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ウクライナ、「イスラーム国」、南スーダンをつなぐ線:あるいは「近代の清算」の逆説について

六辻彰二国際政治学者

ウクライナ、イスラーム国、南スーダン

ウクライナの分裂、イラクとシリアにまたがる領域での「イスラーム国」独立宣言、独立間もない南スーダンでの民族紛争など、昨年来のユーラシアからアフリカにかけての一帯での出来事は、世界の不安定化を象徴します。

ウクライナの場合、帝政ロシアの時代にまでさかのぼる確執に始まり、冷戦期に決定的となったウクライナの反ロシア感情、冷戦終結後の東欧・旧ソ連を舞台とするヨーロッパとロシアの勢力争い、冷戦終結後のロシアで醸成された反欧米感情などが絡まった結果、クリミア編入が実現しました。その後、東部ドネツク州の親ロシア派が同様の分離独立運動を展開していることは、周知の事柄です。7月24日、国際赤十字はウクライナが「内戦状態にある」との見方を示しました。

イラクとシリアでは6月、アル・カイダ系の「イラク・レバントのイスラーム国」(ISIL)が両国にまたがる領域でイスラーム国家の樹立を宣言。名称も「イスラーム国」(IS)に改め、イラクのマリキ政権やシリアのアサド政権だけでなく、それぞれの国内にある反体制派とも三つ巴、四つ巴の武力衝突を重ねています。また、その混乱の最中、「国家を持たない世界最大の少数民族」と言われるクルド人がイラク北部の油田地帯を掌握し、それまでの「自治政府」という扱いから独立を目指す気運を高めていることは、やはりクルド人が多く暮らす周辺のイラン、トルコ、シリアなどを巻き込んだ変動を予期させます。

そして、ウクライナや中東に世界の目が集中するなか、2013年12月に始まった南スーダンの内戦は一向に収まる気配がありません。イスラエル-ハマスと同様、停戦合意がされてはそれが相互に破棄される、といった相互不信と憎悪の悪循環が生まれています。2011年にスーダンから分離独立し、国連にも加盟した、「世界で最も若い国」と呼ばれる南スーダンは、しかし「スーダンに共同してあたる」という状況がなくなった途端、ディンカとヌエルの民族間の反目、キール大統領とマシャール前副大統領の個人的確執、アフリカ大陸第6位の石油権益などを背景に、内部分裂が加速したのです。その結果、7月までに人口約1,000万人の南スーダンでは150万人が土地を追われることになっています。

「近代の清算」:契機としての冷戦終結

これらはいずれも、それぞれの土地の固有の条件や、それに基づく外部勢力の関与のもとで発生した事象ですが、同時に共通する背景を見出すこともできます。大きく言えば、それは「近代の清算」に他なりません。

既存の国境線の多くが、15世紀の大航海時代から20世紀初頭の帝国主義時代にかけての時期に、列強の勢力圏として確定したことは、広く知られています。それはアジア、アフリカ、中東などに限らず、東欧、カフカスなど旧ロシア帝国領も同様です。いわば外部の力によって引かれた境界線は、現地の言語、文化的な広がりを度外視したものがほとんどです。例えばイラクとシリアの場合、第一次世界大戦後にオスマン・トルコの領土をイギリスとフランスが分け合った結果が、現在の国境になっています。つまり、近代史の結果として多くの国では、国家の枠組み自体が「自分たちで選び取ったものでない」というフラストレーションが生まれやすい構造があるのです。

ただし、その状況自体は、多くの開発途上国が独立した第二次世界大戦後に既に顕在化していました。1947年にイギリスから独立するにあたって、ヒンドゥー中心のインドとイスラーム中心のパキスタンが分裂したことは、それを象徴します。

そういった近代史の矛盾は、冷戦期には総じて抑え込まれました。イデオロギー対立を基調とする米ソ二極体制のもとで、それぞれの開発途上国には膨大な軍事援助が提供され、それは国内の反体制派を鎮圧させるに足る力を各国政府に与えました。言い換えれば、冷戦構造は既存の国境線を維持する重石となったのです。そのため、1989年の冷戦終結は、その重石の消滅をも意味していました

冷戦終結後、ウクライナを含む東欧・旧ソ連圏の国は、EU、NATOへの加盟を通じて「西欧圏」に加入するのか、「ロシア圏」にとどまるのかという選択に直面しました。その多くは西欧圏に加入しましたが、ロシア系人の多い、そしてロシアが「絶対防衛圏」と位置付けるウクライナでは、国内の親欧米派と親ロシア派の対立が噴出。欧米とロシアの綱引きのもと、ウクライナという国のあり方そのものが問い直され続けてきたのです。

また、1990年代はアル・カイダなど「国際ジハード主義」を標榜する組織が台頭した時代です。つまり、既存の国境線のもとでそれぞれの中東諸国の政府は自国の利益に邁進し、ムスリムとしての連帯を失っており、これらを打ち倒すことが「正しいムスリムのあり方」という思考です。実際、アル・カイダに代表される国際イスラーム組織は、(ムスリムを圧迫していると彼らがみなす)欧米諸国だけでなく、サウジアラビアなど中東諸国の政府も標的にされ続けました。

