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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第3回 懸命の蘇生治療

藤井誠二ノンフィクションライター

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懸命の蘇生治療

陣内知美か救急車で飯塚病院(正式名は麻生飯塚病院)に搬送され救急救命センターに収容されたのは、午後四時三五分ごろのことである。

そのとき、知美はセーラー服姿で、口には挿管チューブを差し込まれていた。顔面は蒼白、意識不明だった。救急車には、救急隊員の他に、近大附属の衛生看護専攻科で講師として働いている筑豊労災病院のI医師らが付き添っていた。

飯塚病院の救急部長が、意識不明の理由をI医師に尋ねると、「先生から殴られた」という返事が返ってきた。挿管チューブはI医師が酸素を送るためにおこなった、気符確保の処置だった。

I医師は、「途中、救急車の中で不整脈が出て、心臓が停止した」と説明、さらに「午後四時一○分に保健室に行くと、一分間に五回ぐらい端ぐような呼吸をしていた。頸動脈がかろうじて触れる程度だった」と学校での状況を話した。

たしかに知美は意識不明で、呼吸と心臓が停止していた。両眼とも四ミリまで瞳孔が開いており、眼に光をあてても対光反射はなかった。睫毛を触るしょう毛反射もなかった。つまり、ほとんど「死」の状態であったということである。

顔面に外傷はなかったが、唇に赤く皮下出血が認められた。I医師は、「チューブを挿管する際にできたもの」と説明した。救急部長は、頭部、全身の外傷を調べる余裕はなかったが、教師に殴られたという情報から、頭部を触ってみたところ、「たんこぶ」のような症状はなかった。

知美はただちに同病院の救急救命センターの救急処置室に収容された。当直医ら数人の医師が、交代で両手で心臓を押しつづけたり、電気ショック治療を施し、蘇生を試みた。

そして、左頸静脈から昇圧剤と抗不整脈剤の点滴を実施、下腹部の鼠蹊部から採血がおこなわれた。しかし、挿管チューブからはいつの間にか血液が逆流していた。

このような蘇生治療は通常三○~四○分間おこなわれる。知美に対しては、電気ショック治療を五回、心臓マッサージを三○~四○分間おこなったが容態に変化はみられなかった。それでも蘇生しない場合は治療を中止し、死亡を確認するのだが、医師らは「父親がまだ来ていない。来るまでやろう」と治療を続行。その間、X線による頭骨検査、脳のCT検査や胸部のX線撮影もおこなった。その結果、脳には出血は認められなかったが、肺に水が溜まる「肺水腫」をおこしていることが判明する。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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