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桜宮高校事件「初公判」傍聴記(後半)

藤井誠二ノンフィクションライター

拙会員制メールマガジン「事件の放物線」9月17日号で配信した『桜宮高校事件「初公判」傍聴記』を全文公開します。

前半部分はこちら

【目次】─────────────────────────────────

■「体罰の虜囚」は「言葉」を奪われていると思った

■求刑は異例の「懲役一年」

■拳骨は体罰だが、平手は体罰ではないと思っていた

■外部委員会の調査報告書も読んでいない

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■拳骨は体罰だが、平手は体罰ではないと思っていた■

どうして体罰をふるうことがエスカレートしていったのかという、検察官や遺族、裁判官から浴びせられた質問に対しては、要約して列挙すると「技術的にも精神的にも強くなってほしかった」、「厳しくやっても愛情は伝わると思っていた」、「自分も体罰をふるわれて精神的に強くなってきたので、同じようになってくれると思った」、「熱心にプレーに取り組んでいなかったから叩いた」、「これからも人生の中で罪を背負っていきたいと思っている」、「保護者から苦情はなかったので(問題はあると思っていたが)指導法としてはいいと思っていた」、「体罰で伸びた選手がいたからだ」、「生徒に成長をしてもらいたいという思いだった」「いまは間違っていたと思っている。体罰は体だけでなく、心も傷つけてしまうことがあるからだ」などということだった。こういった言い方が紋切り型にすぎると私が感じた理由だ。

小村氏は、教員になったときから二〇数年間、体罰をふるっていた。部活だけでなく、生活指導でも体罰をもちいていたが、やりすぎだという指摘を受けたため、平成二〇年頃に体罰を部活以外でふるうことをやめたのだという。

桜宮高校のバスケットボールを全国レベルに引き上げ平成十五年に全国大会に出場したが、平成二三年から全国大会に出場できず体罰が激化したとも証言した。自殺した少年には一年生のときから体罰を加えていたとも証言した。

驚いたのは、体罰はほんらいならいけないことだ、と小村氏が思っていたということだ。平手で叩いていたのは、拳骨で殴ると「暴力」になると思っていたからだとも言った。つまり、小村氏なりの体罰への後ろめたさがあったことになるのだが、平手で殴ることにより、その自らの心の痛みを消していたということになる。拳骨で殴ると怪我をするからという理由も述べていた。

これでは暴力に依存していた自分とは何者だったのか、という問いかけをしたことが伝わってこない。体罰と暴力の「一線」を自分で引いていたのかのわからなかったが、体罰という暴力が持つ依存性が自分がどうはまり込み、抜け出すことができなかったのか。それに対する言及もなかった。

そのような自問自答は起訴された本件公判には必要ないという言い方もできるかもしれない。が、自殺との因果関係を認めて真摯に反省をしているというのであれば、自らそこを掘り下げた言葉を示すべきではなかったか。事件から八ヶ月も経っている。その間にどのようなことを考え抜いたのか、あるいは誰かと話し合ったのかということがまるで私にはわからなかった。遺族も法廷や記者会見でも「反省しているふうにぜんぜん見えない」ということを主張していたが、その理由は小村氏の反省の痕跡が言葉に置き換えようとした態度が見られなかったせいだと思うのだ。

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■外部委員会の調査報告書も読んでいない■

唯一の弁護側証人として出廷した妻も当然のことながら謝罪の言葉を繰り返したが、自分の家族には思春期をむかえた二人の息子がおり、遺族の気持ちを思うとやりきれないとも述べた。職を失った夫が家にいる時間が長くなり、かつては部活で忙しく子どもとの時間が持てないでいたが、皮肉にも事件のせいで時間が持てるようになったことにとに罪悪感を感じていることを震える声で話した。傍聴席では聞き取れないほどのちいさな声だった。

夫の体罰については知っていたが、止めることはしなかった。自身も学校の教員であり、体罰を積極的に支持はしていなかったし、自分でも体罰をふるったことはないけれど、が、教育の一貫としては容認していたという。夫は息子ふたりにも手をあげることはあったが、部活のようにやることはなかったとも証言した。

