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「組織」の観点から「イスラーム国」の台頭をみる―その封じ込めに必要なもの

六辻彰二国際政治学者

2月1日、テロ組織「イスラーム国」(IS)に拘束されていた後藤健二氏が殺害されたというメッセージが、インターネット上で発表されました。そして、ISは今後も、どこでも日本人が標的になると宣言してきました。

この事件が日本にもたらした影響は、大きなものがあります。日本は今後、ISにいかに向き合うべきなのでしょうか。それを考える際にまず重要なことは、ISの特性を理解することです。

「組織」という観点からみた場合、ISはテロ組織の新しいモデルを提示しています。新興勢力ISは、国際テロ組織の代表格でいわば老舗のアル・カイダと自らを差別化する一方で、後者の路線を乗っ取ることにより、「テロリスト業界」で急激かつ大規模に勢力を伸ばしたといえます。

「組織」としてのテロ組織:理念・目標、人員、資金

テロ組織といえども、「組織」であることには変わりありません。民間企業、NGO、その他の団体にも共通する、組織成立のための主な構成要素として、活動の理念や目標、人員、資金をあげることができます。いかなる組織といえども、この三要素ぬきに存在し、活動を活発化させることはできません。

この三要素は、相互に結びついているといえます。それまでなかったようなアイデアやメッセージを発信できれば、ヒトを集めやすくなります。ヒトが集まるところには、カネが集まりやすくなります

逆もまた然りで、ヒトやカネが集まる組織は、「同業者」の間で優位に立つこととなり、その方針が「業界」における一つのスタンダードを作ることになります。いわば物質的な基盤の大きい組織が、業界全体のトレンドを作りやすくなるといえます。

イスラーム過激派の古くて新しい目標:「理想郷」の創設

この三要素のうち、まず「理念・目標」の観点からISをみていきます。周知のようにISはシリアからイラクに跨る領域で「カリフ制国家」の樹立を宣言しましたが、これによってそれまでなかったモデルや提案を、支持者予備軍に示したといえます。

1998年に英国の新聞に掲載された「グローバル・イスラーム戦線の声明」において、ビン・ラディンや後にアル・カイダを率いるアイマン・アル・ザワヒリらは、「アメリカ人とその同盟者―民間人であろうと軍人であろうと―を殺害することは、全てのムスリムにとって、それが可能な全ての国において、そうすることが義務である」と宣言しました。これに象徴されるように、アル・カイダには、場所を選ばす、世界各地で米国やその同盟者にテロ攻撃を行う、「グローバル・ジハード路線」が顕著といえます。

ただし、イスラーム主義過激派は、多かれ少なかれ、預言者ムハンマドが布教を始めた当時の信徒共同体(ウンマ)を社会の理想形と主張しています。そのため、かつてアフガニスタンを支配していたタリバンをはじめ、1960年に結成されたエジプトの「ジハード団」など、それまでにもイスラーム国家の樹立を目指したテロ組織はありました。アル・カイダの現指導者ザワヒリ容疑者は、ジハード団出身です。また、ロシアでは2007年、チェチェンを含む北カフカス地方で「カフカス首長国」が独立宣言をしました。

このように「イスラーム国家の樹立」そのものは珍しい目標設定ではなく、各地のテロ組織のネットワークであるアル・カイダは、その多くに関わってきました。ジハード団、カフカス首長国、さらに中国の新疆ウイグル自治区の分離独立を目指す「東トルキスタン・イスラーム運動」などは、いずれもアル・カイダ・ネットワークの一環を占めるものでした。

「ISモデル」の新しさ

しかし、従来のものはいずれも、既存の世俗的な政府の打倒による「国家の乗っ取り」や、イスラームの影響が薄い国家からの「分離独立」を図るものでした。したがって、タリバンと東トルキスタン・イスラーム運動が兵員を都合し合ってきたように、いわばプロフェッショナルのテロリスト同士の連携はあるにせよ、少なくとも国籍の異なる支持者予備軍からみた場合、賛同や協力が皆無でないとはいえ、基本的には各国のローカルあるいはナショナルな問題として扱われやすいものでした。アル・カイダはその調整、プロモートをしていたにすぎません。

これに対してISは、基本的に従来の(19世紀の植民地争奪戦の遺産である)国境線を度外視した領域で国家樹立を宣言した点に特異性があります。既存の国境線に縛られない建国宣言は、支持者予備軍にとって、国籍に関わらず、希望するならば参加しやすい提案であるといえます。言い換えると、ISは特定の領域以外の、世界各地に暮らすスンニ派のイスラーム過激派およびその予備軍の関心を集めやすいモデルを提示したといえます。また、そもそもイスラームが国家という枠に収まらない「世界宗教」の一つとして発展してきたことに鑑みれば、その教義を流用するテロ組織にとって、既存の国境の否定は、支持者予備軍へのアピールとして有効といえます。

