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9.11から13年-米国の何が変わったのか、変わらないのか

六辻彰二国際政治学者

ニューヨークとワシントンを襲った同時多発テロ事件から13年。あれから、世界には「対テロ戦争」という名の混沌が漂っています。それにつれて、一方の当事者である米国は多くの変化を余儀なくされる一方、その状況に合わせて超大国の座にとどまり続けようとしています。その方向性は、世界にいかなる影響を及ぼすのでしょうか。

冷戦期との差異

冷戦期の主たる敵だったソ連は、米国からみて、政治信条は全く異なっていても、ある意味で国際テロ組織より対応しやすい相手でした。それは、ソ連が国家であったという単純な事実によります

いかなる国家であろうと、自己保存を図ります。つまり、ソ連は国家であるがゆえに、米国との間で「自己保存という優先事項」で一致していました。言い換えると、ワシントンからみたモスクワは、信用もできないし仲良くもない一方で、自国の存続という最大のベネフィットを確保するために、妥協するところは妥協するという「コストを払う」合理的な判断が可能な相手だったのです。だからこそ、キューバ危機などいくつもの危機に直面しながらも、米ソは相互にとって最大の損失となる核戦争に行き着く可能性の大きい直接対決を避け、お互いの軍拡を凍結させる戦略兵器制限交渉などを段階的に進めることができたと言えます。

これと比較すると、対テロ戦争は損得勘定に基づく交渉が困難な点で際立っています。基本的にテロ組織は「国家」という枠を背負っているわけではありません。「自らの利得を最大化させる」ことをもって合理的と呼ぶなら、自爆テロすら厭わないテロ組織は、一般的に言って最大の非合理的選択すら行える相手です。「国家の自己保存」という最大のベネフィットのためにワシントンと妥協していたモスクワの官僚とは訳が違います。

さらに、国家という地理的な制約がないことは、テロ組織への対応をより困難にする一因です。冷戦期、米国はトルコ、パキスタン、タイなど共産圏と隣接する友好国に大規模な軍事援助を行い、ソ連の拡張を防ぐ「封じ込め戦略」をとっていました。しかし、国境を自由に行き来するテロ組織の場合、このように「封じ込める」ことも困難です。

そのため、対テロ戦争は必然的に軍事作戦が多くなりますが、正規軍でないテロ組織を相手にすることは、突っ込めば突っ込むほど深みにはまることになります。上意下達の正規軍の場合、上層部が国家としての合理的判断として停戦・終戦の命令を出したなら、末端の兵士は否も応もなく従わざるを得ません。しかし、細かなグループが網の目のように結び付いたテロ組織の場合、誰かが全体を統制できるわけではありません

さらに、ネットワークのどこかを外科手術的に切り落としたとしても、それでテロ組織を壊滅させることはほぼ不可能です。アル・カイダをはじめとする国際テロ組織は、富裕なペルシャ湾岸諸国から資金が流れていると言われますが、金融がグローバル化するなかでそれを取り締まることは困難です。また、やはりグローバル化のなかで格差が拡大し、他方で政治的な発言を抑えられているなかで、社会に不満をもつテロリスト予備軍は、多かれ少なかれどの国にもいます。これに、過激な思想をも伝達する情報通信技術の発達も手伝って、テロ組織は次々と生まれています。

かつて、米軍がゲリラ戦術に苦しんだヴェトナム戦争は「泥沼」と形容されましたが、対テロ戦争は「底なし沼」に等しいとさえ言えるでしょう。

対テロ戦争のトーンダウン

9.11のショックから集団ヒステリー状態となった米国は、アフガン戦争やイラク戦争に突っ込んでいきました。しかし、アフガンやイラクで戦闘終結が宣言され、新体制が樹立された後も戦火はおさまることはありません。そのなかで米兵の死傷者が増える一方、逆に米軍の誤爆などで多くの民間人が巻き添えとなるなか、「解放者」であったはずの米国が現地で反感を招いたことは不思議ではありません。2007年9月、米国防省と契約していた民間軍事企業ブラックウォーター社の社員が、銃を乱射してイラク人17人を殺害した事件は、FBIすら「14人は正当な理由なく殺害された」と結論づけたもので、両国政府間の関係を決定的に悪化させる一因となりました。

このような状況のもと、米国政府に対する信頼が内外で低下したことは、いわば必然でした。そして、それにともなって米国政府はこの「底なし沼」からできるだけ抜け出そうとしてきたといえます。イラクからの早期撤退を掲げたオバマ大統領が2008年大統領選挙で勝利したこと、2011年にイラクから米軍が完全撤退したこと、そしてそれとほぼ時を同じくして、中国を念頭に安全保障上の関心をアジア・太平洋に移すアジア・シフトを宣言したことなどは、これを象徴します。

しかし、それでも米国にとって対テロ戦争と完全に手を切ることは容易ではありません。今年6月にイラクからシリアにかけての一帯でイスラーム国家の樹立を宣言した「イスラーム国」(IS)に対する対応は、それを示すものです。

