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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第19回 誹謗中傷のスター卜

藤井誠二ノンフィクションライター

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誹謗中傷のスター卜

知美が亡くなった日のことである。陣内家に奇怪な電話がかかる。その電話は元春の妹がとった。

「(知美が)亡くなった日に帰ってきて、この家の中の片付けをしてたんですよ。そしたら通話がかかってきたんです。いま思ったら、生徒のふりをして、『先生だけが悪いんじゃないんよ』とか言うんです。この人何を言いたいんやろかと思ったけど、「あんたね、人がひとり亡くなったんよ。そのことが一番大事なことやない?』と答えていたんです。私はその子が生徒っていうから、そのつもりで話してたけど、おばちゃんみたいな声出すから、おかしいなと思った。で、『今日は仮通夜があるし、明日は通夜やし、弔いに来てね』と言って電話を切ったんです。いま思うと、それも嫌がらせかなと思うんです」

以来、遺族の家には口汚く罵る電話や無言電話が相次ぐようになる。電話番号を二回変えたが、それでもどうやって調べてくるのか、そこにもかかってくる。電話線をはずさねば眠ることができない夜も少なくなかった。多い日には十分おきにかかってくる。

また、注文していない服、料理、カラオケ機器などが遠方から着払いで配達されてきた。これらの嫌がらせは新聞に報道されたが、その後も二○件以上続いた。

次に紹介するのは、陣内家に配達された、知美や遺族を罵る手紙の一部である。元春は差出人のないものは飯塚署に届けている。

「同情の余地なし。親も反省すべし」(京都市)

「今年は異常な暑さで、人間の心も錯乱状態になりがちです。この度、娘さんの死亡はお気の毒とは思いますが、長年教育に携わっておられた先生は、そんな無茶なことをなさるはずがありませんが、今時の高校生の生意気さは目に余ると思います。家庭教育の放任主義がなせるわざと思います。自業自得」(飯塚市)

「自分の子どもが不良学生でいて、弁解ばかりしておかしい。同級生でさえ、良くいう者はいない。学校の規則は守らず髪を染め、ミニスカートを履き、死んでよかった。生きていれば害になるばかり。穀潰しがひとり減って大助かり。親のしつけの悪さを知れ。馬鹿」(福岡)

「電話を止めたり馬鹿なことをするな。お前さんは子どもの教育やしつけを間違えたばっかりに、先生の家庭を目茶苦茶にした。先生は悪くない。お前の娘が一方的に悪い。一○○人が一○○人そう思っている。反省するなら自殺しろ。死んで子どもの所に行って一から教育のやり直しだ。わかったらすぐ実行に移すんだ。あんなに涙を流すなら親子三人で死ぬんだ。死んで先生にお詫びして先生に謝罪しろ。そうしたらお前たちは神様に許して頂ける。馬鹿野郎、娘のためだ、自殺しろ。死ね。夫婦で死ね」(福岡)

「立秋とは名ばかり暑さは続き、皆様お変わりありませんが。私六七歳の男性ですが、去る十七日の新聞の記事に『止まぬデマ。傷ついた両親』を見たのですが、両親とも忍びなき気持ちはよくわかります。私たちの高等小学校、尋常科、それに青年学校。当時の社会は僧侶、教師はもちろん政治についても教育者であり、医師は人命を救うための者であった。現在ではほとんど金次第で困った世の中です。ここで、私の学校時代は今のようなPTAなんてなく学級で生徒による自治会を設け、宮掃除その他社会奉仕を決めて実行したものの、決めたことを守らぬ者は体罰、胴上げ、ビンタ張り等々おこなったものです。その他、先生より鞭で叩かれる。そのためよりよく痛いように竹の根で鞭を編んで喜んで持っていったものです。守らない者は当然のことにしていた。振り返ると先生の熱心から偶然に起きたことであり、ここで、自分たち両親、子どものことも一歩路み込んで反省すべきではなかったかと私は思います。

現社会では、親子みなさん何か考えが浅く弱くなっているのではないですかね。過ぎたことは戻るわけはないのですから、忘れ去って新たな人生の一歩を進んでください」(福岡)

知美の死の直後から、近大附属の卒業生や在校生、そして宮本の元同僚教員によって、宮本に対する「減刑嘆願署名運動」が動きはじめていた。

その発起人のひとりは、近大附属卓球部の顧問をしていた宮本と親しかった、元同僚の井上正喜である。彼自身も福岡県卓球協会の役員をつとめていた。

そして井上とは別に、卓球部のOGなどの同校出身者らも集結、嘆願署名運動を展開する。この二つの流れは合流し、署名用紙はすべて井上とOGの代表者に集約されるようになる。現役の卓球部員らも署名活動の一端を担っていった。

「嘆願書ちゅうのは、普通、過失とかね、悪意のないかたちで事件を起こした犯罪者に対して作るようなもんでしよう。でも、そういう思いやりのある人がいるのは、考えられんことはないなと思ったんです。ちょっと早すぎるなあとは思いましたが……。そこまで、考える余裕がありませんでした」

そう元春は唇を噛む。陣内家の居間にしつらえられた知美の仏壇。黒枠の写真の中で、知美がいたずらっぽく笑っている。夜がふけると、彼女が使っていたポケベルが時折、ピーピーと鳴る。いまでも、日に何度も友人たちからコールが入るからだ。元春はそのたびに、ポケベルを愛しそうに掌に包む。そして、数字で表現されたメッセージを解読し、ノートに記録するのだった。「オヤスミ」「トモミ、アイシテルヨ」……。解読法は独学で覚え、元春も「アリガトウ」と礼を打ち返すことができるようになった。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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