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誤報でないときの事後対応にみるメディアの〈誠実度〉(上) 〜朝日の一例〜

楊井人文弁護士
朝日新聞2015年12月29日付朝刊28面

誤報はすみやかに訂正しなければならない。これは当たり前のことである。では、誤報に当たりさえしなければ、何もしなくていいのか。そんなことはない。新聞協会の倫理綱領は、「正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる」とうたっている。その通りに対応しているだろうか。比較的最近あった朝日新聞と産経新聞の事例から、メディアの〈誠実度=インテグリティー〉を問う。

「主客が転倒している」

まず、朝日新聞の事例から。昨年12月24日付朝刊に「本の値引き 仁義なき攻防 アマゾン『脱再販・直取引を』」と見出しをつけた記事が掲載された。3面の半分近くを占める目立つ記事だった。

朝日を購読していた山野浩一・筑摩書房社長はこの記事を目にして仰天。携帯電話も忘れるほど慌てて自宅を飛び出し、会社に急いだという。記事はこう書かれていた。

本の値引き 仁義なき攻防 アマゾン「脱再販・直取引を」/書店は締め付け 出版社戸惑い

ネット通販大手のアマゾンが、刊行から一定期間を過ぎた一部の本の値引き販売を始めた。本は再販売価格維持制度に基づく定価販売が普通だが、出版社から“要望”のあった本の値引き販売は認められている。ただ、参加するのは1社のみ。出版界の慣行を揺さぶる「黒船」への警戒感は根強い。

参加するのは筑摩書房。「フローベール全集」など8タイトルで、当面は来年1月中旬ごろまで定価の2割を値引きする。アマゾンの値引き販売は6月に続いて2回目だが、5社の計約110タイトルだった前回から大幅に減った。しかも筑摩は約100の一般書店でも同様の取り組みをすでに始めており、アマゾン単独の値引き販売に参加する出版社は今のところゼロだ。

出典:朝日新聞2015年12月24日付朝刊3面

朝日新聞2015年12月24日付朝刊3面
朝日新聞2015年12月24日付朝刊3面

主見出しのすぐ下には「再販、システム的に疲弊」との見出しで、アマゾンジャパン書籍担当者のインタビュー要旨も配置されていた。山野社長は読んだ瞬間、「これは主客が転倒していて間違いだ。こんなことを書かれては会社がつぶれかねない」と危機感をもったという。

筑摩書房の言い分をまとめるとこうだ。ー「アマゾンの値引き販売に筑摩書房が参加した」のではなく「筑摩書房の読者謝恩価格本セールに他の書店とともにアマゾンも参加した」のが正確な事実である。筑摩の謝恩価格本セールは再販制度の弾力的運用である「時限再販」の一形態であって過去に何度も行っている。記事全体は「筑摩書房が率先して『脱再販』に加担してしまうような文脈」に読めるが、筑摩が取り組む時限再販は「再販制度を護持するための方策」であって「脱再販」とは正反対のものである。ー

筑摩の対応は素早かった。すぐさま書いた記者2人を呼び出して抗議し、再度きちんとした取材をして記事を掲載するよう要請。ホームページに抗議文を掲載し、書店関係者や業界団体へ説明に出向いた。筑摩の要請を踏まえ、朝日は26日に再取材し、29日付朝刊に山野社長のインタビュー記事を掲載。今度は「値引き、再販維持に必要」との見出しで、筑摩が再販制度に肯定的な立場であることがはっきりと示された。時限再販の一形態として謝恩価格本セールを以前から随時やっており、「全ての書店に門戸を開いてきた。大手書店からアマゾンまで、今回の参加書店は100を超える」といった説明が盛り込まれた(冒頭のアイキャッチ写真)。

