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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第28回 高校の沿革

藤井誠二ノンフィクションライター

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高校の沿革

近大附属が開校したのは一九六四年(昭和三九年)、洋裁学校だった白木学園嘉穂女子高等学校を近畿大学が買収、学校法人近畿大学附属女子高等学校と改称することからスタートしている。それだからか校歌には、飯塚となんの関係もない、近畿地方の地名が謳いこまれている。

一、金剛山はほのぼのと 明けて生駒も目ざめたり

世界の平和祈りつつ 文化の鐘を高鳴らす

若き学徒を讃えずや 近畿 近畿 近畿

近畿大学おゝ近畿

二、開けゆく世のさきがけと 進む行く手に栄えあれ

理想の光相追いて 真実一路あこがれの

若き学徒に誇りあれ 近畿 近畿 近畿

近畿大学おゝ近畿

三、外国までも響けよと 高き文化の足音を

互いに響い競い立ち 真理に愛に魂結ぶ

若き学徒にほまれあれ 近畿 近畿 近畿

近畿大学おゝ近畿

陣内知美が二年に進級した年に配布された学校案内(平成七年度)には、近畿大学総長・世耕政隆の「教育の目的は人に愛される人、信頼される人、尊敬される人を育成することにある」という「巻頭言」があり、そこに山近博幸校長はこんな文章を寄せている。

《教育において最も大切なことは、人づくりであり、心を育むことでありますが、本校も昭和三九年十月発足以来、基本を「将来良き母親となるための女子教育」におき、校訓の「敬・愛・信」に基づいて人に敬われ、愛され、信じられる人間づくりを目指してきました。学力だけにとらわれず、人としての基本をしっかり身につけた人間の育成、つまり広い教養と豊かな徳性、情操をもち、明朗で健康な人材の育成を目指してきたのです。

校章は気品に溢れ、清く美しい梅花を形どっていますが、それはまた本校の建学の精神を象徴するものであり、一貫した教育理念でもあります。

学校は新飯塚駅から歩いて十分、交通至便で、しかも静かで緑豊かな高台に位置し、絶好の教育環境に恵まれ、創立以来近代的な施設、設備の充実に力を注いできました。

意欲に燃えた教職員が心を一つにして早朝の課外授業から放課後の部活動まで、生徒の実態に合った文字通りふれ合いの教育を実践し、礼儀正しく明るい校風が樹立されています》

近畿大学は大阪にある総合大学だが西日本全域に併設校は広がっており、この近大附属もその一つである。同校には普通科と衛生看護科が設置され、普通科には進学コース、特別進学コース、情報処理コース(通称就職コース)が用意されている。特別進学コースと衛生看護科は入試そのものが別である。一九七七年四月には衛生看護科卒業後に通う二年制の専科学校として衛生看護専攻科が併設された。

「就職コース」は、二年時より情報処理(就職)希望者の中から一クラスを編成する。情報処理をはじめ商業経済や簿記会計、計算事務などの授業をおこない、就職試験対策として小論文や面接の指導もおこなう。知美が在籍した二年一組はこの就職コースであり、宮本は商業簿記を教えていた。

「進学コース」は、短大や各種専門学校進学を目標として、それに必要な科目を重点的に力リキュラミングしてある。

「特別進学コース」は四年制大学を目標として三カ年の計画的な進路指導とカリキュラムが組まれている。平日七時間授業及び早朝、長期休暇中の課外授業、定期的な進学模擬試験による個人の習熟度チェックをおこなう。また志望に応じて、二年時から文系と理系の選択に応じた指導を受けることもできる。この「特進コース」はさまざまな面で優遇され、「学業特待生制度」なるものも設けられ、特別進学コース合格者は入学試験の成績によって特待を受けることができる。同校では平成三年度二六人、四年度三三人、五年度四○人が四年制大学に合格しているが、この合格者たちはこの特進科の生徒たちで、学内エリートといえる。

衛生看護科を卒業すると、高校卒業資格を得られるうえに、准看護婦受験資格を得ることができる。その資格を得た者は、衛生看護専攻科(二年制)に、学内推薦制度などを利用して進むこともできる。つまり五年間一貫教育になるわけである。

一九九五年七月現在で、一年生合計五一五名中、普通科四三○名、特進科三六名、看護科四九名。二年生は合計四○三名で、普通科三三九名、特進科三三名、看護科三一名であり、十一クラスに分かれていた。普通科はそのうち八クラスで、うち就職コースは一クラス。つまり、一組だけが就職コースである。

三年生は四六五名おり、普通科三七一名、特進科四六名、看護科四八名。全校生徒は一三八三名である。

教職員は校長、副校長、教頭が各一名。専任教諭五四名。事務職員が十一名いる。非常勤講師は九五年四月現在で二四名いるが、講師は衛生看護科などを持っているため、病院の医師たちに依頼しており、そのメンバー構成は流動的だ。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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