そのうえで、「建国宣言」の約3ヵ月後の2014年9月、ISは5年後までに西はスペインから、東は中国北西部に至る領域をISの支配下に置く計画を発表しました。これは、これらの地域におけるイスラーム過激派に糾合を呼びかける提案であるだけでなく、かつてない大掛かりなプロジェクトを打ち上げることで、支持者予備軍の関心を集める「仕掛け」といえるでしょう。

イスラーム過激派によるヒトの吸収

次に、ヒトの要素に目を転じます。昨年9月の段階で、CIAはISの構成員を2万人から3万1,500人と推計しており、そのうち1万5,000人以上が80ヵ国以上から集まった外国人であると報告しています。ISはなぜ、これほどヒトを集めることができたのでしょうか。これを考える際に、まずアル・カイダのパターンをみていきます。

アル・カイダを率いたビン・ラディンは、「カリフ制国家」の樹立を目指していたといわれます。しかし、2011年にビン・ラディンが米軍によって殺害された後、アル・カイダの指導者となったアイマン・アル・ザワヒリは、自身はエジプトでのイスラーム国家樹立を目指していたものの、「領域を固定させると西側から攻撃を受けやすくなる」という理由により、基本的には「グローバル・ジハード路線」を優先させる姿勢が顕著でした。

そのため、アル・カイダは各地のイスラーム組織を通じたリアルな人間関係に基づいて人員をリクルートする一方、インターネットを用いた宣伝を通じて、各国の社会に不満をもつイスラーム過激派予備軍にテロ活動への参加を煽ってきました。2013年4月に発生したボストンマラソン・テロ事件に関して、ザワヒリはこれを賞賛し、同様の少人数による「一匹オオカミ型テロ」を称揚しています

インターネットによる国境を超えた情報交換は、実際に居住している国への不満をもつ過激派予備軍にとって、「ムスリムとしての自己認識」を強める契機にもなり得ます。それはいわゆるホームグロウン・テロを誘発する危険性を喚起してきました。このようにみると、アル・カイダによるインターネットを通じたテロリスト予備軍へのアプローチは、基本的に仮想空間での結びつきに基づくものといえるでしょう。

ISが演出する「リアルな結びつき」

これに対して、ISもはやり、インターネットを通じて支持者、賛同者を募るメッセージを発しています。昨年12月には、オーストラリアでISに感化されたとみられる男が立てこもり事件を起こし、2名が殺害されました。ただし、アル・カイダと同様にホームグロウンテロを誘発させる一方、ISがもつ強みは、インターネットだけでないリアルな結びつきを演出できることです。実際にシリアからイラクにかけての領域を支配しているISは、支持者予備軍に向かって、アル・カイダのように「君も頑張れ」ではなく、「君もここにこないか」と言えるのです。

ISに集まる外国人戦闘員は、必ずしも貧困層とは限りません。なかには、カトリック信者の両親のもとで育った19歳のオランダ人女性が、IS戦闘員を(母親の言い方によると)「(悪代官と戦った英国の伝説的義賊)ロビン・フッドのような人物」と思い込み、イスラームに改宗したうえで、シリアに渡ったケースもあります。

その一方で、ボストンマラソン・テロ事件のツァルナエフ兄弟がそうであったように、所得水準や教育水準にかかわらず、社会からの疎外感や孤立感を深めるムスリム系住民は、多くの国にいます。その彼らに向かって、「自分で準備をしてホスト社会を攻撃しろ」というより、「ここにくれば君の居場所がある」「一緒に理想郷を作ろう」という方が、支持者予備軍がアクションを起こす際の心理的なハードルは低いとみられます。実際、外国人戦闘員が自らISに集まってきているわけですから、特定の領域を支配していることは、人員確保の戦略として成功したといえるでしょう。

さらに、「建国」を宣言して「そこにイスラーム国家がある」ということにしてしまえば、それは自らの正当化にもつなげやすくなります。イスラームの教義では、ジハード(聖戦)には、「ムスリムがイスラームの諸規範に基づき統治している土地」の拡大のためにイスラーム世界の外で行う「異教徒との戦い」である「拡大ジハード」と、「信徒共同体を防衛するためにイスラーム世界の内で行う「異教徒との戦い」である「防衛ジハード」があります。このうち、「拡大ジハード」は正統なカリフやアミール(イスラーム共同体の軍司令官)でなければ宣言できず、現代ではそれを自らの営為の正当化の根拠にはしにくいところがあります。その意味で、実際に「建国」を宣言し、「イスラーム国家を異教徒から守る」というイメージを拡散させることは、「防衛ジハード」として正当化しやすいといえるでしょう。これもやはり、ISがヒトを集めやすくした要因とみられます。

