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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第41回 「進化」する記憶

藤井誠二ノンフィクションライター

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「進化」する記憶

宮本本人への尋問がおこなわれたのは十一月十三日である。以下はその要約である。

弁護人は、宮本が近大附属に非常勤講師として採用になったころのことから尋問を始め、就職コースの生徒たちにいかに手を焼かされていたかを、宮本に語らせた。そして、その生徒たちの生活が乱れていくのを防止するために体を張ってがんばってきたと主張させた。

宮本は、棚町のクラスに自分が副担任として置かれた辞令についてはこう感じていた。

「(就職コースは)人数的には非常に少ないですけれども、かなり担任への負担がいくのではないか、ということで私がついたのではないかと以っています」

弁護人 校則違反などを犯す、そういったいわゆる処分を受けた生徒たちがほかのクラスより数多くいるということですね。

「はい」

弁護人 この二年一組は他のクラスに比べてどんな特徴がありましたか。

「私は商業と社会の免許を持っておりますけれども、進路指導部長もしておりましたので、時間的に二年一組とあとは、三年一組就職コースの二クラスしか持っておりません」

弁護人 一般的に普通のクラスとくらべて学力が低い生徒が多い、ということは言えますか。

「……学習意欲、基礎学力が少し落ちるということは言えると思います」

弁護人 いわゆる私生活の乱れというようなものが感じられる生徒は多いですか。

「それも言えると思います」

弁護人 あなたと棚町さんが二年一組を担当するようになって、クラスをどうしようかと話し合ったことはありますか。

「何でも最初が肝心ですので、とにかく一学期は学習目標を二つ挙げております。まず生活面の遅刻・欠席をなくすということと、礼儀のほうで挨拶をきちんとするということです」

進路指導担当の宮本は年間に企業を三○社ぐらい回っていた。「特に昨今は就職が厳しく」なっていたため、企業側の「明るくて元気があって、挨拶がきちんとできるような生徒が欲しい。簿記も最低三級は欲しい」という条件を満たす必要があった。だから「授業の最初と終わりには挨拶の訓練みたいなものもしたし、一般常識の試験もあるので、そこにも力を入れていました」

そして、供述調書に何カ所も見られる「カッとして殴る」という供述を打ち消す効果を狙って、弁護人は宮本の「体罰観」を聞いた。

「最初は口で何度も何度も言っておったと思います。しかし、ただ口で言っただけではこちらの思うとおり成果が上がらないものですから、もう三回以上言うたら、これからは叩くぞ、というようなことは言っていました」

弁護人 三回以上違反する生徒はしょっちゅういるものですか。

「数的にはそんなに多くないと思いますけれども、何しろ校則がたくさんありまして、私が何か校則に縛られとったのかどうか知りませんけれども、いやなところほど目につくような形になっておったと思います」

やがて尋間者は弁護人から検察官に移った。検察官はすぐに、暴行の事実関係について尋問をはじめ、宮本の証言と目撃証言のギャップについて質していった。

検察官 スカートの丈について、被害者が校則違反をしていると気付いた場所は、教室の中ですか。

「鏡の前です」

検察官 教室の中ではどういう注意を被害者にしましたか。

「スカート丈を元に戻すように言ったと思います」

検察官 あなたの捜査段階での供述だと、そのあとはもうすぐに廊下に出て、今回の事件になっていますよね。

「はい」

検察官 一番廊下の入口に近いところにいた生徒がはっきり見ていて、被害者はあなたに注意をされて、すぐにスカートの丈を直そうとしていたと話していますが、あなたの記憶に照らしてどうですか。

「それはなかったと思います」

検察官 その生徒が嘘をついていると思いますか。

「よくわかりませんけれども、生徒は試験が始まってすぐで、夏休みには出てきたくないという気持ちもあったでしょうし、一生懸命取り組んでおったんじゃないかなと思っております」