そして、国内に数多くの民族を抱える国が多く、人工的な国境線が最も目立つと言っていいアフリカでは、1990年代から各地で内戦が頻発するようになりました。既に1980年代から第二次内戦に突入していたスーダンでは、南部のアフリカ系キリスト教徒が北部のアラブ系ムスリム中心の政府に抵抗する構図が定着していました。2011年の南スーダン独立は、19世紀のヨーロッパ列強の勢力圏に基づいて確定されたアフリカの国境線が初めて変更されたもので、その意味で世界史的な意味を持ちます。

これらに鑑みれば、冷戦終結は世界規模で「自分たちで自分たちの将来を選び取る」営為が広がる契機になったといえるでしょう。

グローバル化の影響

冷戦終結を機に噴出し始めた「自分たちで自分たちの将来を選び取る」営為は、やはり1990年代に生まれた、グローバル化によって加速しました。

米ソ(ロ)は開発途上国向けの軍事援助を縮小させました。これは一方で軍事独裁体制にその転換を迫るものであったと同時に、他方で国内にマグマのようにたまっていたフラストレーションが噴出した際、抑え込めない状況を生んだことも否定できません。ところが、グローバル化がこのフラストレーションの噴出を後押しすることになりました。

冷戦時代、各国の反体制派やゲリラ組織は、敵対する勢力とやはり対立する勢力から軍事援助を受けることが一般的でした。1979年のソ連によるアフガン侵攻に抵抗して、世界中から参集したイスラーム義勇兵(ムジャヒディン)が米国から支援を受けたことは、その典型例です(そこで生まれたムジャヒディンの人的なネットワークが、後にアル・カイダなど国際テロ組織の基盤となった)。ところが、冷戦終結を契機に、大国が兵器流通を管理する時代は終わり、兵器なかでも自動小銃や手りゅう弾などの小型武器は、市場を通じて売買されるようになりました。市場で売買されるということは、「需要があるところに供給が発生する」ことを意味します。つまり、戦闘地帯ほど武器が流入することになります。

その一方で、グローバル化は各地の武装勢力に、独自の資金源を確保させる道を開かせました。繰り返しになりますが、冷戦時代は「敵の敵は味方」の論理に基づき、自分たちが敵対する勢力とさらに敵対する勢力から援助を受けることが一般的でした。それは言い換えれば、いずれかの大国の「ひも付き」で軍事活動をすることにもなったのです。しかし、グローバル化のもとで、各地の武装勢力は大国に資金源を依存せずとも済むようになります。映画「ブラッド・ダイヤモンド」で描かれたように、1990年代以降のアフリカでは、武装勢力がダイヤモンドなどの天然資源産出地を占拠し、それを密輸して資金源とすることが一般的となりました。近年では石油もその対象となっており、イラクやシリア、南スーダンでも油田地帯が激戦地となっていることは、偶然ではありません。

すなわち、グローバル化の進展は各地の反体制派や武装組織に、「大国のひも付き」でなくても軍事行動を起こす物質的な条件を提供したといえます。言い換えれば、冷戦終結を契機に、「何者の影響下にも置かれず、自分たちで自分たちの将来を選ぶ」思考を具現化するアクションを起こしやすい状況が、世界各地に生まれたのです。それが、近代史の帰結であるところの既存の国境線を否定しようとする、「近代の清算」の潮流の引き金になったといえるでしょう。

イメージ化された「我々」の拡散

経済取り引きとともに情報のグローバル化は、世界規模で広がる「自分たちで自分たちの将来を選び取る」営為に無視できない影響を及ぼしたといえます。それは情報のグローバル化によって、「自分たち」のイメージ形成に及ぼす地理的な制約が、縮小されたことによります。

ベネディクト・アンダーソンはその名著『想像の共同体』で、印刷資本主義の発達によって、実際には直接的な関係を持ちえない個々人の間に、「想像上の」絆をもたらすと論じました。つまり、例えば実際には行ったことがなくても、特定の町についてのイメージが小説や新聞などの印刷物を通じて共有され、その町を首都とする国家の一員としての自覚、言い換えれば「国民」としての意識が生まれたというのです。

歴史的にみて、「想像の共同体」は基本的に国家を単位に形成されました。それは、言語などの制約もあり、印刷・出版業が他の業種と比較して国境を越えにくかったことによります。これによって、共通の通貨や市場によって形成される経済圏と、想像の共同体としての国家は、一体のものとなりやすかったといえます。

ところが、インターネットの普及により、国境を超えて情報が交換され、コミュニケーションが行われることは、現実に居住する国の一員としてのみ自覚を持ちえるという制約を、容易に飛び越えることを可能にしました。すなわち、それまで国境の枠内にほぼ限定されていた情報伝達と「想像上の」一体感の形成が、言語さえできれば、国境を超えて行われるようになったのです。

イスラーム過激派がインターネットを用いて自らのメッセージを世界中に流布し、それに感化された人が長年居住した国の市民としてよりムスリムとしての自覚を強め、いわゆるホームグロウンテロに向かったり、シリアやイラクで武装活動に加わったりする状況は、多くの先進国で確認されています。情報伝達の普及により個々人は、自分がどの社会の一員であると捉えるか、いわばどの想像の共同体に属するかを選択する機会を手に入れたといえます。

アンダーソンの議論に則れば、これは多くの場合「自分たち」の意識を、印刷資本主義の限界域であった既存の国境を前提としていたそれまでの時代と、明らかに異なる状況です。つまり、インターネットの普及は、既存の国境という枠を絶対のものと捉えず、それを超えて「自分たちで自分たちの将来を選び取る」営為を加速させる、言い換えれば「近代の清算」を促す契機になったといえるでしょう。(続く)

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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