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「黒子のバスケ」脅迫事件で服役中の渡邊受刑者に面会した

篠田博之月刊『創』編集長
渡邊受刑者からの4月下旬に届いた手紙

4月28日に、「黒子のバスケ」脅迫事件で懲役刑に付されている渡邊博史受刑者に面会した。久々に会った渡邊君は元気な様子で、「刑務所生活にも慣れました」と語った。

「黒子のバスケ」脅迫事件そのものについてはネットにいろいろな解説が残されているし、何よりも渡邊君自身が一部始終を書いた著書『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』が創出版から発売されている。

http://www.tsukuru.co.jp/books/

渡邊君はいわば格差社会の落とし子だ。小泉政権時代に20代だった彼ら世代は10年たって30代半ば。渡邊君は高校を卒業してずっとフリーターと日雇い派遣の生活で、年収は200万円を超えたことがない。30代半ばを過ぎて将来に希望は持てず、死ぬしかないと思い至るのだが、どうせなら社会的成功者に一太刀浴びせて死にたいと、1年以上にわたって人気漫画「黒子のバスケ」作者を脅迫し続けた。警察に踏み込まれたら自殺しようと硫化水素を用意し、死を覚悟して犯行を続けたのだが、その警察との攻防戦を行った1年余が彼にとって人生で一番頑張れた時期だったという。

この事件については、渡邊君が、2013年秋、犯行をエスカレートさせてコンビニの「黒子のバスケ」関連の菓子に毒を入れるという事態に至った段階で、私のもとへ手紙をくれたのが縁で深く関わった。ちょうどこのヤフーニュース個人のブログを始めた時期だったので、彼からの手紙の内容をアップし、警視庁の刑事がそれを見て飛んでくる事態になった。実際にこのブログに毒入り菓子が置かれたコンビニについて書いたことでその菓子が発見されたり、このブログは事件の展開に大きな影響を及ぼした。渡邊君が獄中で書いた意見陳述書も公判の直後にブログに公開し、大きな反響を呼んだ。

その渡邊君が懲役4年半の実刑判決を受けて服役したのは2014年秋だった。当初は刑務所でいじめにあわないかなど不安もあったようだ。小学校の頃からいじめにあい、親にも否定されるという人生を送ってきた彼にしてみれば、不安を感じるのは当然だろう。実際、当初は他の受刑者にからまれるといった目にあったようだ。

2013年12月に逮捕された彼は四谷警察署から東京拘置所へ移管されるのだが、高校卒業以来、初めてエアコンの効いた部屋で暮らしたといい、拘置所をホテルのようだと言っていた。いわば彼はずっと拘置所以下の環境で暮らしていたわけだ。

しかし、いま服役中の刑務所は暖房らしき暖房もなく、冬はかなり寒かったようだ。ただそういう環境の厳しさに対して彼はあまり苦にならないようだ。

刑務所というのは独特のシステムに基づく世界だ。受刑者には「類」と呼ぶ等級がつけられ、類があがれば手紙や面会などの制約が減らされるなど権利が与えられる。刑務所の規則に従う者は類が上がるが、刑務官に逆らう者は下げられ、へたをすると懲罰房に送られる。身体的な報奨制度によって受刑者を支配するというわかりやすいシステムだ。渡邊君が1年半で慣れたというのは、そういう環境に適応できるようになったという意味だ。 

受刑者たちは刑務官を「先生」と呼び、多少理不尽な目にあっても従っていれば穏やかな生活が保障される。渡邊君はエアコンもない部屋で質素に暮らすことに不満も表明していなかった人だから、そういう刑務所のシステムにも適応は困難でなかったと思う。最初の頃不便を感じたのは、ネットオタクだった彼にとってパソコンが全く使えないことだったらしいが、やがてそれにも慣れたという。

ちなみに刑務所における娯楽といえば将棋である。渡邊君は運動時間もグランドに将棋盤を持ち出し、他の受刑者と将棋をさしているのだという。獄に入ってから将棋を覚える受刑者も多いらしい。渡邊君は昔から将棋が得意だったようで、他の受刑者に教える機会もあって、何と将棋の「先生」扱いされているという。まさに「芸は身を助く」だ。

渡邊君が刑務所で書いた元少年Aの『絶歌』についての論評は昨年11月にこのブログに公開した。これも反響を呼び、刑務所がピリピリしたようで、以後、彼の手記を公表するのは禁じられてしまった。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20151121-00051686/

渡邊君は裁判の法廷でも公言したように、刑期を終えて出所したら以前決めていたように自殺すると言っている。ただ私が彼とつきあっていて思うのは、逮捕後たくさんの本を読んだし、まさに「進化」を遂げた。自分の犯罪の背景に、幼少期の親との関係がひそんでいたという洞察も、精神科医らの著書をたくさん読んで深化させていった。

刑務所でも彼はかなりの読書家だ。服役当初に文庫の目録などを頼まれて差し入れたが、古典的書物も含めてかなりの本を読んでいる。服役はあと2~3年だが、その間にできれば何らかの生きる意味を見つけ出してほしいと思っている。

彼は生きる意味を見失い、死んでしまおうと覚悟した時点で「無敵の人」を自認することになった。その意味で彼の犯罪は、宅間守死刑囚の池田小事件や、加藤智大死刑囚の秋葉原事件などと似た構造を持っている。大きな違いは、渡邊君は自分の犯行において、人を殺傷するのを避けようという意識が働いたことだ。毒入り菓子を置いたコンビニを公表しようとしたのも、誤ってそれを買った子どもが口にしてしまうのを避けようとした面もあったと思う。

私は奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚や、土浦無差別殺傷事件の金川真大死刑囚とも接した経験があるが、彼らも死ぬことを強固に決意していた。特に死刑になるために殺人を犯したという金川死刑囚は、死への強固な意志を表明しており、最初は何とか考え直せないかと思った私も、1~2度話してみてそんな説得をすることをあきらめた。

ただ死への決意は強固だったが、拘置所で金川死刑囚は実にたくさんの記者らと会っていた。引きこもりの生活を送っていた彼にとって、そんなふうに社会と接触を持ったのは事件後初めてだったのではないだろうか。他人に対しては死への強固な意志を語っていたが、実は内面ではいろいろ思うところはあったのかもしれないという気もした。

渡邊君の場合も、接し始めてすぐに死への意志が強いことがわかったので、その後説得はしていない。彼の懲役4年半という刑期は、彼に与えられた「生きていなければならない期間」でもある。彼が獄中で自分の思索を深めていった経緯を見ていた私としては、わずかなその年月で彼がさらに変わっていくことを願うしかない。

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月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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