた「こども食堂のいいところ」(写真:筆者)

ネーミングが9割

同時に忘れてならないのが「こども食堂」というネーミング。

「こども」「食」という“必殺アイテム”を並べたこの簡潔なネーミングが、誰のために何をするかをこれ以上ない形で明確に表わす。

こども食堂の広がりは、このネーミングを抜きには語れない。

その名付け親が、近藤博子さんだ。

「気まぐれ八百屋だんだん店主」の肩書をもつ、東京都大田区にある小さな八百屋さんだ。

彼女が「こども食堂」の呼び名を使い始めたのが2012年。

それ以前にも同様の取組みはあったが、こども食堂という概念は、ここから生まれた。

その近藤さんが今、「こども食堂」ブームを歓迎しつつ、懸念も示す。

それは「こども食堂は、こどもの食堂ではない」ということ。

どういうことか。

東急池上線・蓮沼駅にほど近い「だんだん」を訪ね、話を聞いた。

だんだん玄関口(写真:筆者)
だんだん玄関口(写真:筆者)

貧困家庭の子ばかり集めるところ?

近藤さんがもっとも懸念するのは「こども食堂というと、貧困家庭の子どもたちを集めて食事をさせるところと思われてしまう」こと。

それが、広がりを生む半面で、反発も生んでしまった。

いわく「貧困家庭の子ばかり集めるなんて、子どもがかわいそうじゃないか」

いわく「子どもの貧困は親の責任。他人が介入すべきではない」

違う、そうじゃない。

もともとその定義が誤解を生んでいる、と近藤さんは言う。

近藤さんの定義はこうだ。

「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」

それだけ。

「こども」に貧困家庭という限定はついていない。

「こどもだけ」とも言っていない。

大事なことは、子どもが一人ぼっちで食事しなければならない孤食を防ぎ、さまざまな人たちの多様な価値観に触れながら「だんらん」を提供することだ。

だから、一人暮らし高齢者の食事会に子どもが来られるようになれば、それも「こども食堂」だ。

子どものための、子ども専用食堂ではない。

カウンターに並ぶ自然食品の脇が近藤博子さんの定位置だ(写真:筆者)
カウンターに並ぶ自然食品の脇が近藤博子さんの定位置だ(写真:筆者)

”場”としてのこども食堂

「むしろ、より積極的に、多世代交流型になることが望ましい」と近藤さんは言う。

孤食をわびしく感じるのは、子どもだけではない。

若者もお年寄りも、仕事で疲れて食事をつくる元気の出ない母親や父親も「今日はちょっと食べに行こうかな」と寄れればいい。

そして、子どもは食事後に遊んでもらったり、ちょっと勉強を見てもらったり、

母親や父親は人生の先輩たちから子育てのアドバイスを受けたり、地域の子育て情報を交換したり、

お年寄りは、子どもと遊んであげることを通じて子どもに遊んでもらえばいい。

そこに障害のある子どもや大人がいてもいいし、外国籍の子どもや大人がいてもいい。

より多くの人たちが「自分の居場所」と感じられるようになることが理想だ、と。

おそらくそれは、壁やドアで仕切られた特定の空間である必然性もないだろう。

バイク屋の前で、店主がバイクの手入れをしていると、ワルガキどもが寄ってくる。元気か?どうしてる?学校行ってるのか?と立ち話する中で、いつの間にか進学相談やアルバイト相談や恋愛相談になっている。そんな“場”

家の前の掃きそうじをしていると、近所の人が通りかかって話し込むことになり、そこに下校途中の子どもたちが寄ってきて、そのお母さんたちも合流して、子どもたちが遊ぶ中で大人たちが立ち話しているような、そんな“場”

人々が交差するときに、ただすれ違うだけでなく、ちょっと留まることによって生まれる“場”が、近藤さんのイメージだ。

調理場もボランティアさんたちの交流の”場”だ(写真:筆者)
調理場もボランティアさんたちの交流の”場”だ(写真:筆者)

「だんだん」の軌跡

そのことは、近藤さんと「だんだん」の軌跡によく表れている。

もともと歯科衛生士だった近藤さんは、歯の健康を通じて「食べる」ことに関心を持っていた。

そこで、つながりのある農家などから食材を調達して週末だけ配達する小さな宅配事業を始めた。

あるとき店頭で仕分けていると、ダイコンの立派な葉ぶりを見たあるおばあさんから「分けてほしい」「平日もやってくれないか」と頼まれ、ニーズがあるならと店舗での販売も始めた。