カネがあるからヒトが集まる

そして、最後にカネの要素です。NGOや大学でも、財政的な独立は自由に活動するための前提条件になります。テロ組織も同様で、カネを集めることは、人員の確保や武器の調達に欠かせません。

もともと、ISの前身で、イラク戦争後に活動を始めた「イラクのアル・カイダ」の当初の主な資金源は、サウジアラビアやカタールといった湾岸諸国からの援助でした。サウジアラビアなどスンニ派諸国は、シリアやイランといったシーア派諸国と対抗するため、アル・カイダ系組織に資金を提供していたのです。なかでも、サウジ王族の一人バンダル・ビン・スルタンは総合情報長官として、中東だけでなくチェチェンのスンニ派過激派組織へのバックアップを主導したといわれます。

しかし、2011年頃、イラクのアル・カイダの責任者バグダディ容疑者は、「イスラーム国家の樹立」の方針をめぐり、ザワヒリ容疑者などアル・カイダ主流派と決別。その後、バグダディ率いる「イラク・レバントのイスラーム国」(ISIL)は、内戦が激しくなったシリアへも越境するようになり、シリア政府やイラク政府、クルド人勢力、(イランからの)シーア派民兵組織だけでなく、シリアのやはりアル・カイダ系組織「アル・ヌスラ戦線」とも戦闘を繰り広げました。「建国」を宣言した2014年6月までには、ISはシリア東部のラッカやデリゾールなどの油田を確保し、財政的にほぼ独立したとみられます。International Business Times は、ISを「世界で最も富裕なテロ組織」と形容しています。

豊富な資金力を背景に、ISでは外国人戦闘員に月1,000ドルの給料を支払っているといわれます。これは、ヨルダンなどでの中間層に匹敵する金額で、戦闘員の厚遇はさらにヒトを集める条件になったのです。

他方、ISがシリア内戦に乗じて勢力を拡大させ、財政的にも独立し始めたことで、サウジ政府はISとの関係を見直さざるを得なくなりました。スルタンは総合情報長官を2014年4月15日に「辞職」。約4ヵ月後の8月8日、サウジはカタールなどとともに、イラクでの米国主導のIS空爆に参加。9月23日には、やはり米国とともにシリアでも空爆を開始したのです。

ヒトを集めることでカネも集める

米国主導の有志連合による空爆は、ISの資金調達にとって、二重の意味での問題となりました。一つは既に述べたように、かつてのスポンサーである湾岸諸国政府が本格的にISと敵対するようになったこと、もう一つは空爆によって勢力圏の拡張が停止したことで、新たな資金源となる油田などの確保が難しくなり、さらに油田施設が破壊されて収入が激減したことです。

そして、さらにほぼ同じ時期から、世界的に原油価格が下落し始めたことは、原油収入によって成立していたISの財政的独立を、さらに脅かすことになりました。原油価格の調整に大きな影響力をもつサウジアラビアは、2014年11月のOPEC総会で、ベネズエラなど中小の産油国から異論が出るなか、頑迷なまでに生産量の削減に応じませんでした。

これに関しては、米国のシェールオイルをコスト割れに追い込み、原油市場のシェアを確保することが、その大きな目的として注目されましたが、他方でイランやロシアなど欧米諸国や湾岸諸国と敵対する各国の弱体化を後押しする側面があったことも看過できません。しかし、これに加えて、サウジアラビアのターゲットにはISも含まれていたとみることができます。いずれにせよ、原油価格の下落がISにとって大きな打撃となったことは確かです。

新たな資金源を確保する必要に迫られるなか、最近ISはイラクのキルクークなど新たな油田地帯の奪取に着手しています。しかし、その一方で、ISにとっては、リスク分散を図る意味で、外部からの資金調達も再び重要性をもつことになったといえるでしょう。

湾岸諸国政府からの、いわば「影の公式の支援」はもはや難しいとしても、「業界の新興勢力」として、これらの国の富裕層などに改めて存在をアピールすることは、彼らにとって必ずしも無駄ではありません。その意味でも、宣伝、言い換えればメディア露出を増やし、ヒトがたくさん集まる状況が、彼らにとってますます重要になってきます。このタイミングで日本人拘束事件が発生したことに鑑みれば、メディア露出を増やし、ヒトを集め、引いてはカネも調達する必要性が、大きな背景になったとみられます。