検察官 その後、被害者が教室から廊下に出ようとしましたね。

「はい」

検察官 あなたはその時に、被害者を後ろから押しませんでしたか。

「私は本当に記憶にないんです」

ここで弁護人が、「そのあたりのことは被告人に聞くときに、問いのかたちで聞いてあるんですよ。後ろから押したことはないかとか、被告人調書の中に出てますよ」と横槍を入れる。それに対し検察官が「もっとも大事なことですから、公判廷で聞きたいと考えます」と答えると、裁判官はこれを認め、検察官の尋問が続行された。検察官は、知美が廊下に出るまで宮本が押したかどうかを手を替え品を替え何度も聞いていく。宮本の記憶の空白を埋める作業である。

検察官 被害者を後ろから押したという記憶はありますか、ないですか。

「ないですね」

検察官 被害者が廊下に出るところで、被害者が前のめりになって四つん這いのかたちで倒れたということはないんですか。

「覚えがありません」

検察官 その際に、被害者のカバンから、被害者のカバンに入れていたブラシが飛び出したということはないですかね。

「わかりません。私はカバンそのものがあったのかどうかもちょっとわからないです」

検察官 実況見聞調書の再現があって、目撃した生徒も供述しているんですが、ブラシがカバンから飛び出るというのはすごく印象的なことで、目撃した生徒も覚えていることだと思うんですけども、あなたにしてもすぐ後ろにいたわけですから、相当印象的なことではないのですか。

「私は、彼女が鏡に向かっていたとき、私は彼女の右側に行っているんです。目撃者の生徒はカバンが右側にあったと証言していますよね。私は右に行って見てるのですぐにわかると思うんです」

検察官 その後、ブラシが被害者のカバンから飛び出したことはないですか。

「わかりません」

検察官 そのとき、廊下に座っていた生徒がはっきり供述しているんです。

「……」

検察官 あなたが後ろから被害者を押して、被害者が四つん這いのかたちになったときに、ブラシが二本廊下に落ちていったんじゃないですか。

「私はわかりません」

検察官からバトンタッチした二名の裁刊官も同様の質問をするが、宮本は教室の中では一切、知美の体には触れておらず、廊下に出ていった知美を、生徒たちが試験を受けているのを目視してから追った、との証言を通した。付け加えれば、宮本は検察庁で、鏡の前でも体罰をふるったことを供述しているのである。公判はそれには触れなかったが、それをも忘却していることになる。

陶山博生裁判長とのやり取りで、裁判長に検察調書のほうが、いまの証言よりも暴行量が多いことを指摘されると、宮本は「検察庁では記憶があやふやだったため、たぶん一連の行動でやることもあるだろう」と、記憶に自信がない状態で供述調書を作成され、捺印したことを証言した。再び検察官が、「いまと当時とではどちらが記憶がはっきりしているか」と質すと、「何で自分がこんなことをしたのかと、逆、逆に考えてきたので、いまのほうがはっきりしている」と答えた。この宮本の「記憶」は控訴審でさらに「進化」していく。「教師生活を振り返ってみて、どう生徒たちのためにやってきたと思いますか」という弁護人の質問に対してはこう答えている。

「まず自分自身精一杯やったと思っております。特に誠実さと愛情と情熱を持っておったと思います」

弁護人 それでも感情に走るということもやむをえないということですか。

「やはり叱ることと、怒ることを区別しなければいけないと思っております」

弁護人 叱るというのは子どものことを考えて叱ると、怒るというのは自分の感情に任せて怒ると、そういうふうに区別してよろしいですか。

「はい」

弁護人 もうかなり拘置所生活が長いんですが、拘置所で今どういう生活をしていますか。

「毎日朝晩、彼女の冥福をお祈りしています。それから写経を始めております」

弁護人 陣内さんのお父さんが「お詫びの言葉がない」とおっしゃられましたが、お詫びの手紙を差し上げたことはありませんか。

「九月十七日に拘置所からお詫びの手紙を書きました」

弁護人 かなり遅くなっているようですが、何か原因がありますか。

「大変なことをしてしまって、取り返しのつかないことをしました。かわいそうなことをしてしまって、頭のほうが……いろいろなことを考えて遅くなってしまいました」

弁護人 今後その罪の償いをしなければいけないわけですが、それについてはどう考えておられますか。

「自分が生きている限り、一生責任をもっていかなくちゃいけないと思っていますし、本人の供養も自分が生涯やっていかなくてはいけないと思っています」

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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