スンニ派のイスラーム国家樹立を掲げ、異教徒だけでなく、従わない者はスンニ派であっても殺害するといった蛮行を繰り返すISに対して、オバマ大統領は8月7日、限定的な空爆を承認。その一方で、迫害される少数派の人々に対して、人道支援物資の空輸も行い始めました。米国人ジャーナリストの処刑などが報じられるなか、8月21日にヘーゲル国防長官はISを「かつてない脅威」と位置づけ、9月5日にはNATO首脳会合と合わせて開催された、英仏独伊、ポーランド、デンマーク、オーストラリア、カナダ、トルコとの会合で米国は「中核的連合」の結成を呼びかけました。ISに対して、集団的に、断固たる措置をとることを宣言したわけですが、しかし地上部隊の派遣は明確に否定しました。

イスラーム国への対応が示す米国の選択肢

米国にとってISの台頭は看過できないものですが、しかしそれは人道的な理由だけによるものではありません。

多くの識者が指摘するように、マリキ政権が露骨にシーア派を優遇したことがイラク国内のスンニ派の不満を醸成し、これが必ずしも過激主義を受け入れているわけでないスンニ派のIS支持をもたらしました。

「やられたからやり返した」アフガン戦争と異なり、「やられるかどうか定かでないのに、『やられる』と決めつけて先に手を出した」イラク戦争は、後からいくら「イラクの民主化に役立った」と抗弁しようとも、国連安保理の明確な決議を経なかったばかりか、「フセイン政権が保有している」とCIAが強調した大量破壊兵器も発見されなかった以上、米国に対する信頼を傷つけたとしか言えません(攻撃を支持した日本政府を含む各国政府も同様です)。そのため、米国が最大の事後処理としてイラクの政情安定に力を入れたことは、当然と言えば当然です。

いわば後見役だった米国は、早くからマリキ政権に挙国体制の構築を促してきました。しかし、マリキ首相は国内の反米感情の高まりとともにイラク・ナショナリズムを叫びながらも、自らの支持基盤であるシーア派を優遇し続けました。その一方で、やはりシーア派のイランとも友好関係を維持。これは米国にとって大きな懸念でしたが、とはいえあからさまにイラクの内政に手を出せば、ようやく洗い落としが進んだ「一国主義」のイメージが再燃しかねません。その結果、米国は事実上、マリキ政権の軌道を修正できなかったのです。

その意味では、ISの台頭によって内外から批判が噴出し、マリキ首相が辞任に追い込まれたことは、米国にとってもっけの幸いだったと言えます。しかし、その一方でISを野放しにすれば、イラクそのものが崩壊しかねません。テロリストの巣窟がイラクにできることは、先進国や周辺国にとって脅威となるだけでなく、「米国のあと始末の不手際」を印象付けます。かといって、アフガン戦争やイラク戦争のような全面戦争は、財政難の折から、もはやできるはずもありません。したがって、基本的に戦闘はイラク軍など共同戦線を張れる主体に任せ、自身の関与は空爆や兵站支援に限定して、さらにその戦列に同盟国を並ばせるという選択は、米国にとっていわば苦肉の策と言えるでしょう。

国内世論が示す米国の方向性

このように、一歩引きながらコンスタントに対テロ戦争に関与し続けることは、アフガン戦争やイラク戦争のように一気呵成に軍事作戦に突っ込んでいた頃と比べれば、その良し悪しはともあれ、地味と言えば地味です。「動けない超大国」と言われるのも無理はありません(ただし、この形容は、「動ければいいのか」という疑問を提起するものと言えます)。いずれにせよ、例え軍事的な効果という点で難点があるとしても、一国主義的な行動をとり続けることに比べれば、国際的な反発を招きにくいという意味で、米国政府にとって現在のアプローチは有効です。イラク戦争の強行がフランス、ドイツとの亀裂を深めたことは、古い話ではありません。

他方、この方針は米国内部の大きな潮流にも沿ったものと言えます。9月9日のワシントン・ポストのアンケートによると、イラクへの空爆を支持する回答は65パーセントにのぼりました。しかし、それ以上の関与については、そもそも設問がなかったようです。つまり、空爆という限定的な関与は賛成するが、地上部隊の派遣などそれ以上の関与は想像もしていない、という米国の空気を読み取れます。

米国市民を対象とした2013年のピュー・リサーチ・センターの調査によると、「10年前と比較して、世界のなかで米国が果たす役割はより重要になっている」と応えた共和党支持者は5パーセント、民主党支持者は26パーセントでした。その一方で、「世界の問題に関して米国が果たしている役割が多すぎる」と応えた共和党支持者は52パーセント、民主党支持者は46パーセントでした。