常時開くわけではない。それで「気まぐれ八百屋」

あるとき、自分の高校生の娘が「数学がわからない」と言い出した。知り合いの教師OBに相談したところ、その人が夏休みの間、勉強をみてくれると言った。

ありがたい話。自分の娘だけではもったいないと、知り合いの子どもたちも声をかけて、低額の補習塾を開くことにした。

それが「ワンコイン寺子屋」

この話には、結局自分の娘は来なかった、というオチがつく。

「ワンコイン寺子屋」が新聞に取り上げられたところ、教育経験者を含めた多くのボランティアの申し出があった。

そこでワンコインとは別に、子どもたちが宿題を持ってきて、ボランティアに無料で見てもらう場を開くことにした。

下校途中にちょっと立ち寄ってアドバイスをもらって帰るイメージ。

それで「みちくさ寺子屋」

「だんだん」の日常は、そうやって生まれた数々の「プチ企画」で満ちている。

だんだん店頭の看板。お品書きはたくさんのプチ企画だ(写真:筆者)
だんだん店頭の看板。お品書きはたくさんのプチ企画だ(写真:筆者)

「こども食堂」の誕生

あるとき、知り合いの小学校副校長から「給食以外は、毎日バナナ一本だけで過ごしている子どもがいる」という話を聞く。

何かできないかと考えているうちに1年半が経ち、その子は児童養護施設に入所してしまった。

その子に何もできなかったと思う中で、他にもいるはずのそうした子どもたちが安心して来られる食堂を開こうと思い立つ。

ファミレスでも、子ども一人ではなかなか入りづらい。

地域の中に子どもが一人でも行ける場所は、案外少ない。

家庭と学校がその”場”にならない子どもは、世の中に居場所を見出しにくい。

(私がかつて対談した小説家の重松清さんが「子どもはしらふで生きている。すごいよね」と言っていたのを思い出した)

ウチは子どもが来ても「お父さん、お母さんと一緒じゃないの?どうしたの?とは聞かないよ」。

あなたが1人で来てもいい場所なんだよ。

それで「こども食堂」

すべてが、1つの会話から見えてきた1つのニーズから出発している。道端で立ち話しているうちに何かを思いついた、というように。

そしていつも、利用する本人たちに向けて「この場はあなたが来ていい、あなたを歓迎する場なんだよ」というネーミングをしている。

「こども食堂」という名前には、こうした経緯と思いが盛り込まれている。

単に昔の地域コミュニティをなつかしむのではない。

昔には戻れない現在という地点において、未来へ向けて新たな“場”を創り出していこうという試みだ。

「1ミリでも進める」とはそういうことだろう。

「ここのおかげで、ふだんもう1品増やす気持ちの余裕ができた」と話すお母さんもいるという(写真:筆者)
「ここのおかげで、ふだんもう1品増やす気持ちの余裕ができた」と話すお母さんもいるという(写真:筆者)

多様で、雑多で、豊かな「こども食堂」

それはもう、今「こども食堂」と聞いて、人々がふつうにイメージするものとは違うかもしれない。

しかし、名付け親が、そのような“場”のイメージをもって「こども食堂」という言葉を使い始めたことは、覚えておいていい。

というのも「こども食堂」が急速に広まり、普及する中で、どうしても先駆者が込めた思いというのは、薄められていってしまうから。

そしてヘタをすると「どこか適当にマンションの一室でも借りて、子どもを集めて食事させれば補助金が出るんでしょ?」みたいな勘違いを生み出していくから。

そしてそのような勘違いが「こども食堂って、子どもをダシにして、自らの食い扶持を確保しようとするうさんくさい人たちがやってるんでしょ」といった無用の偏見と反発を生み出していくから。

万が一そうなってしまったら、当の子どもたちに申し訳が立たないから。

「こども食堂」というネーミングがなければ、こども食堂がここまで広がることはなかっただろう。

「みんなの家」では、何をする場所かイメージがわかない。

しかし「こども食堂」は「こどもの食堂」ではない。

もっと多様で、雑多で、豊かなものだ。

「こども食堂」の取組みを盛り立て、広げつつ、その理念も失わずにいたい。

この日のごはん。差入れのアイスバーがついて、こども100円、大人500円(写真:筆者)
この日のごはん。差入れのアイスバーがついて、こども100円、大人500円(写真:筆者)

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なお、近藤博子さんが「だんだん」を始めた経緯や、そこからさまざまな取組みが生まれてきた過程のさらに詳しいお話については、以下をご参照いただきたい。

○東京ラブレター2012 10 気まぐれ八百屋だんだん店主 近藤博子さんに聞く(ユーチューブ)

○「(いま子どもたちは)みんなでごはん」1~4(朝日新聞2016年2月25~28日)

社会活動家・東京大学特任教授

1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。1990年代よりホームレス支援等に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の他、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長など。著書に『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)、『子どもが増えた! 人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂氏との共著、光文社新書)、『反貧困』(岩波新書、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)など多数。

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