Yahoo!ニュース

「適法居住」要件の見直しを――国会で審議中の「ヘイトスピーチ対策法」与党案

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
4月9日、シンポジウムを開いた外国人人権法連絡会も緊急声明を発表し、記者会見した

■「幅」も狭く「強度」も弱い与党案

ヘイトスピーチに象徴される排外主義の高まりを受け、民主、社民および無所属議員らが昨年5月に共同提出した「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律案」(以下、野党案)は今年3月、参議院の法務委員会で審議が再開され、参考人質問と、近年ヘイトデモの集中攻撃を受けている川崎市コリアンタウン訪問が実施された。これを受けて4月8日には与党の自民・公明両党から、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」(以下、与党案)が参議院に提出され、今国会で審議中だ。各会派一致で成立を目指すべく、現在、与野党間の調整が続けられている。

野党案が、罰則のない理念法とはいえ日本が1995年に加入した国連・人種差別撤廃条約の義務を履行するために包括的な差別禁止をうたったものであるのに対し、与党案は「不当な差別的言動の解消が喫緊の課題である」(第一条)として、あくまでもヘイトスピーチの解消に向けた取り組みを促すことが目的となっている。問題点については後述するが、要は、どこまでを対象にするかという「幅」にしても、実効性という「強度」にしても、かなり狭く弱い内容となっている。

■基本的に歓迎しつつも修正求める多くの声

とはいえ人種差別撤廃条約への加入から21年。遅きに失しすぎた感はあるものの、戦後一貫して日本に人種差別はないと主張してきた日本政府が、限定的ながらその存在を認める第一歩となる意義は小さくない。この間、長きにわたって外国人の人権問題や人種・民族差別の解消のために取り組んできた弁護士や研究者、支援団体や当事者団体も、基本的には歓迎しつつ、問題点の修正を求めていく立場から数々の声明を発表している(文末に一覧)。

これらに共通するのは、禁止規定がないために実効性が弱い(法の「強度」の問題)、「本邦外出身者」という規定によってアイヌや沖縄、被差別部落出身者など、また「適法に居住するもの」という要件によってオーバーステイや難民認定申請者といった非正規滞在者などが除外されるおそれがある(対象の「幅」の問題)――というものである。

いずれも重大な問題点だが、「幅」の問題は日本のエスニック・マイノリティの分断ともからむ、私の実存的にも深刻な問題だ。本稿ではとくに、後述するように実効性にも関係してくる「適法居住」要件の問題点について取りあげたい。

■「適法に居住している本邦外出身者」?

与党案はヘイトスピーチを念頭に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消をうたい、それを「専ら本邦の域外にある国又は地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で、公然と、その生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加える旨を告知するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動をいう」と定義している(第二条)。

つまり、言動における不当な差別を構成する要素として想定されている対象が、「適法に居住している本邦外出身者」なのである。ではそれはいったいどんな人なのか、私自身を例にあげて考えてみよう。

当時は「大日本帝国」の一部にされていたとはいえ、現在の日本の主権がおよぶ「本邦」の域外で生まれ、ここにわたってきた親のもとに私は生まれた。さらに、まさにかつて「本邦」だったという歴史的経緯から、「国籍」ではなく地域を指す在留管理法制度上の「朝鮮」という記号と「特別永住」という在留資格を持ち、「合法」的に日本に居住している。

ということは与党案によれば、私を念頭に、私を対象に「朝鮮人を殺せ!」と投げかければ、それは解消への取り組みが求められる「不当な差別的言動」となるわけだ。

■不特定多数へのヘイトにはナンセンス

しかしそもそも、特定の「私」という個人を対象にしたヘイトスピーチなら、不十分ながら現行法でも対応可能とされていた。この間のとくに与党内での立法化への動きは、排外主義者がヘイトデモで「朝鮮人を殺せ!」などと叫んでも、不特定多数に対するものだから対応できない、という限界から出てきたものでもある。

不特定多数の「○○人」が適法に居住しているかそうでないかなど、区別できるわけはない。それとも「不法滞在の○○人」と言ってしまえばそれは「差別的言動」にはあたらないということなのだろうか。「適法居住」要件の導入には、非正規滞在者を犯罪者扱いし非人道的に処遇し続けてきた法務省の意向が反映されているとささやかれているとはいえ、まさかそれが狙いではないだろう。

このように、不特定多数に対するヘイトスピーチを何とかしたいのならば、「適法居住」要件はナンセンスだ。当然ながら人種差別撤廃条約に反するだけでなく、「本邦外」規定とともに「法」の名のもとで、日本のエスニック・マイノリティのなかにさらなる分断を招くものでもある。

■分断されるマイノリティ、在日コリアン

その歴史的経緯にもとづき一括集計してきた在留外国人統計の「韓国」籍と「朝鮮」籍を、新たな在留外国人管理制度のもとで2012年からひそかに分離して集計していた法務省は今年3月、これを公表した。