しかし、夫は体罰をふるい続けてきたのか、それをなぜ止めることができなかったのかを、事件後に最も身近にいる者として話し合った様子が伝わってこなかった。

「事件後」の小村氏の態度で私が驚いたことが三つあった。

一つは、氏がNHKのニュース番組に出演したとき、そのことを遺族には知らせていなかったということだ。NHKからも連絡はいっていない。

〔息子とはもうこの世にはいない。死人に口なし状態なのに一人で勝手に出演し、一体何がしたかったのか。くしくも起訴間際である。そして出演して、以前、喫煙や素行の悪い生徒を殴ることで良くなっただとか(中略)息子は何も問題を起こしておらず、家から通学していたし寮で起きた無免許問題も無関係だ。〕

こう遺族はコメントを出し、記者会見場で質問をしてきたNHKの記者に対して不快感をあらわにしたが、質問には誠実に答えていた。その姿勢と、弁護士を通じてすら一報を入れない小村氏の姿勢のあまりのギャップ。遺族は「死人に口なしだ」と憤っておられたが、体罰の持論を述べたら、自殺した少年がそのような手に負えない生徒だったという印象を世間にあたえることは否めないことはわかっているはずだ。出演するなということではない。小村氏は体罰の持論という「事実」を述べたにすぎないという意識なのだろうが、真摯に反省をしているなら、そういった遺族の「受け取り方」を想像して、せめて弁護士を通じて一報を入れるべきだった。

二つ目は、検察官からの質問であきらかになったことだが、弁護士らで構成した外部調査チームの聴き取り調査には協力したが結果は読んでいないことだ。協力はしたが結果にいては聞いていないというあっさりとした答弁に私は耳を疑った。なぜ読んでいないのかを追及する展開にはならなかったが、自身も聴き取りに応じた調査の結果を精読し、その結果に納得するのか、疑問を残したのか、異論があるのか等をあきらかにするのは常識以前の問題である。調査書の結論を読んでいないと答えたときの小村氏の悪びれたかんじがまったくない態度にも私は我が目も疑ったのである。

三つ目は、少年の自殺について体罰との因果関係を認め、自分が追い込んだとも言っているのに謝罪罪ついて一切のはたらきかけをしていない(弁護士を通じても)ことだ。

被害者代理人として出廷して質問をおこなった弁護士は次のようなコメントを出したのも当然と言えるだろう。

〔謝罪と並行して、自己の地位保全を求めるような発言を行うなど、被告人の言動は、真摯な反省に基づくものとは到底認められません。遺族が面会を断ったとしても、謝罪の手紙を書くなど、可能な限りの努力をするのが常識だと思いますが、そのような行為もまったく行っていません。また、被害弁償の措置も全くとられていません。確かに、国家賠償法では、地方公共団体(すなわち本件では大阪市)に賠償責任を負わせています。しかし、加害者当事者本人が賠償することを禁じているわけではありません。したがって、被告人として、遺族に対してせめてもの被害弁償の申し出がなされて然るべきであると考えます。〕

自殺した少年の兄の質問に私は心を打たれた。今回の証拠でもある、弟が練習試合で小村に殴られ続けている映像を繰り返しみて、冷静かつ理性的に質問を重ねっていた兄の質問に小村氏はまともに答えているようには見えなかった。

兄は調書での小村氏の供述と映像を比較して、ことえばこんな質問をした。

「試合の間にベンチに、ゆっくり弟が戻ってきたから殴ったと調書では言っているが、ビデオでは誰よりも真っ先にベンチに帰って来ている。言っていることがちがう」

「尋ねながら殴ったというが、一秒おきぐらいに殴り続けているのに、いったい何を尋ねたのか。一秒ぐらいで何を尋ねることかできのか」

これらの質問に小村氏は口ごもった。

兄は、けっきょくのところ体罰をふるった理由は小村のストレス発散であり、腹いせ行為であり、遊び半分的な暴力ではなかったのですかと鋭く問うた。小村氏は真っ向から否定したが、体育館に殴打の音が響き渡るほどの数十発の体罰を激昂してふるい続ける体罰教師の「体罰の理由」とはしょせんその程度のものだったのではないかと見抜いたのであった。兄は「どうしてここに来たと思っているのか」とも質問した。小村氏は「今回の件で反省するためです」とだけ答えたのだった。体罰の虜囚となった男が己の行為の内側を深く見つめ、誰かの手助けを借りながら内省の言葉を取り戻していくことはこの先あるのだろうか。

判決は九月二十六日の午前中に出される。

終わり

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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