この調査結果からは総じて米国市民の間に「米国の影響力が衰えており、財政難の折から海外の問題に関わることは控えるべき」という論調が強いことがみて取れます。しかし、それと同時に、党派によって米国の能力や役割に対する捉え方に微妙な違いがあることもうかがえます。つまり、共和党支持者に「米国の衰退」認識と「内向き」志向がとりわけ目立つのに対して、民主党支持者にはその傾向がやや薄いということです。

ブッシュ政権がそうであったように、共和党支持者には国際政治を「力」で捉える傾向が強くあります。これは国際政治学でいうリアリズムの立場です。いずれにせよ、対テロ戦争で苦戦を強いられただけでなく、新興国の台頭やロシアの独自路線の鮮明化などにより、世界が経済的、軍事的に多極化するなか、米国の「相対的な衰退」は加速してきました。これに鑑みれば、軍事力や経済力といった物質的な力、すなわち「ハードパワー」を重視する共和党系の米国市民が「米国の衰退」認識から「内向き」になりやすいことは、不思議ではありません。また、米国にとっての伝統的な外交方針「孤立主義」がこれを後押ししていると言えるでしょう。

他方、オバマ政権がそうであるように、民主党支持者には国際政治を「理念」で捉える傾向が強くあります。国際政治学でいうリベラリズムの立場です。この点からみると、世界が多極化しつつあるとはいえ、米国のもつ影響力はハードパワーの低下ほどには損なわれていないことになります。新興国やロシアの場合、友好国や支持者を増やす際に、物質的な利益や軍事的な安心感を与えることはできるかもしれませんが、相手国の政府だけでなく一般の市民にまで幅広く浸透させる理念は(民族的に近いロシアとウクライナ・ドネツクといった例外を除いて)乏しいと言わざるを得ません。これに対して、後で述べるように弊害もあるにせよ、米国が自由、人権、民主主義といった理念を世界規模で普及させてきたことは確かです。その意味で、価値観や文化の波及による影響力、すなわち「ソフトパワー」あるいは「スマートパワー」を重視する民主党系の米国市民に「米国の衰退」認識が比較的薄いことは、これまた不思議ではありません。そして、一国主義の反動として目指されているのは、反対する者を押し切り、力ずくででも物事を推し進めるリーダーシップではなく、共有できる目標を掲げることで仲間を集め、そのなかでイニシアチブを発揮するリーダーシップと言えるでしょう。

先述のワシントン・ポストのアンケートでは、オバマ大統領を「強い指導者」と回答した人は43パーセントにとどまりました。確かに、オバマ政権で示されてきたアプローチは、第二次世界大戦で米国を勝利に導いたフランクリン・ルーズベルトにイメージ化される、米国の伝統的な「強い指導者」とはかけ離れているでしょう。しかし、世界大戦当時とは比較にならないほど複雑化している国際環境のもとで、いわゆる「強い指導者」が適切なタイプなのか、あるいはそもそも「強い指導者」が常にいいかどうかは別の問題です。さらに、自国民が被害にあった際、総じて米国世論は短期的に激情的な反応を示しがちですが、それが長期的に維持されにくいことは、イラク戦争の例からも明らかです。

米国では次期大統領選挙にヒラリー・クリントン氏が出馬するかどうかが目下の一つの関心事です。これに対して、共和党にはこれといった候補が見当たりません。ただ、いかなる選挙結果になるにせよ、くどいようですが米国の財政状況や厭戦ムードを考えれば、対テロ戦争初期のような派手な軍事作戦の再来は、状況にもよりますが、ほとんど想像できません。そのなかで影響力を保持しつつ対テロ戦争を遂行するとなれば、いきおい米国はハードパワーの充実はもちろんですが、これまで以上にソフトパワー、スマートパワーを重視せざるを得ません。つまり、米国は「警官の制服を着た宣教師」から「宣教師の法衣をまとった警官」にシフトチェンジする局面にさしかかっていると言えるでしょう。

ただし、それによって米国の一方的な軍事行動が鳴りをひそめるとしても、それが世界の安定に繋がるかは疑問です。理念を掲げて、その正当性を強調し、仲間を集め、集団的な圧力でコトにあたる手法は、倫理的、規範的な色彩が強くなるだけに、「他者」に対して不寛容になりがちです。つまり、ソフトパワーの拡充によるリーダーシップは、米国的価値の強要や文化摩擦と紙一重です。人権や民主主義の理念の普及が、かえって反米感情を噴出させる合法的な道を開く契機になり得ることは、トルコ、ブラジル、ナイジェリアなどの例でもみられます。これに格差やイスラーム過激派の思想や資金が結びつけば、テロリズムに転じることは容易です。これに鑑みれば、米国がいわばソフト路線に転じることは避けられないものの、それは一歩間違えればハード路線より根深い対立を加速させる危険性すらあり得ます。その意味で、超大国米国が差し掛かりつつある曲がり角は、世界の対立と混沌がエスカレートするかどうかの分岐点でもあると言えるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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