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1989年、ワシントン近郊で起きたエボラのアウトブレイク(中編)

渥美志保映画ライター

いまやアフリカ大陸を席巻しているエボラ出血熱。ヨーロッパやアメリカ、そして東南アジアでも発症の疑いのある人が出て、もはや完全に他人事とは言えない次元になってきました。エボラ・ウィルスは通常のウィルスなら死んでしまう環境でも生き続け、感染力も驚くほど強いと言います。万が一、東京のような過密都市にウィルスが入り込んだ場合、封じ込めることなんてできるのでしょうか?

『ホットゾーン 「エボラ出血熱」制圧に命を懸けた人々』 \1300(税抜)
『ホットゾーン 「エボラ出血熱」制圧に命を懸けた人々』 \1300(税抜)

前回に引き続き『ホットゾーン 「エボラ出血熱」制圧に命をかけた人々』の後半は、そのヒントとなりそうな「ある事件」を描いてゆきます。1986年、なんとアメリカの政治の中心、ワシントン近郊で、エボラ・ウィルスはアウトブレイクしていたのです!

●ワシントン近郊で静かに始まった殺戮

その舞台となったのはワシントン近郊の小さな町レストン。事態は、この町の郊外で実験動物の輸入・販売を手掛ける会社の“商品倉庫”「モンキー・ハウス」で、東南アジアから輸入されたカニクイザルが、次々と死に始めたことから始まります。顧問獣医は人間には無害なサル出血熱(SHF)を疑って解剖したものの死因を特定できず、その肥大した脾臓のサンプルをアメリカ陸軍伝染病医学研究所(ユーサムリッド)に送ります。純粋な医学的興味から、何の気なしに調査したそのサンプルは、めちゃくちゃに破壊された細胞と「バケツ一杯のロープをぶちまけたかのような」フィロウィルスだらけ。その独特のひも状の形は、エボラ一族――マールブルグ、エボラ・スーダン、エボラ・ザイールのどれかであることの証しです。検査薬で株を特定するに至り、その戦慄は最高潮に達します。サルのウィルスが反応したのは、致死率25%のマールブルグでも致死率50%のエボラ・スーダンでもなく、致死率90%のエボラ・ザイールの検査薬だったのです!

●エボラに肉薄した人々の心の内は……

サンプルに関わった人々がその事実を知るあたりから、本書はサスペンスフルな人間ドラマへと様相を変えてゆきます。

無防備な状態でサルを解剖した獣医。次々と死んでゆくサルを処理した後、血栓による心臓発作を起こした飼育係。「まるでホットドッグの食べ残しのようにあっさりと、アルミフォイルに包まれて」送りつけられてきたサンプルを受け取ったウィルス学者。死んだ細胞で白濁するフラスコからバクテリア増殖の異臭がしないかどうか、嗅いでしまった研究者。最後の解剖が11月13日、サンプルの受け取りが11月14日、臭いをかいだのは11月16日。エピソードごとに示された日付は、「フィロウィルスが人間の体内で増殖し始めるとき、潜伏期間は三日から十八日である」という一文によって、時限爆弾のセットされた日へと、その意味を変えてゆきます。

ユーサムリッドのふたりは、感染の疑いがある職員を1ヶ月間隔離する「レベル4微生物封じ込め病院(通称“スラマー”)」を思い浮かべて恐怖します。刻一刻と近づく死の恐怖の中、防護服を着た看護師に毎日血液を採取されて、「入院して2週間もすれば、患者はたいてい抑鬱状態になる」という「死の独房」。震え上がったふたりは、自分たちの血液を検査に回したうえで、示し合わせて「感染の可能性」を上司に報告しないと決めるのです……。

えええ!なんてこと!と、多くの人は思うでしょう。でもそれは私たちが、20年後の日本で、この本を「作り物の物語」であるかのように読んでいるから。ついこの間、アフリカでエボラ治療にあたっていたNYの医師が発病した時、「帰国した医師は一定期間は無条件に隔離すべきだ」という意見が出ましたよね。もちろん自己申告や入念な検査はしてほしいけれど、何もせずに安全圏にいる人たちがエボラと命がけで戦っている人たちを問答無用に「えんがちょ」のように扱うことは、なんだかすごく敬意を欠いている気がします。かといって、自分の日常にエボラ・ウィルスの鉄火場から戻った人がいたら、と考えると……うーん、すごーく難しいところです。

●アウトブレイクの政治的な側面

その一方で、こうした事態の社会的、政治的な側面も、本書は描いてゆきます。

アメリカ国内で人間の疫病対策に関する権限を議会から与えられているのは、CDC(質病対策センター)で、軍ではありません。しかしCDCは封じ込めに必要な実務能力を持ち合わせてはいません。問題になるのは、主導権はどちらか、そしてどちらが何に関して責任を持つのか。こういうセクショナリズムの問題、縦割りを絵で描いたような日本の官僚組織が、責任の所在を明確にしたがらず、だからこそ何を決めるにも異様に時間のかかる日本の組織が、いざという時は詰め腹斬る覚悟のあるリーダーになかなかお目にかかれない日本社会が、エボラのような猛烈な拡散スピードのウィルスに対応できるんだろうか……と様々な不安が頭をもたげます。て言うか、そもそも日本でこうした感染症のパンデミックに対応する公的権限を持った組織――鳥インフルエンザの時のような入国を管理する検疫所ではなく、入ってしまった後に対応できる組織と、具体的な対策ってあるのでしょうか。現場の医師の勇気と使命感だけが頼り……みたいな、日本的な状況は勘弁してほしいなあ。

さてそんな間も、レストンの現場は動いています。国のウィルス関連のトップにいる両組織の研究者たちは、当然ながら顔見知り。かつて“ウィルス・ハンター”としてつばぜり合いを繰り広げた犬猿の仲のライバルもいます。例えば感染したサルの死体を誰の車で運ぶのかといった小さなことさえ、人間性や組織間の考えの違いなどが浮き彫りになってゆきます。当然のことですが、誰だって怖い。死体を二重に包んだビニール袋を持ち上げると、底には病死したサルの赤黒い体液がたまります。ウィルスが与える恐怖は、それが目に見えないからこそ想像力の中から人間を蝕んでゆくのです。

ああ、2回で終わらそうと思ったけれど、長くなっちゃいました。もう一回書きます。

次回は、そんな中でようやく決行することになった「モンキー・ハウス制圧作戦」について。数年前に流行した鳥インフルエンザでは、病気を出した養鶏場のすべての鶏が殺処分にされていましたね。あれのサル版。つまり何百頭もの大型霊長類を、すべて薬物で殺処分するという恐ろしい作戦です。相手は何の罪もなく、危険を感じれば身を守るために反撃してくるのは目に見えています。そんな作戦をマスコミなど外部に知られることなく、完遂しなければなりません。ウィルスの制圧ってこんなに大変なんだ……な、次回をお楽しみに。

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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