旧モデルの「乗っ取り」

アル・カイダとの差別化を進めることで、支持者予備軍の関心を一手に集めたISは、「テロリスト業界」で注目の的になりました。既に述べたように、関心が集まるほど、ヒトやカネを集めやすくなります。

そのなかで、ISを支持するイスラーム過激派も現れています。例えば、2014年10月にエジプトのシナイ半島を拠点とする「エルサレムのアンサール団」がISへの忠誠を誓い、2015年1月26日にはパキスタンの「パキスタン・タリバン運動」の一部の幹部がISに参加したと伝えられました。ナイジェリアのボコ・ハラムも、指導者のアブバカル・シェカウが2014年7月にはIS支持を表明していますが、こちらはISと対立するソマリアの「アル・シャバーブ」やアルジェリアの「イスラーム・マグレブのアル・カイダ」などアル・カイダ系組織からの支援が生命線になっているため、今のところ様子見です。しかし、いずれももともとアル・カイダ系組織から支援を受けていたことに鑑みれば、新興勢力ISが老舗アル・カイダの勢力圏に、少なからず食い込み始めたといえます。

その一方で、ISは「領域の支配」という新たなモデルを提示しながらも、アル・カイダの「グローバル・ジハード路線」にも手を伸ばしています。今回の後藤氏殺害後のメッセージで、ISは「場所を選ばず」日本人を標的にすると宣言しました。世界各地で、実施しやすい場所でテロ活動を実施するという方向性は、これまでのアル・カイダの基本方針です。つまり、ISは旧勢力との差別化を進める一方で、これとの差異を縮小し始めているのであり、それはアル・カイダの存在感を埋没させることになります

ISは封じ込められるか

ISが示す、これまでのテロ組織にないモデルを、バグダディ容疑者がどこまで当初から構想していたかは不明で、結果的に現在の形に行き着いただけかもしれません。しかし、いずれにせよ、これが世界的に大きな脅威であることは確かで、各国はIS対策を本格化させることが不可避な情勢といえます。

ISは様々な矛盾の果てに生まれてきたもので、世界を一つの肉体に例えるなら、そこに発生したガン細胞のようなものです。ガン細胞は切除する必要がありますが、それが発生する度に切除していたら、本体がもちません。したがって、悪化を抑えるための投薬も必要でしょうし、もっと根本的にはストレスの軽減や食習慣の改善も必要になるでしょう。

日本人拘束事件を受けて、有志連合の結束の乱れを恐れる米国では、地上部隊の派遣が検討され始めました。空爆だけでISを止めることが困難なことは当初から指摘されていましたが、国内の厭戦ムードや財政事情からオバマ政権も慎重な対応に終始してきました。しかし、日本人拘束事件は米国の本格的な軍事作戦の契機になり得ます。

その一方で、軍事作戦だけでなく、ISの資金や人員の移動を監視して「兵糧攻め」にすることや、難民支援や開発協力によって戦闘の被害を受けた人々を救済し、引いてはIS戦闘員に「足抜け」をさせることも、IS対策にとって不可欠な要素といえます。この観点から、今後とも中東向けの人道支援を行うことは、テロ対策としても重要になるといえるでしょう。

しかし、ISの封じ込めは、中東だけが舞台になるわけではありません。これまでみてきたように、ISはこれまでになかった理念・目標を掲げることで、ヒトとカネを集めてきました。このうち、ヒト、特に外国人戦闘員を、これ以上増やさないようにすることも、重要な課題です。

多かれ少なかれ、ISに共感するひとは、現在居住する国や社会の有り様に好感をもっておらず、社会的な疎外感を抱いているものとみられます。2015年1月のパリでのシャルリ・エブド襲撃事件にみられるように、ムスリム系移民とホスト社会との関係は、テロを誘発させる条件にもなります。

日本にも、欧米諸国と比較して多くないものの、ムスリムがいます。日本人拘束事件を契機に、ムスリムを危険視して疎外することがあってはならないと思います。それはむしろISの思う壺で、IS支持者予備軍を増やすことにつながり得ます。(ナチスの御用学者といわれたカール・シュミットの用語でいう)「友-敵関係」の思考法を人々に意識させ、憎悪と敵意をまき散らすことは、テロリストの常とう手段です。これに鑑みれば、迂遠ではあっても、宗派や民族にかかわらず共存できる社会を築くことが、一人ひとりのできる、長期的なテロ対策になるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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