時を同じくして2月の「北朝鮮への独自制裁」発動後、法務省入国管理局は「朝鮮」籍の在日コリアンが海外に渡航する際、「制裁の実効性を担保するため、北朝鮮に渡航する可能性が最も高い」として、「北朝鮮には渡航しません」という誓約書への署名を強要している。

さらに文科省は3月29日、「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について」と題し、朝鮮学校を認可している28都道府県知事あてに補助金交付の「適正化」を求める通知を出した。背景には自民党が政府に対し、北朝鮮制裁強化策の一環として朝鮮学校への補助金停止を強く求めたことがある。

このように、北朝鮮との「つながりの可能性」さえあれば「みなし敵性国人」として何でもありになっている昨今、私だっていつ「不法」な存在にされるかわからかない。排外主義者たちのなかには、現在の「特別永住」資格は「特権」であり、在日コリアンはみな「不法入国者の子孫」だと主張している者さえ少なくない。

このような、事実に反する主張自体が「ヘイトスピーチ」であるにもかかわらず、その主張によって「差別的言動」であることを免れるとするならば、そのような法律は私にとって、そして多くの潜在的な被害者にとって、いったい何になるのだろう。

■「非正規滞在」と「朝鮮学校」が出発点

各地で在日コリアンをはじめとした外国人、ときにはアイヌなどに対するヘイトスピーチをまきちらす「デモ」を毎週のように行い、法規制をめぐる議論を巻き起こすきっかけとなった「在特会」が、ネットでの呼びかけから生まれたのは2007年である。

同会がネットの外に出て広く知られるようになったのは2009年。在留特別許可を求めていた日本生まれのフィリピン人女子中学生の国外退去を要求するとして、彼女の一家が暮らす町で「デモ」を敢行し、グラウンドがないため市や町内会との取り決めによって隣接する公園を長年にわたって利用していた京都朝鮮初級学校を、公園の「不法占拠」だとして襲撃した。彼らの直接的な暴力の出発点となったのが、「非正規滞在」と「朝鮮学校」であったことは繰り返し想起されていい。

前述したように筆者は、与党案が出てきたこと自体については一定の前進だと思ってはいる。より幅広く強度のある差別防止策への一歩にしていくためにこそ、問題点の修正を求める声をあげているのだ。

■熊本地震でもヘイトスピーチ・デマ横行

毎年4月のこの時期は忙しすぎてほかのことにまったく手が回らない。14日から熊本、大分地方で続いている地震のこともあまり追うことができておらず、ただただ心配と申し訳ないような気持ちだけが募る。

とはいえその直後にSNS上で見かけたのは、地震にまつわる悪質なヘイトスピーチ・デマが広がったという事実だ(一方で2011年3月の東日本大震災以来の教訓か、ここ数年の反ヘイトスピーチ世論の盛り上がりゆえか、これを打ち消そうとする動きや、早い段階でこれについて取り上げる記事が目立ってもいた)。

被害に胸を痛める一方で、もし今回、自分が被災者だったら怖くてSNSを見られないだろうと思った。それは同時に、今回も改めてその有効性が指摘されていたSNSによる有用な情報へのアクセスも遮断されるということだ。

ヘイトスピーチ・デマは、(特定の)マイノリティの表現の自由も奪うと同時に、情報へのアクセス権も奪う。平常時はもちろん、生死を分かつような非常時にそれがどれだけ恐ろしいことか。ネット上の対策も急務だろう。

【資料】各団体の声明など一覧

4月9日、外国人人権法連絡会「ヘイトスピーチに関する与党法案に対する緊急声明」

4月13日、在日本大韓民国民団「ヘイトスピーチ禁止条項の明記を求める決議文」

4月14日、在日コリアン弁護士協会「ヘイトスピーチに関する与党法案を修正し, より実効的な法律を成立させることを求める声明」

4月14日、全件収容主義と闘う弁護士の会「ハマースミスの誓い」与党のヘイトスピーチ対策法案に反対する声明

4月15日、在日大韓基督教会「人種差別撤廃基本法」を求める要請書(衆参両議長に提出)

4月15日、全国難民弁護団連絡会議「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」に関する全国難民弁護団連絡会議緊急声明

4月18日、のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク「ヘイトスピーチに関する与党法案に修正を求める声明」

4月18日、移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)「ヘイトスピーチに関する法案(与党案)に対する声明

4月18日、ヒューマンライツ・ナウ「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」に対する声明

4月19日、反差別国際運動(IMADR)「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案に対する緊急声明」

4月19日、アムネスティ日本「声明:差別を助長しかねないヘイトスピーチ解消法案を速やかに修正せよ」

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

韓東賢の最近の記事