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熊本地震と阪神淡路大震災・インフラの復旧順序と風呂

饒村曜気象予報士
銭湯の桶(写真:アフロ)

熊本地震が発生して2週間になろうとしています。同じ大都市の直下型地震である平成7年の阪神・淡路大震災と比べると、気温が高く、雨の日が多くて湿度も高く、食中毒の可能性が非常に高い状態となっていることが違います。

しかし、報道をみるかぎりにおいて、インフラの復旧順序と、お風呂については同じではないかと思います。

インフラの復旧順序

阪神・淡路大震災の被災地では電気、水道、ガスの順で復旧してきました(図1)。

図1 阪神・淡路大震災による電気、水道、ガスの不通世帯数の推移
図1 阪神・淡路大震災による電気、水道、ガスの不通世帯数の推移

100万世帯という電気の不通は、仮設配線でどんどん復旧を進めたため、一気に回復に向かいました。

127万世帯という水道の断水は、漏水が激しいため、ほとんど復旧しない時期もありましたが、徐々に回復しました。また、全国から応援の給水車が走り回り、道路上に消火栓を利用した仮設取水所が作られたりして補っていました。また、前年の渇水さわぎの時の水をできるだけ使わない知恵(茶椀や皿をラップで包んで洗わなくする、水を使わないドライシャンプーを利用する等)もあって、なんとかしのげました。

しかし、87万世帯という都市ガスの復旧については、安全を確認しながら工事をすすめていったせいか、1月中はほとんど回復しませんでした。都市ガスがなくても、煮炊きについては、カセットコンロとカセットボンベの補給が多量にあり、なんとかなりました。 しかし、都市ガスの供給停止が長引いて困ったのはお風呂でした。

熊本地震でも、電気、水道、ガスの順で復旧しています。となると、困るのはお風呂と思います。

阪神・淡路大震災のときの風呂事情

勤務していた神戸海洋気象台の近くの「やまと温泉」は、地震による被害が小さかったこと、水道がすぐ復旧した地域であったこと、燃料が重油でなく材木であったことなとから、地震の数日後から営業時間は短縮したが、ともかく営業を開始しています(図2)。

図2 神戸市中央区で唯一営業していた「やまと温泉」
図2 神戸市中央区で唯一営業していた「やまと温泉」

人口が10数万人の神戸市中央区には、電話帳によれば28箇所の公衆浴場がありましたが、「やまと温泉」は、神戸市中央区で営業している唯一の公衆浴場となりました。

私も地震の7日後に1時間並んで入りましたが、入浴者の数を制限しているため、いったん中に入るとゆったりと湯に浸かることができ、生き返った思いがしました。

ここで気がついたことは、男女で入浴時間の差が非常に大きいという点です。

ほぼ同数の男女が並んでいましたが、男性の私か1時間待ちであったのに対し、女性は、列の進み具合から見て多分2時間待ちと思われました。

男女同数の場合は、女性用の風呂は2倍必要と思いました。

同じ頃、神戸市灘区の公衆浴場に長蛇の列ができ、6時間待ちとの報道もありました。

その後、「やまと温泉」は、「中央区で唯一営業をしている浴場である」とのマスコミ報道等で知れ渡り、さらに多くの人が押し寄せています。

熊本地震でも事情は同じと思います。早急に風呂対策、それも、女性用は男性用の2倍用意するという対策が必要と思います。

図3 熊本地震後の熊本の最高気温と最低気温(4月27日以降は週間天気予報の予想気温)
図3 熊本地震後の熊本の最高気温と最低気温(4月27日以降は週間天気予報の予想気温)

大雨の後は気温の高い日

九州の南海上に停滞する前線上に低気圧が発生し、九州南部付近を東へ進むため、被災地では28日にかけて大雨の恐れがあります。また、この雨が過ぎると気温の高い日が続きますので(図3)、お風呂の問題が大きくなってくると思います。

図の出典:饒村曜(1996)、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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