筑摩書房の読者謝恩価格本セールのパンフレット
筑摩書房の読者謝恩価格本セールのパンフレット

ただ、記事は「再販制度について識者らに聞く」という体裁をとり、ジャーナリストの津田大介さん、柴野京子・上智大准教授とあわせて3人分の談話の一つという位置づけだった。載ったのも、当初記事の3面とは異なり、28面(文化・文芸面)。問題の24日付記事には全く触れていなかった。

肝心な部分が欠落

24日付記事に「事実の誤り」があったかといえると、たしかに微妙であった。「アマゾンの値引き販売に筑摩書房が参加した」というのは「わが社の立場からすると主客が真逆で、完全に間違い」だと山野社長は断言する。もっとも、記事は筑摩が「脱再販」に加担したと書いているわけではない。本文を読み進めると、「約100の一般書店とともに同様の取り組みを始めており、アマゾン単独の値引き販売に参加する出版社は今のところゼロ」と記され、筑摩が「アマゾン単独の値引き販売に参加する出版社」に含まれていないことも読み取れなくはない。

一方で、あたかも筑摩が「アマゾンと同様の取り組み」をしているかのよう記述がある。筑摩の「取り組み」が過去にも行ってきた「時限再販」だという説明がない。デジタル版記事には「今回はアマゾンが筑摩の取り組みに乗った形で」という文言が入っているが、この肝心の部分が紙面版記事で省かれている。そのため、記事全体として「再販制度に挑むアマゾンの値引き販売に筑摩書房だけが追随しようとした」との印象を与えたと言われても仕方がない。朝日が報じたとおり再販制度への挑戦に敏感な業界にあって、筑摩の信用に重大な影響を与えかねない記事でもあった。誤報には当たらないとしても、誤解を招かないよう、事実関係を過不足なく報じたものとは言い難いだろう(=【GoHooレポート】「脱再販に加担と誤解招く」 朝日、抗議の筑摩書房の談話掲載も参照)。

迅速な対応は評価できるが…

筑摩書房がホームページで出した抗議声明(2015年12月24日)
筑摩書房がホームページで出した抗議声明(2015年12月24日)

今回、筑摩側は記事の訂正ではなく、再取材による記事掲載を求め、朝日はそれに応じた。問題の記事から5日後の掲載だった。迅速に再取材記事を掲載したこと自体は、評価に値する。「反論の機会の提供」を事実上行ったものといえそうだ。

とはいえ、当初の24日付記事とひも付けられない体裁にしたことは、いかにも中途半端だった。デジタル版記事には事後的にインタビュー記事を載せたことも追記していない。これでは「記事への反論の機会を提供した」という良き実践が、読者や関係者には伝わらない。事実、この記事を読んだ書店関係者は「もう少し訂正的な記述があってもよかったと思う」と感想を漏らしていたという。

しかも、29日付記事の掲載直後に、朝日の編集幹部から山野社長に電話があり、筑摩のホームページに掲載した抗議文を取り下げてほしいと要請されたという。山野社長は要請を拒否した。朝日は記事を訂正したわけではない。ホームページにクロニクル(日誌)として載せたものは取り消せないし、曲解された記事に対する見解は当面掲げておかなければならない。インタビュー記事と引き換えに抗議文を取り下げる約束もしていない。なのに、なぜ取り下げなければならないのか、と。

堂々と、誰の目にも「反論の機会を提供した」とわかる体裁の記事で、当初の記事に不適切な表現があったと認め、当事者への一言もあれば、読者や関係者から「朝日はなかなか誠実な対応をした」という評価を得られたに違いない。しかし、今回の事後対応では、当初の記事に少しでも傷をつけまいと、「自分たちの記事に間違いはないのだ」という立場にこだわり、記事の問題に真摯に向き合っていないとの印象を与えてしまう。せっかく迅速な対応をしたのに、もったいないことである。

だが、次に取り上げる、産経新聞が塩村文夏・東京都議の政務活動費について報じた記事をめぐる対応をみると、朝日新聞の対応はまだずっとマシに思われるのである。(つづく

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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